はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

ひらめき

 イオンなんかの大きめのスーパーはだいたいレジ周辺の構造が同じで、まずレジがずらっと並んでいる心臓部みたいなコーナーがある(レジを出た所にはサッカー台=荷詰台が並ぶエリアがある)。そしてレジエリアの手前には買い物カートがすれ違えるくらいの広めの通路がある。通路を挟んで、メインである商品陳列棚のコーナーがある。
 それで、レジが混雑して並んでいる場合などは、まずレジにくっつくようにして2人くらいが並んで、そして広めの通路をあけるようにして(通路をふさぐようにカートを置いて通行の邪魔になっている人もけっこう多いけど)、陳列棚部分から並び始める、というのが買い物客のうちで暗黙の了解となっている。まあだいたい、どこもこんな感じだ。そういうルールが明文化されているわけでもないが、だいたいの人は陳列棚とレジの間の広めの通路をあけるようにして、陳列棚部分に並んで行く。
 そのおかげでレジが混雑している時間帯においても私たち買い物客は目当ての場所に行くために、レジ前の通路を通れるわけなんだけど、ここの部分の通路ってやつがですな、実は「老い」をチェックするフィルターみたいになってるんですよね。説明しますね。
 若いうちは右に左に上下左右にと注意力が働くんだけど「老い」が入ってくると注意力が散漫というか限定的になって、このレジ前通路を買い物カゴを持って歩いている時に、レジ方面しか見ないわけだ。
 それで、レジ方面を見たところ1人2人しかいないので「ほな、ここに並ぼ」となってその後ろに並ぶ。
 しかし実際にはこれ、通路部分があけられているだけで、陳列棚のところに本体である行列がかくれてる(?)ってわけです。

 若い方にはこの感覚がわからんでしょう。

 自転車とか車の運転と同じように、単純に「右、左」と確認さえすればいいだけですからね。レジの方を見て、次に反対方向を見て「あ、行列があるな」と認識して最後尾に並ぶ。これが当たり前だと思うでしょ。実際当たり前なわけです。何も難しくありません。

 でも「老」は違う。視界とか世界が単純になってますからレジの方だけ見て「あ、空いてるな。ここに並ぼ」となるわけです。信じられない!と思いましたか?

 それで「初老」や「老」が「ほな、ここ並ぼ」となって並んだとするでしょ。
 陳列棚部分に並んでいる人(特に先頭周辺の人)はどう思うか。
 ほぼ100パーセントの人が「なんやねん、お前」となりますわな。「順番抜かしとんちゃうぞボケカス」となります。
 それで、3割くらいの人は「順番抜かし」した「初老」や「老」に直接注意するわけですが、7割くらいの人は怒りを溜め込んだまま我慢してSNSに怒りをぶつけて書いたりします。7割の怒り人のうちの5パーセントくらいは写真付きで投稿したりしますな。
 それで、直接注意するうちでも怒りっぽい人は、もう喧嘩腰で言ったりするわけですけど、まあだいたいの人は「すいません、ここ並んでるんですけど」みたいな困惑顔で注意してくれますな。
 私、きのうまたこれをやってしまいまして。
 時々行くでかいイオンはサッカー場が近くにありまして、でかい試合の日なんかは大行列ができています。サッカーを見る習慣がない私はちょうどそんな試合日に買い物に行ったようで、何も考えずにレジ前通路を歩いていて適当なところで「ほな、ここに並ぼ」となってレジに並んだ……のだが……すると、私はその時イヤホンをしていたんですが、とんとんと肩をソフトにたたかれまして、若い方、25歳くらいでしょうかね、イヤホンを外すと男の人が「すいません、ここ並んでまして……」とやさしく、困惑顔で言われて、ふりむいた私の視界には陳列棚に並ぶ大行列がありました。

 ショックだった……。

 極端な言い方ですが、いっそのこと野獣的に怒りをぶつけられて突き飛ばされる、とかの方がショックは小さかったかもしれない。気の良さそうな若者にものすごく気をつかわれてやさしく注意していただいた、てところがなんかこう、ダメージであった。
 こういうのって前後左右上下とかじゃなくって、単純に右と左だけチェックしたら防げる事故ですよね。そういう簡単なミスってこれまでなかったと思うんですが、今年に入って私は同じミスを二度やらかしています。一度目のこともめっちゃ覚えています(この日記のどこかに書いてるんじゃないかなあ)。
 いや、その時に(若者から「すいません、ここ並んでまして……」と言われて、ハッと思って棚の方を見たら大行列があった時に)「自分は、老いたな」と直感しました。
 老いたなっていうか、徐々にかな、自分もまた老いつつあるのだ、みたいな感覚です。老へとつながっている道、若い時には決して見えなかったし、普段も別にそれがはっきり見えてるってわけじゃないんだけど、でもなんか「もしかしたらあるんかな?」みたいに少しずつ意識されてもきた道の霧が、一瞬パッと開けてその道の先がその時クリアに見えていたっていうか。
 そういうのって、なんか無駄に息が切れるとか関節が痛むとか、そういうわかりやすい変化じゃないんです。わかりやすい変化だったらまあ、わかりやすいですよね。そういう変化もそのうちにはあるんだと思います。でも私が見たのは、「あ、自分は着々となんか細胞が死んで行っとるやん」みたいなひらめき、というんでしょうか。