はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

六甲山を縦走したい!(14)記憶の霰

1月3日。妙法寺で追儺式という行事があるらしい、という情報をXでがんそべっしょマンさんが書いていて、添付されていた昨年の写真を見ると、腰に刀をさした、白装束を着て土色の仮面をかぶった鬼?のような生き物が、腕や足や胴体やらをハムのように縄で縛り、火のついた松明を持っている姿が写っている。それを見ても何の行事なのかはまったくわからない。謎そのものである。正月の予定もないし、ひまなわたしたちにぴったりだ。そう思い、どうせなら子供の冬休みのトレーニングも兼ねて山登りとドッキングさせて予定を組もうと地図を見て検討した結果、高速長田駅から長田神社を通って高取山に上りそこから妙法寺に下るというルートを取ることにした。妙法寺方面から高取山に上って長田の丸山〜鵯越方面に下りるという六甲全山縦走路ルートは歩いたことはあるが、神社裏からのルートでは上ったことはない。

高速長田駅で電車をおりて、さて何番出口だっけ、と思ったが適当に階段を上るとそこはもう、さすが長田神社である。いかにもこれから正月の参拝に行きまっせというような人の流れが出来ていて、人々について歩くと迷いもなく参道に出た。非常食としてパンは持ってきていたし、それに正月の高取山に行けばどこかの茶屋があいているだろうからなんなら昼ご飯は茶屋で、などと考えていたのだが、参道の商店街を歩くとみたらし団子が路面販売されており、山頂についたら団子で乾杯しよう、とついつい衝動的に3本買った。ういろ屋の前も通りかかったのでういろうも買ってしまった。前日に三宗さんからおせち料理のおすそわけをもらっていたので三宗さんのぶんも買った。できたてのういろうがまだあたたかい。

長田神社には露店がたくさん出ていたので店をひやかしたりしてのんびりしたかったのだが、今が11時すぎでゴールの妙法寺に15時到着というノルマがある。ヤマレコの予想時間を見るとだいたい3時間くらいの道のりになっているので、なんぼ正月のめでたい長田神社、素通りしにくいといえども、山登りのスタートもしていないうちからここでのんびり過ごすのは(到着時間的に)危険である、というのは数少ない山の経験からも判断できた。そういや昨日は楠公さん(湊川神社)ものぞいてきたんやけど、まああっちはあっちでええんやけれどぼくはこっちの神社のほうが好きかも、みたいなことを妻に話しかける。長田神社に来ると、なにせなつかしいのだ。そのなつかしさの起点は30年前の避難所になっていた時代の風景である。

今日はこれから山を越えねばならないのだ。過去の記憶をたぐっている場合ではなくて、と冷静になりうしろ髪を引かれつつ神社を出、川ぞいの道をヤマレコのアプリを見つつ歩く。少し歩けば登山口に出るはずである。民家と民家にはさまれた細い道を歩き坂をのぼり、人通りもなかったのでスマホ画面を見ながらぼんやり歩いていたのだが、途中からなんだか知らない道を歩いている感覚が薄くなってきてひさしぶりに帰った故郷の町をおぼろげに残った記憶をたしかめながら歩いているような、というような表現は後日この文章を書いている今、こうやって陳腐な言葉にしているだけで、実際の道を歩いていた瞬間には未だ言葉にはなっていない不可思議な感覚だけがあった。
不可思議な、ではなく、わたしはあの頃のままの景色の中を歩いていた。

左手にひろがるフェンス越しに見えた、小学校のグラウンドの風景に吸い寄せられた。
「うわあ」と声が出て、門のすきまにスマホのカメラを押し当てて運動場の写真を撮った。すると横で見ていた子供が困った顔をして「やめてー」と言い、「そんなことをしたら不審者だと思われる」とわたしの腕をひっぱった。
「そら、そやな」と言いながら子と並んで歩き、歩いた先の歩道橋を渡りながら、わたしはとつぜん起こった予期せぬタイムスリップを反芻していた。あの運動場、あの校舎の感じ。30年前にボランティアとして避難所を回っていた時に、毎日訪ねていた小学校だった。開いたままの門から入ると1階の教室が避難所になっていてたくさんの人たちや家族が生活していた。私らよりもあんたらが食べなあかんやろとおばあさんが配給の菓子パンをくれたりした。あの運動場の片隅で炊き出しの雑炊を食べた。
そんな場面を細かく思い出した。

何もかもそのままである。もしかしたらそのままではなくて整備されたりとか、実際は変化しているのかもしれないけれど、何もかもそのままでそこにあるように感じられた。

歩道橋を渡り終えて少し歩くと登山道の階段に出る。
そこを上っている時にも頭をがつんと打たれたみたいに思い出したのだった。ある時、ボランティアの仲間から「あの階段をのぼっていったら町を見下ろせるんやで」「海が見えるよ」「いっしょに行こうや」と誘われた。そのとき私は「いやだ」と断った。

あの階段が、この階段なのか、その階段を、30年たって上っている。
記憶が次から次にやってくるのだった。
妻と子と3人で同じ日に同じ空の下で同じ階段を上っているのだが、わたしの周りにだけ強い風がふいていて、そこには過去の記憶のこまごまとした情景が、細かなあられのように舞っている。特にこげた木造家屋のにおい。屋根の上のブルーシート。夕焼け。皮膚にあたるとあたった部分がひやっとなる感じの、マフラーをしていないものだからふいに小さな粒が首の中に入ってきて「つべたっ」と身をすくめてしまう、記憶のあられが舞う中を、できたさぶいぼをさすりながら階段を上っていく。

「ああ、最近運動してなかったからしんどい」と言う妻の声と、どこからか拾った棒切れで地面をつつきながらついてくる子供がたてるツコン、ツコン、という乾いた地面の響き音がきこえる。時々きこえる2人の話し声。音はそれしかない。少しずつ距離が離れてきたのだろう、音が遠くなった妻と子を待つように立ち止まり、うしろを振り返った。冬の薄い青空と、長田のうつくしい町があった。空と町のさかいめには時間が止まったままのでっかい海が見える。きれいやなあ。こらきれいやわ。

階段をのぼりながら、ここ、30年前に……みたいな話をしたくなったけれど、それは妻にも子にもなんの関係もない話である。もしもあの頃この階段を上って、そして振り返っていたらどのような景色が見えたのか。今はとてもすばらしい。焼けた家のあちらこちらに突きささっていた手書きの位牌とか、避難所で声をかけてきた子供たちとか自衛隊の風呂とかが小さな粒になって空に舞っている。寝泊まりしていたテントの近くにあったから時々手を合わせていた焼けた家屋にそなえられていた写真も粒になって舞っている。そこに写っていた子供が今のうちの子と同じくらいの年齢である。

だからなに、という話ではない。年をとらないとわからないことがほんとうにたくさんある。30年前には何もわかっていなかったことだけれど、少しずつでもわかってきた、みたいなことがけっこうある。高取神社までの道はどこまでも整備されていて階段もおだやかで歩きやすい。普段は山に行かなさそうな家族連れ、ヒールで上っている人もそれなりにいる。途中のベンチで休憩していると、わたしたちの横に1人で歩いて来た老人が座り「毎年来てるんやけど、もうさすがにしんどいな」と言う。「毎年っていうとずいぶん昔から?」「そうやな」「このあたりは歩きやすいですね。すごくいい道で」「すっかりさびれてしもたな。昔はもっとにぎやかやったけれど」

途中、なんとなく期待していた茶屋は閉まっており、年に一度だけ開かれるという茶屋があったので立て看板のメニューを見て「ぼく山菜うどん」「わたしも山菜うどん」「山菜うどん」などとそれぞれに食べるものを決めてすっかり山菜うどんの気分になっていたが店の前まで来て中をのぞくと満席だったのであきらめた。先ほどしゃべった老人をまた追い抜き、そして小休憩しているときにまた追い抜かれ、山頂でまた顔を合わせ、互いに笑いあう。老人が「がんばったね」と子に声をかけている。ささやかなやりとりだけれど、彼と会う機会はもう二度とやってこない。

山頂の景色を眺める。なんやかんやで時々来る山である。ここからもう一回あの上まで上ったほうが景色がさらによくなるで、と階段を上がる。

妙法寺までの道はなかなかの急坂であった。
行きの、どこまでも丁寧に整地された階段とは違いそのままの土やら岩やらのあいだに無数の落ち葉が覆いかぶさっている。子供の足では無理、というわけではないが、特に秋冬は落葉がいちいちすべるから、スニーカーしかない人はこのルートはおすすめはできない。「登山ゆうのは上る時よりも下る時のほうが危ないしコケるから!」などと言いながら、いちおう妻と子の前ではわたしは先輩登山者であるので注意ゾーンのアドバイスをする。そうやって夢中でしゃべってる時にコロっと谷にコケたらいっしゅんであの世行き!などと声をかけながら。茶屋休憩がなかったぶん、このまま行くとずいぶん早く到着しそうな感じにだったので、途中からはゆっくりと、きれいな花崗岩を探しながら歩く。

「あ、団子わすれてたな」と高取山を下りた先の小さな公園で、1本ずつ食べた。前回みたらし団子パーティをしたのはいつだったか。そんなに遠くないのにずいぶん昔のことのように思える大阪万博の時、8月だった。せっかくみたらし団子パーティをしようと15本も持っていったのに、その日は風が強く子供がセブンイレブンで買ったカフェラテのふたを何度も風に吹き飛ばされているその様子にイラッとし、わたしが「次にふたをとばされたら帰るからな!」などと怒り出し、妻も子も、パーティ会場が一瞬で微妙な空気になってしまった、あれおぼえてる?(わたしの態度が)ひどかったな、と子供に聞くとよくおぼえてる、と子は言い、今日は平和や、とわたしたちは初めて来た公園でみたらし団子で乾杯をする。

あの頃10代だった自分が今年から50代である。当時は戦後50年という言葉をニュースや新聞でよく聞いた。まだネットもなかったから多くの人がテレビのニュース番組や新聞を見ていた。大きなメディアを元にした共通言語があった最後の時代か。戦中世代はごろごろと生きていた。ニュースキャスターが「北朝鮮」とは言わず「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言っていた時代である。中国残留孤児とかボートピープルとか……はもう少し前か。この20年くらいテレビのニュースは見ていない。1995年というのは自分にとってはついこの間みたいな感覚なのだが、大谷翔平が1歳の時で井上尚弥が2歳である。彼らがもうそれぞれの世界でベテランであるから、これからはスポーツにしてもその他にしても震災後に生まれた人たちが作る世界をわたしは見ていくし、中谷潤人は震災後の子供である。こんな感じで年をとっていくのだろうな、と理屈ではわかるが、実感としては今いちよくわからない。わたしは体験とか記憶なんかは継承しなくてもよいと思っているので子供には震災にしても戦争にしてもなにかを教えたことはない。教科書で、遠い時代の織田信長みたいな話として知っておく、くらいの距離感でいいのだろう。子供は私の人生や記憶とは関係なく、今の時代に生きているのだから。過去のことは何も知らなくていいとさえ思っている。
時間通りに妙法寺に着いた。

ループに乗って、ゆるやかに

ここ数年で駅前とかよくわからんマンションの前とか、ほんとあちこちに電動キックボードのポートが出来たじゃないですか。乗ってる人も格段に増えた。
私はあれ(SNSでよく叩かれてる)「危ないなあ」的な目線ではそれほど敵視してないんだけど、乗ってる人を見て「もったいないなあ」とは思っている。

日々の生活の中で「歩く」ってのはやばいくらい大切で、それはなにも「気合いを入れてウォーキングしなさい!」とかの大げさな話じゃないんですよ。家から駅まで、スーパーまで、駅から会社まで、待ち合わせでAビルからBビルまでとか、なんかそういう「しょうもない用件」みたいなのが日常にはあふれていて、そういうしょうもない用件においてなるべく自分の足で歩くこと、それが大切なわけです。電動キックボード文化っていうのは「しょうもない用件で体を動かす権利」をテクノロジーに差し出してしまっているのがやばい。

あれって料金体系を見てても、基本的には日常での短時間利用が主目的なわけで、私が「こういう時に歩いたほうがいいですよ」と考えているポイントと電動キックボード会社が「こういう時に利用したら便利ですよ」と商売してるポイントってのが完全にバッティングしてしまっている。こっちは商売じゃないからあれだけど。

別に普段から運動習慣のある、高い意識を持った人が利用するのはいいんです。
便利ですよね、で終了である。

でも私が「もったいない」とか「やばい」とか言って想定しているのは、大谷翔平選手とか井上尚弥選手のような超一流のアスリートとか定期的にしっかり運動をしているきちんとした人たちではなくて、私と同じようにごく平凡な、ジムもすぐにやめてしまうし継続的な運動習慣も持たない人間のことです。
そんな私たちにとっては「しょうもない用件での徒歩移動」というのがいわば最後に残された身体活動チャンスなわけで、それを惜しげもなく手放して「ラクやなー」などと便利快適な小道具に乗っかっていたら老いた先の自分に会わす顔がない。藤子Fさんのノスタル爺風に言うならよぼよぼになった未来の自分が電動キックボードで町を疾走する自分に「そこは歩けー!!!」て泣きながら叫んでますよ。

私は2023年の12月から突然生活を変えて1日1万歩くらいは歩かないとな、という生活をしています。たかだか2年程度です。あくまでもそういう数値目標てだけなので毎日こなせているわけでもありません。でも歩く=体を適度に動かす、ていうのはてきめんに身体に変化をもたらす。というのが実感としてわかるわけ。

でも1日1万歩前後の歩行って、よほど営業職とか歩く必要がある仕事をしている方でもないかぎりなかなか毎日到達できる数字ではない。
1万歩あるこうと思ったらだいたい80分くらいかかります。
でもそれは困難な数字であると同時に、簡単に継続できる数字でもあるのだ。

どういうことかというと多くの人は1日1万歩という数字を前にすると「さあ、ウォーキングに出るか」と意気込んで朝とか夕方の貴重な時間に80分も費やしてようやく達成したはいいけど「ひま人じゃあるまいしこんなこと毎日できるかい!」と挫折するわけだけど(あるいはウォーキングはひま人がやるものとしてより短時間で効果が出るっぽいランニングに手を出して怪我をするわけだけど)それはやりかたとして間違っている。

1日1万歩を持続可能な数字とするための唯一の方法は、発想の転換をすることです。
つまり1万歩を一度に歩ききる数値としてとらえるのではなくて、歩数をこまかく分解するんですね。一度に歩く数値(10000×1)としてではなく、朝起きて夜寝るまでの長い時間の中での700歩×14回みたいな数値としてとらえ直すわけです。

なんかおおげさに、発想の転換、とか書いてしまうとさも私がオリジナルの考えでも書いているかのようになってしまうけど、そういうわけではなく、これって要は日常の中で非運動性の身体活動を意識していくみたいな単純な話でしかないので厚労省のホームページにも書かれてある感じのごくごく普通の考えかたです。

人間って、ついつい自転車とかに乗ってしまうんだよなあ。ついついエスカレーターに乗ってしまう。ついつい自動化されたものに引き寄せられる生き物です。その「ついつい」ていうのはその場の快適さだけで言えば薬なんだけど身体の筋力維持とかの意味ではあきらかに毒なわけで、どうせこのさき電動キックボード的な意味では「便利」な方向にしか進まないであろう世の中において「ついつい」の便利さをあえて避けていく、そんな倒錯的な態度はきっと重要です。

まあ何をやったところでどこまで、どのように人生が続くのかなんてしょせん運次第、みたいなところはある。でも人生においてたしかにコントロールできる部分が3パーセントくらいはあって、そこには手をふれていたい、みたいなかんじか。ちがうか。よくわからんな。中年以降は人生のほつれが見えてくるんよな。この服、ここを手入れしておけば長く着れるかも、みたいな。あちこちほつれてきてあきらめるかもしれませんしムキーてなって途中で捨てたりとかそういうのもあるかもしれませんが。可能なかぎりは大切に着ていたいものです。

六甲山を縦走したい!(13)

高取山を下りると菊水山方面と書かれた案内柱が立っている。菊水山のふもとまではまたしばらく町歩きが続く。須磨アルプスを下りたあとのニュータウン歩き、妙法寺周辺の古くからある町なみ歩き、そして今度は長田山側地区の、なんつうか独特の空気やなこれ……ていう。すえた源平感?あたりは狭い路地がたくさんあってややこしいので迷わないように地図アプリをちょくちょくチェックしながら進んだのだが、それゆえに途中で道を間違えていた。なぜ「それゆえに」かと言えば長田山側地区歩きに関してはヘタにスマホなんかを見て歩くより、曲がり角ごとに律儀に(しかもわかりやすく)貼られている「全山縦走」と書かれた案内表示を見ながら進んだ方がよほどわかりやすいからである。でもそれは後になってからわかったことで、その時にはスマホばかり見て歩いていたから道を間違えた。

そして道を間違えた先には海が見える高台の公園があった。
私はその時、元来た道に戻る前についでだからとベンチで休憩したのだ。そしていっそのこと、この公園をカネロ対クロフォードの観戦場所にしようかと思いついた。
非常食用に持ってきたカロリーメイトをかじりながらNetflixの生中継を再生する。電波状況はきわめて良好。公園も人がおらず居心地が大変良い。

ただせっかく見つけた観戦場所であったが試合が始まるまでにはまだずいぶん時間がかかりそうである。そのあいだにNetflix制作の両者に対する密着ドキュメンタリーを見ていると、カネロって金がありすぎて、私が市場の漬物屋に行って「白菜と、きゅうりと……ナスももろとこかな」みたいに言うノリで90万ドルの時計と100万ドルの時計と140万ドルの時計を買っている。あとカネロって金がありすぎて家に馬と孔雀を飼っている。それでカネロの子供は馬とかラジコンみたいなバギーとかよくわからん乗り物に自由な感じで乗ってるんだけどカネロは「子供にすべてを与えるのが善とはかぎらない」とか言っててさ、虫歯の治療で金がかかったから子供にたまごっちパラダイスを買ってやれなかった私が自分自身を納得させるために念じたのと同じことを言ってたけど、まあカネロにはカネロの苦労があるんだろう。家で孔雀を飼ってる人って村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に出てくる老小説家だけだと思ってたけど『コインロッカーベイビース』にはでかいワニを飼ってる人が出てたよね。そのワニが高速道路で轢き殺されて……それでカネロが日本円で1億円とか2億円とかの時計をおでんの具を選ぶみたいにぽんぽん買っているその様子をカネロチームみたいな人たちが真面目な顔で見ててさ、大谷翔平選手の横にいた水原通訳もこんな感じだったのかもしれん。

それでなんか公園の居心地が良くて「もう今日のゴールはここでいいのではないか」と思い始めていたのだが、せっかく機嫌よくNetflixを見てたのに同じ公園に小学3年生くらいの女児があらわれて、よりによって私が座っているベンチの目の前にある水飲み場で遊び始めやがったのよ。子供が遊ぶのは子供の自由だけどさ、しかもこの場所はその子の地元の公園だろうからそっちに優先権があるとは思うけどさ、こっちはいまボクシング見とんねんダボハゼ。
女の子が来てから私の頭に瞬時に浮かんだのは、最近ニュースで話題になっている小学校教師による全国ネットワークの盗撮グループ事件である。あれな、まだ全員逮捕されてないけど学校現場ではなかなかインパクトがでかいのだ。自分はP……的なあれこれで学校の先生としゃべる機会が多かったりするのだが、あの事件がどかんと報じられた時の学校現場の空気って相当ピリピリしたものになっていた。そりゃそうだろう。クマとかサメとかが人を襲う事件が報じられるとすべての山にクマが、すべての海にサメがひそんでいるみたいな集団心理になる、そういう現象があるじゃないですか。ああいうのが学校現場(での保護者間)にも当然発生するので、男性教師なんて針のむしろっつうか、現場の先生は大変でっせ。

みたいなのが最近あったので、自分もそのへんはものすごく(教員でもなんでもないが)敏感になっているというのもあり、今ここの場所のこの構図の微妙さ、というのは必要以上に感じてしまう。つまり、日曜日の他に誰もいない公園。中年男はベンチに座ってスマホをかまえている。その目の前にはスカート姿の女児が1人、見た目にきわどいっちゃきわどい無防備さで水遊びをしている。それが世間にどう見られるのか、みたいなことはさすがに瞬時に頭に浮かぶわけで、とにかくいまこの公園にいるのはよくないと思った。

でもよくないっつうか、おまえが後から来たんやからおまえがどっかに行けよ、とは女児に対して当然思った。でもおまえが出ていけよ、などと言えるわけもないので結局私はせっかく見つけた居場所だったけどそそくさと公園を後にして、元の縦走路にかえったのだ。まあどのみち試合はまだまだ始まらなさそうだしこの先の予定も考えるととりあえず一気に鵯越駅までは歩いた方が良さそうである。

六甲山を縦走したい!(12)

しかし冷静に考えて、六甲縦走における六甲山全体が侍ジャパンだとして高取山は3番バッターなのか?という問題はある。ここは意見がわかれるところだろう。ここまで私が越えてきた山を打順として並べていくと

1番 旗振山
2番 横尾山・東山(須磨アルプスゾーン。キャプテン翼の立花兄弟みたいなイメージ)
3番 高取山
4番 
5番 
6番 
7番 高倉台
8番 

どうでもええわ。そもそも私は摩耶山より東の山、宝塚方面には行ったことがない。だからそっちは空白の15マイル、つまりパ・リーグである。これまで行ったことがある山ってことでとりあえずセ・リーグ(摩耶山より西)だけで打順を決めてみると……。

1番 旗振山
2番 横尾山・東山
3番 高取山
4番 摩耶山
5番 再度山
6番 鍋蓋山
7番 高倉台
8番 

並べるとやっぱり高取山って前田智徳的な天才肌の3番バッターだと思ったのだが、ほんまどうでもいい。今は山の打順を決めてる場合じゃなくって、私は高取山を前にしてこの日もっとも重要な戦略を立てる必要があったのだ。それはボクシングのカネロ対クロフォードをどこで見るかを決めるということで、ネットフリックスのボクシング中継自体はぼちぼち始まっているはずである。でもメインイベントまでには相当長い時間があるはずで、その「相当長い時間」を具体的に何時間くらいと見積るかで今後の動きが変わってくる。私は「午前中にメインイベントが始まることはないが、12時頃からは念のため、こまめに状況をチェックする必要がある」と考えていた。

その際、山の中にいて(Netflixがストレスなく見れるレベルの)電波を期待するのは愚の骨頂である。とはいえ地図を元に大まかな判断をする限り、とりあえずここから高取山は越えても大丈夫そう。
高取山を越えた後はまたしばらく長田地区の町歩きになるから、そこでの電波はたぶん、というかさすがに大丈夫だと思いたい。ただ町歩き後の次の山、菊水山に入ると以降は山岳ゾーンとなり電波状況が絶対あやしい。だからボクシングが観戦できる最終ポイントは神戸電鉄の鵯越駅だと見た。でも鵯越の駅にしてもアプリの予想到着時間が3時間後て、気の長い話やな。

でもまあとりあえずここは大丈夫やろ、と考えながら『ごろごろ、神戸』以来の高取山を上る。あの時はどこから上ったんだっけか、たしか途中まではバスで来た記憶があるけど、なんも覚えてないし、そもそも高取山になんの思い入れもなかったな。別にいま何かがあるわけでもないけれど、でもあれよ新田次郎の『孤高の人』を読んだら高取山はもう聖地みたいなもんですやん。てなことを書きながらもボクシングの時間が気になったので景色とか感慨とかそういうのは味わうこともなくてそそくさといろいろ通り過ぎて縦走路を歩いていると、途中で「神戸高取登山会の解散について」という貼り紙を見かけた。

六甲山系の登山会の事情はまったくわからないが、今後こういうのはどんどん増えて行くんだろうな。一部の茶屋はまだ元気だけれどそれは特殊な事例で、六甲山系の茶屋文化なんてとっくの昔に風前の灯である。ほんと、どこもかしこも根っこは同じ問題だと思うけれど、私たちがいま好んで享受している文化っつうのか生活の土台っつうの?そういうののけっこうな部分は現在七十代後半〜とかの昭和の人たち、あるいはそれ以前の世代の人たちが作り上げたものであって、登山道の茶屋も登山会も地域の自治会も昭和の酒場文化も古い市場も商店街も、今のじいさんばあさん世代が死んでしまったら終了だと思ったほうがよい。と、自分には言い聞かせている。

私たちは団塊世代が作り上げた文化のおこぼれに吸い付いているダニである。自分では何も生み出していない。いや「何も生み出していない」ていう言い方はさすがに違うだろうよ。まあええか。死にかけの昭和の残滓に対していつまでもダニのように噛みついて……て書いてて思い出したけど昔かわいがっていた犬が死んだ時、その犬にはノミが住み着いていて、犬が死ぬと住んでたノミが逃げて行くんよな、ノミも現金なやっちゃなと思ったわけだけど、自分だって文化的にはあのノミと同じよな、相手の死にそうな体に噛みつきながら「いつまでもそのままで生きていてほしい」などと嘆き芸を見せたのが『ごろごろ、神戸』ではないか。他人の人生に吸いついてそいつをいつまでも自分の人生のように消費している場合ではない。目をさませ、自分のしょぼい人生を引き受けるのだ。

山ってさ、最初の30分とか1時間くらいが一番しんどいよな。それがわかると、序盤のバテ具合も納得がいく。長時間歩くポイントは、序盤のバテ具合に対して「身体ってそういうもんなんだ」と飼い慣らせるかどうかだろう。私はそこがわかっていなかったので序盤のバテゾーンを真正面から受けとめてしまった。まあそういうのも経験ってことか。しんどいっちゃしんどいけど。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。て歌、なんかすごい悲しいメロディよな。歌自体は楽しいし、笑っておしまいだけど乾いた感じのかなしさが、アブラハムには7人の子、1人はノッポであとはチビ、みんな仲良く暮らしてる、さあおどりましょ、て。歌いだすと止まりませんな。何度も何度も。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。若いのに死んだ人のニュースは重く響きますな。それが一度でも会ったことのある人だと。他人の死からなにかを学ぶ、みたいなこともしたくない。死は死、生は生、目の前の人生を引き受けて生きるだけである、たとえどんだけしょぼくても。自分の人生は自分の人生。他人の人生は他人の人生である。この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注いでおくれ、てな。しゃらくせえ!

六甲山を縦走したい!(11)

六甲山を縦走しているとその道中において六甲山とは何かという問いにおのずから直面せざるをえない。なぜかといえば須磨アルプスである横尾山・東山を下りてからというもの、自分が歩いているのはどこからどう見ても山ではなく「町」であると体感されるからである。出発前に思い描いていた縦走(山道具のカタログ表紙みたいなやつ)と違いすぎる。
これでは山歩きではなくただの町歩きではないか。

というような文句をぶつぶつ心の中でつぶやきながら、さきほど妙法寺の手水舎で若者2人組から教えられた(というか立ち話を勝手に聞いた)ローソンを右手に見ながら妙法寺小学校の交差点を渡る。これまでのニュータウン歩き、といった風情から、このあたりは古くからある町なみだろうか。全山縦走路と書かれた案内板通りに進んで行くと道幅はさらに狭くなり、これだけ家屋が密集した住宅街を参加者2千人が(バラバラになっているとはいえ)進んで行く縦走大会の様子を思い浮かべた。

それは昔フジテレビで深夜、アイルトン・セナが走っていたころのF1中継で見かけた記憶があるモナコグランプリのようでもあったし最近Netflixで見たところのツール・ド・フランスのどっかの町なかを走るコースのようでもあった。一帯に住民が住んでいようがなんだろうが無理矢理なとけこみ方をしているイメージ。F1とかツール・ド・フランスなんて迷惑度とか危険度で言えば六甲縦走の1000倍くらいはありそうじゃないですか。六甲縦走大会もあれくらい(て知らんけど)強気な大会運営だったらいいのだけれど。日本ってたとえそれが少人数であっても苦情にめっぽう弱いから、ちょっとやばい感じの方がいて苦情を入れたら即アウトみたいな、そういう不幸なことが今後六甲縦走大会に起こらなければいいのだけれど。

でもたぶん、こういう街路での大会っていうのは、六甲縦走の場合は市(行政)と地元自治会との調整なんじゃないだろうか。想像ですけど。
で、ここから話が大きくなるけど、今後の日本って自治会的な地域共同体は確実に消滅していくと思うわけ。私は外野からそういうことを言ってるのではなくて自治会の中にいながら世の中を見つつ痛切にそう感じる。だから主催する行政と、地元(のひとりひとり)とのあいだにある、ぶよぶよした、多少の何か面倒事みたいなのは「まあ、まあ」と飲み込んでしまう調整弁みたいなのが将来的にはなくなるわけですよ。てなると少しでもめんどくさいものはなくしていく方向になるだろうから、10年後、20年後とかに縦走大会は存続できるのか、て話ですわな。

とか、なんかこんなことを考えていると自分まで大会に参加しているような気分になるが、私はしょせん1人、右ポケットに甘納豆、左ポケットに乾燥小魚をつっこんで、誰とパーティを組むわけでもなく厳冬期立山連峰での山小屋からも締め出されてしまった、山に登っているあいだに園子さんまで知らん男に奪われてしまった平民文太郎であった。全然関係ないけどさー昔って日曜の夜中だっけ、F1がテレビ中継されてたよな。シンボリルドルフ、千代の富士、アイルトン・セナ。これが当時の「いつ見ても勝ってる人」であった。京橋に京一だっけ、今はもう絶対なくなっているだろうゲームセンターがあってそこでナムコのファイナルラップの大会があってファイナルラップには絶大の自信があった私は絶大の自信をもって出場したけどモナコグランプリで地区3位だった。あの時世界の広さを感じたなあ。

関係ないといえば、駅とかの案内地図を見たらまあ神戸の駅って町地図に必ず六甲山が描かれてるじゃないですか。地図の上に六甲山があって下に海がある。どこで案内地図を見ても必ずそうなっている。ああいう案内地図に描かれる六甲山って塩屋から宝塚までひとつのかたまりとして横に長くつながってるわけでしょ。
ひとつらなりの、横に長い山々のかたまりとしての「六甲山」。
それは私が頭の中に描いていた六甲山の図とも合致するものであり、だからこそ私は六甲山縦走といったときに「ひとつのまとまったもの」としての山系みたいなものをイメージしていたわけです。

六甲山縦走というからにはずっと山を歩いているものだと思っていた、けれど今自分がやっているのは山歩きではなくて町歩きじゃないか、てのはさっきも書いたよね。
それで思うんだけど、実際に歩きながら思ったんだけど、六甲山というやつは(駅にあるような地図とは違って実際の姿は)妙法寺のあたりで一度完全に途切れているのではないだろうか?

でも、それを言い出したら「山、海へ行く」でごっそり削り出した高倉台のあたりですでに六甲山は途切れているとも言えるかなあ。
なんにしたって塩屋から来て妙法寺まで、ここまで歩いてきた山と、これから行く山って別の山なんじゃね?だって塩屋の人って自分たちのうしろにあるあの山を「六甲山」だとは意識してないでしょたぶん。

と、ここまで考えて、ふと気づいた。

そうか。「六甲山」というのは感覚としては、侍ジャパンみたいなものなのだ。
鉢伏山も栂尾山も高倉山も普段はそれぞれの山として、それぞれのチーム(地域)で活躍してるんだけど、WBC(年に一度の六甲全山縦走大会)がある時だけ個々のチームから離れて結集し、ひとつの侍ジャパン(六甲山)になるみたいな。これだな。

普段はドジャースでプレイしている大谷翔平が、ナ・リーグ西地区でリーグ戦を争っている時には「侍ジャパン」への帰属を意識したり表明したりしないのと同じで、たとえば旗振山だって普段は六甲山系への帰属などは意識はしていない。けれど縦走大会の時だけとつぜん六甲山としての深層意識が覚醒されて大会入口の山になるみたいな感じかな。

というようなことを考えながらの山……ならぬ町歩きであったが、道道の電柱に貼られた「六甲全縦」の古い看板によってかろうじて私の縦走気分は維持できていたのであり、そしてようやく町感が途切れてきたと思うとそれを待っていたように首のまわりには次第にプンプンと羽虫たちがまとわりつき始め、そして両側を草におおわれた一本の細い道が伸びていて、ここからがようやく、侍ジャパンの3番バッターとも言える高取山のふもとに立っていたのであった。

六甲山を縦走したい!(10)

あきらかに新しい身体に生まれ変わっている。そのような実感が私を突き動かす。階段でも、馬の背に至るまでの栂尾山の急坂でも全然疲れを感じない。荷物の重さにも慣れてきたのかもしれない。

全然関係ないけど昔、こういう話題だから場所は書かないけど日本のはしっこの方の工場で働いていた。そこは単純労働だったから、まあたとえば朝から晩までずっとベルトコンベアーの前に立って流れてくる瓶にキャップをしめていくみたいな仕事って、ちょっと通常の脳のモードではできないから脳の中の何かを人為的にトバす必要がある。トンだ状態でやるわけだけど、そこにいた池田さんって人がずっと瓶にキャップをしめていく的な仕事を毎日同じ持ち場で一心不乱にやっていて、池田さんは季節工として流れてきた人で元々は暴力系の仕事をしていたという噂がありそこは噂というよりも昭和の元暴力系らしく身体のわかりやすい部分が欠損していたこともあってある程度の客観性もあったのだが池田さんって寮に女出入りさせてるらしいよ、誰?誰って課長の、人がいる時には課長の車で、あの人覚醒剤やってるから、おまえ知らんの?だから真面目にあんな仕事できるんじゃん、まともな人間はこんな所に来ませんよ、小西さんだってオウムの、いやそういう話じゃなくってさ、なんの話だっけ?

さっきからちょくちょくトレイルランの人たちとすれ違うけれどあの人らってなんでこんな急坂を走れるのだろうか。歩くならわかるんだけど走るっていうのはちょっと考えられんな、と思った時に、右膝の内側とふくらはぎの上部に小さな痛みが走ったのを私は自覚した。ただこれは少し気になる程度で普通に歩けはする。だがこの先どうなるかはわからないと、一応慎重な想定はしておこう。無理せず身体をいたわって歩けという身体からのアドバイスだろう、文章でこういうことを書くとさ、これは絶対に後々のための伏線やなみたいになるやん、そう思われたくないから起こったことを直叙で書きにくいわな、私はどこまでも、頭の先の1ミクロンから足の先の1ミクロンまで意識を行き渡らせている、なぜなら覚醒剤をやっているから、あほか、こんなものが伏線になって後に右膝の内側とふくらはぎの痛みによってリタイアとかそういう展開になるくらいなら私は恥ずかしくていまごろ死んでますね。(注記:この文章は妻が代筆しています)

ひさしぶりに到着した須磨アルプスの「馬の背」であるが景色を堪能している余裕はなかった。余裕がないというか、自分はいまマリオのスターをとってキラキラ光っているみたいなゾーンに入っているから馬の背でのんびりしているのはもったいないと思ったのだ。400階段のところは人が多かったし、今日は日曜日なのでもっと混雑してるのかと思ったけど、見渡してもせいぜい10人くらいか。ただでもこれよくよく考えたら明るいうちに宝塚に着くためには塩屋を深夜に出る必要があるから、その場合馬の背の岩稜地帯を夜にヘッドライトで通るってこと?それはだいぶこわいかも。
栂尾山、横尾山を過ぎて道中の縦走路の矢印は妙法寺へと伸びている。
せっかく長い階段を上ってここまで来たのに、また山をおりて下界へってか。

他の山の縦走は知らんけど六甲山の縦走ってのはこういう山から町へ、町から山へのアップダウンの繰り返しがだるいのだろう。縦走と聞いてイメージしていたのは山の上をひたすら歩くという山道具のカタログの表紙みたいな行為であった。しかしいま私がおこなっているのはアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』そのままの、でかい岩を苦労して山頂まで転がしながら持って行ったのに、持っていったそばからその岩がふもとまで落下して、それでまた山をおりてその岩を山頂まで上げねばならない、みたいな永遠の繰り返しである、六甲縦走においてはそんな繰り返しが直線距離では測れない、荷重量では計れない負荷となっての行為者にのしかかる。

ちなみに今回の旅では自販機や商店での飲食物の途中補給は考えていなかった。
途中で補給なんてのは偽物で本物の旅をするならリュックの中にすべておさめておくのが筋だろう。
そのように考えていて、だから私を悩ませたのは「では六甲全山縦走においてリュックにはどれくらいの飲み物と食べ物を入れたらいいのか」というテーマであった。
それでとりあえず500mlのペットボトルのお茶を4本入れておいて重い重いとやってきたのだが、私の考えはまったく甘かった。

先ほどの栂尾山南西壁において「やはり水分補給は大事だ」と発見して以来、私は道中気軽に水分補給をしてきたわけであるが、旅の序盤にしておおかたの水分がなくなってしまっていたのである。でもまあ二〇三高地を奪取してくれとなんぼ言われても旅順要塞突撃にこだわり続けた伊地知幸介参謀長じゃないけどこうじゃなきゃダメみたいな頭の固さって良くないから私は補給をする旅も本物だろう、いや補給をする旅こそ本物だくらいに頭をさっと切り替えて自販機をあてにした。するとさっそく妙法寺に降りた所の路上に自販機があったわけ。町ってありがたいねえ……。

自販機で存分に買った水を飲みながら手水舎の前で休憩をした。そこにザックを背負った若者が2人やって来て、首に巻いていたタオルをたまった水で濡らしながら「ああ気持ちええわ。この場所にこんなん(手水台)あったんやな」としゃべっている。きみら孤独じゃないねえ、よくないねえ、きみらの中の加藤文太郎はどこに行ったんやと思いながらも私は彼らの会話に注目した。「ここを通る時っていつもローソンに集中してるから。こんな場所(手水台)全然気がつかへんかったわ」なるほど、この先にローソンがあるのか。一瞬さきほど消費してしまった遭難用非常食のソイジョイやアミノバイタルを補給しようかと考えたがでもあれよな、ちょっと待て、これはさっきの道中自販機での補給をあてにするかみたいな話とは違うかも、違わないかも、現実的な話、六甲縦走においてスーパーやコンビニに期待するってのは危険じゃないだろうか。いくら町だといっても三宮や元町ではないのだし。そんな風に私を慎重な気分にさせたのはやはり先ほど見かけてしまったコーヨー高倉台店跡地から出ていた瘴気、令和的虚無感、いつもやってると思っていた大型スーパーのシャッターが突然降りてしまうニュータウン風景から得た知見である。あれは本当にこわい。だからまあ、自販機はともかくローソンは寄らんでええか。そのようにぼんやり考えていると一台の車が私たちの前で停まり「にいちゃんたち、ここの水は井戸水やからタオル濡らすのはええけど飲んだらあかんよ」とだけ言って走り去った。「六甲縦走でお越しですか?このあたりで疲れちゃう人が多いんですよ。無理したらよくないから、私の車で家まで乗せて行きましょうか」「いえいえ、そんな、お断りします。男たるもの一度決めたことはやりとげてなんぼですから」「そうですか。でもまあここは私の顔を立てて、車に乗ってくださいよ」「そうですか。そこまで言われたら。じゃあすいませんけどお願いします」みたいなやり取りはなかった。

六甲山を縦走したい!(9)

体力的な限界が来ている。
そう考えた私は、息が苦しくなるごとにその場で立ち止まって休むという場当たり的な、中途半端な方法ではなく、リュックをおろしそなえつけられたベンチにしっかり腰を据えるという本格的な休憩法を選択した。先ほどおらが茶屋のベンチで靴下まで脱いでのんびり休憩したばかりではないかという罪悪感や孤高の人としてのプライドもあるにはあるがそうも言ってられない状況、つまり私は決定的にバテていたのだ。

ベンチに座り、地面に置いたリュックから取り出した500mlペットボトルのお茶を一気に飲んだ。飲み干した。
まだ食べるつもりはなかったのだが行動食袋の中からソイジョイを1本取り出して食べた。さらに遭難時の非常食にと考えていたアミノバイタルのゼリーも一気に全部吸い込んだ。その後20分ほどぼんやりと景色を見ていた。昔から神戸に住んでいる人間は今でも須磨のベルトコンベアーが稼働していた(稼働していなくても設置されていた)時代の景色をよく覚えているのだと言う。いくら神戸だけでなく日本全体がガツガツしていた時代とはいえよくこんな大胆な、山を切り崩して海に持って行って人工島を、そのためのベルトコンベアーを、切り崩した跡地に町をひとつ、みたいな豪胆な開発ができたものである。でもあれよな。その頃は良くも悪くも純粋に前しか見ていない時代というか、今は希望しかなかったニュータウンは過疎化高齢化してあれよ、高倉台団地のコーヨーの閉店、山トレでちょくちょく買い物していたコーヨー、私とか他登山者はしょせん部外者の利用だからあれだけど地元民はどうすんの、めちゃくちゃでかいわな、めっちゃ時代を象徴してると思う。でも角幡さんと服部さん(記憶が超あいまいだからフルネームでは書かない。いろいろ間違ってる可能性が高いから迷惑をかけてしまう)のどこか(YouTube?)の対談だったかで、角幡さんが日高山脈を彷徨してもどれだけ奥地に行っても人工物があるみたいな話で、話が崩壊登山道だっけ、そういう話題になり、いろいろな人工物がこのまま崩壊していったらどうなるんだろう、ハハハ、長いスパンで考えたら原始に帰っておもしろいじゃないか、みたいなあれがあって、自分もそうであるところの一般の人間ってのは崩壊していくものに対しては「なんとか元にもどせんだろうか」的なベクトルでものを考えてしまうのだが怪物2人の対談はやっぱすごいなと思った、たしかに千年とか1万年とかの流れで考えたら崩壊するならすればいい、1億年とかで考えたら原始の自然に還るだけ、みたいな、ナウシカっぽい?おもろいわな、おもろいかどうかはともかく思考に風穴が開くっつうかな。大昔、上海から大阪だったか神戸だったか行きの船で出会った上園さんを思い出した。4年かけて自転車で世界一周をしてこれから日本に帰国するところだと言っていた。4年かけて、という時間や、自転車で、という方法や、世界一周というスケール、何もかもが当時19歳の私には未知であった。それだけ長い時間をかけて世界中を周るなんてどんな気持ちなんですかねみたいなことをと聞くと上園さんは「あなたもぼくと同じことをするタイプだと思う。だからここで聞かなくてもいつかわかりますよ」と言ったが結局私はそのような大それた冒険は何もせずにあれから30年の時間が流れて初老などという言葉を舌先でころがしながら近所の山で息をハアハアいわせている。

休憩した後、歩き出すと、不思議な変化があった。

足腰だけではなく、体全体に力がみなぎって、一歩一歩に力が入るようになっているのである。ここで私は、身をもって深く理解した。

どうやら、山で動けるかどうかはエネルギーの補給にかかっているらしい。
つまり道中の適切な水分補給と、エネルギー=カロリーの補給が山歩きには必須であり、おそらくわたしはわざわざリュックをおろしてお茶を取り出すめんどくささを忌避するあまり単純に水分不足になっていた=力が抜けたのだとわかった。ここはあくまでも推測であるが「疲労の原因は一に水分不足、ニにエネルギー不足」これは体感として絶対であった。
「水分補給とエネルギー補給は大事やで」こういうのは山歩きをするにあたっては大前提として持っていなければならない知識なのだろう。山動におけるパフォーマンスは基礎体力をベースとして「水分の補給」「エネルギーの補給」「休憩」の配合ですべてが決まる。山歩きは料理と同じである。

なにせ急に体が動くようになっている。
太ももやふくらはぎだけでなく「全身の巡り」みたいなものが生き返っている。
私は登山者として必要な知識を得たこの瞬間からコイキングがギャラドスになるように登山者としてだけではなく生物としても数段階ステップアップしたのだと自覚した。
山を歩くという行為についてギャラドスからコイキング達にようこそ先輩的にアドバイスをするとすればだね、まず私たちは最初山で「動く」という状態にありますよね。そして、疲れたりしたらその都度休憩したり飲み物や食べ物を補給したりしますわな。
しかし、これってあくまでも平地で散歩する場面とかで有効なやり方なのである。
後輩達よ、山ではそれは通用しない。

登山においては「疲れたなあ→休憩」とか「のどがかわいたなあ→お茶」では手遅れなのだ。「山で動く」を常態としてキープするためには、生理的な訴えが内奥から湧き上がってこようが来るまいが、常に飲食料の補給を細かく重ねていくのが大事なのである。たぶん合っていると思う。おしっこしたくなってからトイレをさがしてもトイレがないみたいな。それは違うか。全然違うかも。

ともかく私の体に起こった突然の変化はあきらかに飲食料の補給によるパワーだろう。
何度も重ねて書くが長時間の山歩きをするためには「お腹がすいたから」とか「喉がかわいたから」という体からの訴えを待ってからの補給では遅い。お腹がすく前に、喉がかわく前に、「身体とはそういうものなのだ」という理解の元で定期的に栄養なり水分なりを補給していく、とにかくお茶は細かく飲めという話である、わかったかね?動く、動くぞ、なんだこれ、私は進化した新しい体で難攻不落の400階段がそびえる須磨のマッターホルン栂尾山南西壁を制覇した。

六甲山を縦走したい!(8)

日曜日なので須磨アルプス中心部の「馬の背」周辺は混雑するだろう、そこにぶつかるとせっかくの雰囲気(孤高の人感とでも言おうか)が台無しになるから、出来れば朝のうちに混雑ポイントは通過してしまいたい。出発時点ではそう考えていたのだが、いま目の前に長く伸びている栂尾山への入り口に設置された通称「400階段」にはすでに登山者が6人見える。平日ならほとんど人がいないのにさすが日曜日である。でもまあ今さら雰囲気がどうのこうのと言ったって出発からすでに何十人もの登山者とすれちがっているのだし、それにこれを混雑とか言ったらバチが当たる。ゆうて6人である。東京の高尾山なんて段違いの人ごみなわけだしあれよな、なんやかんやで神戸は人間が少ないなと感じるのはたまに用事で大阪駅に行った時で、このまえも妻のGショックの修理受け取りに梅田に行ったんですが梅田は宇宙ですな。ハーバーランドに行くとたまに何かのイベントにかち合う日があって「人が多いなあ」て思うけどハーバーランドだけじゃなくて神戸市の人口と同じくらいの人がヨドバシカメラとグランフロントのあたりにいる。

……………………

……………………

さっきから、上っても上っても階段が終わらないではないか。

この400階段にしても減量期のトレーニングのために何度か使ったことがありこちらとしては慣れたもの、というほどにナメた気持ちはないにしても、どこかにこう、馴染みの場所やんか〜くらいの気易さはあった。しかしやはりトレーニングの時の手ぶらで上るのと縦走のためにリュックを背負って上るのとでは全然違う競技をやっている感じがある。トレーニングのために使っていた時は階段だけが目的であったけれど、縦走の場合だと400階段など長い道のりの中の小さな通過点にすぎない。

私は目の前に長々と伸びる、上り切ったところで何が達成されるわけでもない石造りの長物を前に圧倒的な徒労感と絶望感を感じている。
もう嫌だ。もう嫌だ。
なにせ直前に高倉台の長い下り階段に苦しんだばかりである。
せっかく標高246メートルの旗振山を始めとした巍峨険阻たる垂水アルプスを縦走し命からがらおらが茶屋にたどりついた、そう思った矢先に上ってきたばかりの山をすべておりろという指令を高倉台の階段から受けた、その無情階段を数百段、たったいま下りてきたばかりである、なのにまた、数百段上らなあかんのか、というシーシュポス的徒労、イヤだ、イヤだと大腿四頭筋はこれ以上の出動を拒否している。
立ち止まって、ゆっくりと眼下の世界をふりかえった。

これ、どこかで見たことがあるなと思った。
そうだ、北斗の拳のサウザーが聖帝十字陵を作るのに、南斗の仁星のシュウっていたじゃないですか、ケンシロウをたすけるために自分の息子まで捧げた乃木希典みたいな人。そのシュウがぼろぼろになりながら、村人か何かを人質にとられているために聖帝十字陵の石をひたすら積み上げていく場面、あれといっしょだと思った。そう考えると栂尾山の長い階段はなんだかピラミッドっぽいし、たぶん武論尊はこのあたりの景色を見てあの伝説の場面を思いついたのかもしれませんな。

北斗の拳ってさ10年くらい前に究極版が出て、その時に全巻買ったら複製原画のプレゼントってのがあったのね。それで同じく伝説の場面でマミヤの乳首シーンってのがあるじゃないですか、私はあれの複製原画が欲しくてそのために全巻買った。でもそのあと神戸に引っ越すってなったから東京時代の荷物(おもに本)をほとんど処分することになって北斗の拳の究極版全巻も当時三鷹に出来たばかりのしゃれた感じの古本屋に持って行ったんだけど、でも今から考えたらあの古本屋、せっかくしゃれた店をかまえたのにゼノンコミックスの北斗の拳全巻を持ち込まれても迷惑だっただろうな。でもああいう洒落た本屋やってるような人ってこっちがそういうことを言うと「いえいえ、ぼく北斗の拳こどものころ大好きだったんですよーうれしいですー」とか言うねんな、うれしいんやったら10万円で買えや、ムカつくねんけど。

階段の合間に設置されたベンチごとに休憩しながら考えごとをしていると、老人だけでなく若者たち、後から来た登山者たちに続々と抜き去られて行く。
彼らはどこから来てどこに向かうのか。
私と同じ、縦走仲間なのだろうか。
いや、私には仲間などいない。
どいつもこいつも滝に落ちて死んでしまえよ滝ないけど。
滝に落ちて死んだ人おったよな自撮りで……。ああいうの他人事ちゃうてな全然。
体が押しつぶされるようにだるく重い。私は意を決していったん荷物を全部下ろし、半端な形ではなく本格的な休憩体制をとった。ここがやめどきなのかもしれないとも思った。

六甲山を縦走したい!(7)

 標高246メートルの旗振山を過ぎ、標高237メートルの鉄拐山を過ぎ、私はようやく対流圏と成層圏の境となるおらが茶屋の展望所に着いた。あたりの景色や見下ろす町なみは神戸市が1960年代からおこなった、山をごっそり削り取って海上都市建設用の埋め立て土砂に使うという「山、海へ行く」と呼ばれた(今の時代にはあらゆる意味で出来そうにない)開発手法の舞台、ど真ん中である。出発した時には靄が出ていて夜を引きずる薄暗さもあったがもう完全に朝である。ベンチに腰をかけ、本格的な休憩に入るべく靴と靴下を脱いだ。素足を空気にあてると気持ちいい。むきだしになった足裏が呼吸を始めている。靴下を脱いだままあぐらを組んでリュックの中からメロンパンとSAVASのプロテインドリンクを出して朝ごはんを食べた。

最近ファミリーマートのメロンパンにハマってしまい「メロンパンってすごくおいしい!」と気づいたのだが、自分としてはこれはメロンパン全般が好きになったのだろう、そういう体質になったのだろうくらいにとらえていた。だから今食べているのは昨夜のうちに近所のスーパーで買っておいた88円のメロンパンである。しかし、食べ始めてすぐに理解した。私はメロンパン全般ではなくてファミリーマートの『ファミマ・ザ・メロンパン』が好きなのだ。

これはなんの違いだろうか。まず何よりも名前の「ザ」の位置がキン肉マンで言うところの「ビッグ・ザ・武道」みたいで格好いい。あとさくさくの部分も全然違う気がする。近所のスーパーのメロンパンがおいしくないわけではないのだが、これは別になくても困らないおいしさであり、あの時の出会いがもしもファミマのメロンパンではなく今現在手にしているこのメロンパンだったらそれは運命の出会いとはならず、私はこんなにもメロンパンが好きにならなかっただろうから、そうなると今は別のパンを手に持っていたのかもしれない。出会いとはどこまでも偶然である。何かの偶然で一瞬自分の手のひらの上に何か(この場合はファミマのメロンパン)がのって、それをしっかりとにぎりしめていればよかったのに私は別のメロンパンを買ってしまった。「ビッグ・ザ・武道」て名前は文法的にどうなんだろうな。

出発段階からここに至るまでに健脚老人たちとすれ違いすぎて孤独の旅路感はすっかり色褪せてしまった。しかし88円のメロンパンをかじりながらこうも考えた。私もこの先想定外の要因で中途で死なないかぎり高齢者になるのが生命体としての既定路線である。ならば、どうせなら将来的にはここですれ違ったような健脚老人の側にいたいものだ。日頃から近所の山に出入りするだけの体力と気力を有した彼らの側にいたい。たぶん体力と同じくらい気力も大事なのだと思う。ファミマのメロンパンがメロンパン全般ではないように彼らもやっぱ老人全般ではなく人生の岐路ごとに勝ち残っていった特殊老人コマンドーみたいな勝ち残りジジババたちなのだ。

そう、岐路である。自分にしたって、体重を25キロも落とすというのは人生的に重大事件なわけで、その最中の私には明確かつ重大な岐路が見えていた。このままでいるのか、それともあちら側を目指すのか、というような。いまでも五十を前にしてそのような岐路が見えている。何かに到達できたわけではない。ともかく私には子供が生まれた四十歳の時には子供のことだけを考えていればよかったから見なくて済んだ岐路がこのたびはくっきりと見えてしまっているのだ、などと熱心に語るとその話を聞かされた他者は冗談だと思って100パーセント笑う。本気で語っているのになぜ他者は笑うのだろうか。それは他人事だからだろう。結局自分の目の前にあらわれた岐路は自分で処理していくしかない。その姿が真剣なものであるほど他者からは滑稽にうつるのだとしても。

ともかく山で出会う健脚老人問題である。こんな感じの岐路がこれから六十代を前にしてもやって来て、七十代を前にしてもやって来て、出発時に私は「初老をつきつけられる」などと書いたがそんな言葉遊びみたいな「初老」じゃない、本格的な老いと死を突きつけられるような岐路がいつかあらわれるのだろうよ、そのとき自分は「じじいのくせに往生際の悪い、じじいは家にこもって猫でもなでとけや、おまえはじじいやのに何をやっとんねん」みたいな側、つまり朝っぱらから山に登ってラジオ体操をしている側に行けるのか、それが問われている気がした。私の足裏はその気持に応えてくれるだろうか。十分風にあたった足裏に、しっかりがんばってくれよと声をかけながら靴下を履き、おらが茶屋の先の階段を降りた。せっかく成層圏近くまで登ったのにまた地上におりてきて、そしたらまた天空にまで伸びていく長い長い階段が私の前に立ちはだかる。はたして無酸素で登れるのだろうか。ここからはいよいよ須磨アルプスである。

六甲山を縦走したい!(6)

しかしあれですな。
先ほどから孤独の旅路、孤独の旅路、と唱え続けて雰囲気を盛り上げようとしているにもかかわらずどうにも調子が出ないのは、体の重さはさることながらさっきから登山道がぜんぜん孤独ではなくて早朝から体力があり余ってそうなトレイルランナーや地元の老人たち(毎日登山組)とすれ違いまくっているからである。孤独の旅路感がまったくない。いつかあの世で縦走した理由を聞いてみたいなどと書いたが1975年の第一回縦走大会に出ていたモノクロームの若者たちは案外まだまだ現役で山に登っているのかもしれない。このあたりさすが毎日登山の町であると感心し、私はといえば途中で何度も休みながらようやく縦走路最初の山頂近くにたどり着いた。

予想していたことであるがあたりのベンチは早起きのご老人たちの談笑の場となっておりさながら登山老人の万博会場といったにぎわいである。その後もわらわらとやってくる老人軍団に囲まれていると孤独の旅路感を求めていたこと自体を忘れていき、ともかく朝の山には下界とはまったく違う文化圏があるのだと感心する。

彼らは何時に寝て何時に起きているのか。ゼルダの伝説に出てくる森の妖精コログみたいに山に住んでるんじゃないのか。しかもみな軽装であり、なんならこれからラジオ体操でも始まりそうな雰囲気さえある。なんかほんま、ゼルダの伝説で山を登っていったら見たことない種族の村を見つけたみたいな感じやなと山頂の毎日登山村に感心しせっかくお会いできたのだと思ったのでさわやかに「おはようございます!」とこちらから声がけをした。それにしても「おはようございます」「おはようございます」と挨拶をかわし合っていると、大げさなリュックを背負って全身で山に対し身構えている私だけがあきらかにここでは場違いな感じなのが実感できる。

とりあえずあいたベンチに腰をかけ、ひと休みしていると目の前に新しい初老紳士がのぼって来て私の前で立ち止まったのでこの場にいる誰もにそうしたように新参者としてこちらから「おはようございます」と声をかけたのだが初老は私に対しほんの一瞬だけ目をくれたのみで挨拶などの言葉は返ってこなかった。おい無視か、とは思わない。この場では私は新参者なのだから。それに登山道で挨拶が返ってこないことなどはごく普通にあるのである。

本当に骨の髄までさわやかな、挨拶好きの人も中にはいるだろうが、多くの登山者というのはお互いに「おまえのことなんてどうでもいいのだが、山のルールとして仕方なく」といった具合に挨拶をかわし合っている。そして、そのように、知り合いに会ってうれしいから挨拶をしている、とかではなく「ルールやねんし、まあ仕方なく」くらいの感じで挨拶しているからこそ、聞こえているにもかかわらずあきらかに挨拶を無視されるとムカつくわけだ。おわかりだろうか。

これは信号機に例えるとわかりやすいかもしれない。歩行者として「まあ仕方なく」というくらいのノリで赤信号を待っている場合、横からシュッとした感じで「知らんがな」とばかりに信号を無視するやつがいたらムカついてしまうのとたぶん同じ原理である。ただまあすでに書いたように、ここは登山道ではなくひとつの集会所みたいな感じになっているし、それに集まっている人も知り合い同士が多いのだろう、私はあくまでも部外者である、と思い一瞬イラッとしかけたものの自分の中のアンガーマネジメント機構のスイッチを入れてムカつくことはやめにしておいた。

にもかかわらず、ムカつくことはやめにしておいてやったにもかかわらず、許してやったにもかかわらず目の前の初老は私を無視したあとで平然と、奥のベンチにいた女性2人連れに(私を飛び越えるように)笑顔で声をかけているのであった。
初老「(私の頭の上で)おはようさん!」
女「(私の頭の上で)●●さん今日もお元気で。この前教えてもらったヤマダストアに行ってきたよ」
初老「(私の頭の上で)そうか。よかったやろ」
女「(私の頭の上で)うん、教えてもらった道順どおりにいったら迷わんと行けた」
すべての平和な会話が私などいないかのように私の頭の上でなされている。もしかするとこれは「きみ、そこはボクの定位置で、そこのベンチに座られたら邪魔なんやけど」と間接的に言われているのではないだろうか。今の私は大雪の中ようやくたどり着いた立山連峰の剣沢小屋ですでにいた6人組に外に追い出された(『孤高の人』上巻p387〜)加藤文太郎に地上でもっとも近い位置にいるのかもしれないな、そう思った時早朝の登山道に砂埃に汚れた木綿の着物を着て杖をついた盲目の座頭があらわれて私を残してこの場にいる全員を一瞬のあいだに居合で斬り殺してしまった。あっけにとられる私に向かって座頭は「迷惑かけたね、気をつけて行ってらっしゃい」とだけ言い残して去ってしまった。あとに残された私はそうだそうだ、さっきから孤独の旅路の歌詞を見ようとしてたんだった、と思い出しスマホの検索窓に「ハート・オブ・ゴールド 歌詞」と入れたらエグザイルの歌の歌詞が一番上に出てきた。

六甲山を縦走したい!(5)

天気アプリによると今日は一日曇り空になってはいたが降雨予報はなく、9月とはいえ夏の名残でまだまだ強い日差しを考えれば曇天はむしろ恵まれているといえる。登山道はまだ薄暗いけれど注意すれば十分に歩ける程度の明るさはあって、これから刻一刻と朝になるわけだからヘッドランプはつけなくていいだろう。都市部ではもう聞こえなくなったセミの声が周囲を木々に囲まれた道にはまだ響いていて、それに鳥の声と鈴虫の鳴き声と落ち葉を踏みしめる自分の足音だけが今ここにある音の全部だと思って歩いているうちにも少しずつ周囲も明るくなっていく。ニール・ヤングの『孤独の旅路』という曲名が浮かぶ。一段、一段のぼるごとに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、とリズムをとり、心の中で声にしながら進んで行く。

孤独の旅路ってなんかアルバムタイトルっぽいけどアルバムは『ハーヴェスト』だったな、『ハーヴェスト』と『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』はどっちを先に聴いたのか忘れたけどニール・ヤングの二大こんな音楽があったのかアルバムだ。ボブ・ディランとニール・ヤングがいるアメリカ人がうらやましかった、十代の最後の年に聴いたんじゃないか、て書きながら思ったけど、音楽とは関係ないけど、私は酒の「のむ」を「呑む」て書く奴は悪魔だと思ってきた、呑むじゃなくて飲むって書けよと、けれど自分だっていま「きく」を「聴く」て書いたじゃないか。それだって他の人からしたら悪魔だと思われるのかもしれない。「飲む」を「呑む」て書く奴の漢字の選別から見えてくる自意識がほんまうっとおしい、と言いながら自分は音楽を「聴く」と書くときに「聞くじゃなくて聴く」みたいな選別感があるよな、とは以前から思ってた、きくを聴くと書く時に自分には何かがあるなと、なんか「こっちの漢字を選んで書いている」みたいな時に己の中の嫌なものを見せられるようで嫌になる、そういうのに「もうめんどくさいわ」となり、みんな糸井重里っぽく漢字をひらく感じになっていくのかもしれん。ひらくのはひらくのでクセが出るから使い方が難しいとは思うけど「きょうだい」とかはひらいて書くほうが好きだな。

それにしてもまだ5分も歩いていないのに息が激しく切れている。これはなぜか。プレッシャー?「やったるで」みたいな気負いからだろうか。なんせ歩き始めにしていきなりであるが体がめっちゃ重い。塩屋の登山道は何度ものぼっている慣れた道なのに、この体の重さはなに、てくらいの。でもこれまではほとんど手ぶらの状態で登ってたから、なるほど、今日のように荷物を背負って歩くのと手ぶらで登るのとでは同じ登山でも別の競技みたいな感覚なのかと学んだ。自分はずっとheart of goldを探してきた、そうやっているうちに、and I’m getting old……(ずいぶん年をとってきたわいな)て、これは『孤独の旅路』原題ハート・オブ・ゴールドでくりかえされる印象的な部分だ。ハート・オブ・ゴールドを孤独の旅路てなんか、あまりにも直球な、まあそう言うならそうなんだろうけどそう言う?みたいな訳ですな。

そういえば神戸市がYouTubeで公開している1975年の第一回六甲全山縦走大会の映像(映像というか写真をつなげたもの)をきのう見た。モノクロの景色の中にいる健脚そうな若者たち、あれも今では例外なく死んでいるかよぼよぼなのであろう、そんなことを思いながら。どんな生き方をしようが年をとる、生まれたからには死んでいく、みんながみんな、and I’m getting oldなのである。先ほど玄関で尻もちをついた時、ふいに「初老をつきつけられる」という言葉が浮かんだ。生命が例外なくたどっていく死への入り口、それが初老である。死の玄関口、て、まだ早いか、年寄りに笑われるわ。三十代の奴が自分のことをおっさんって言ってたらおもろいもんな。私も三十代の時に自分のことをおっさんって言ってたけど。「老」もそうで、今なんか調子こいて使いたくなるけど七十代とか八十代の人からしたらおもろいんやろうな。でもニール・ヤングってand I’m getting oldのハート・オブ・ゴールドを作ったのがまだ二十代やろ、老成しすぎだろー。尊敬よなあ。

考えてみれば、私は2年前と比べたら体重を25キロも落としているのである。それまでに背負っていたペットボトル50本ぶんの肉塊に比べたら、今の荷物ってせいぜい、なんぼお茶を2リットル持っているといったって合計5キロくらいしかないはずだ。それで尻もちつくってのもたいがいよな。でもあれか。100キロの人間が持つ5キロは体重の20分の1だけど50キロの人間が持つ5キロは体重の10分の1みたいなあれもあるのかな。どうでもいい。なぜ私は縦走をするのか。第一回六甲全山縦走大会の、50年前のその時の瞬間を写真におさめられた彼らの、モノクロームの映像が脳裏をよぎる。今さら何をやったところで誰もがこの先老いて死んで行くのに、なぜ私は縦走をしているのか、なぜ彼らは縦走をしたのか、何をやったところで老いて死んでいくだけなのに、と思うとつまらないこだわりとか、夢とか希望でさえもどうでもよくなるような気がしてくる、どうでもいい、何をやったってやらなくたっていっしょである、だからこそ彼らは縦走をしたのだろうか、いつかあの世で聞いてみたいものである、そうそう、いつかあの世でといえば尾崎紅葉の『多情多恨』を読んで私は重要なことに気づいたのだ、でもそれは今度にして、今は体が重い、足がだるい、息が上がる、いつもはもっとラクなのに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、と念仏のように唱えながら私は一歩、一歩、(ところどころで息をつきながら)歩いた。

六甲山を縦走したい!(4)

神戸市が発行している六甲全山縦走MAP(このMAPは「防水素材のマップは、少雨時の雨よけとして使用できます」などと書かれているのがよい。超合金ロボットだけど実はライターみたいなゴールドライタン的というか。雨よけになる地図て、効果はともかくそのメッセージの心意気だけで買いたくなるではないか。ちなみに六甲山系の大きく広げるタイプの地図はこの神戸市版と吉備人出版の「六甲山系登山詳細図 西編・東編」があって吉備人出版のやつがまあ断然……いいんだけどなんせでかい。これはでかい家に住んでる人用の地図ですな。うちなんて狭小長屋だから吉備人出版版を広げる場所がないのである。こんなものを広げたらトイレにも行けない。奥多摩とかのさ、古民家とかに引っ越して吉備人出版版六甲山地図がいつも作業台に広げられている、壁には山道具とか釣り道具が無造作に釘にひっかけられて並べられているみたいな優雅な暮らし、来世でやりたいですなあ。

その点神戸市版は大人が両手でぱっと広げられる感じの手頃な大きさだから立って半畳の状態で読めて庶民的である。それで傘にもなる。なるんか?あと吉備人出版の地図は長らく「西編」が品切れ状態になっている。しかし最近の吉備人出版の方のブログで西エリアの地図調査をされていたので、おそらく近年中に新編を出される予定なのであろう)を参考にしながら登山アプリに全縦走の地図を描いてみると、予想タイムは22時間と出る。距離合計は42キロ。時間はともかく距離に関してはもう少しある気もするなあ。登り合計2838メートル。下り合計2803メートル。と、スマホの画面上で親指でちょちょっと動かしながら全体風景を見ているかぎり、「まあなんとかなるんじゃないか」というような根拠のない不思議な自信が湧き起こってくる。

ただこれってあれよな。普段からスポーツ競技をやってる人間だったら「いまのところの自分の限界値」てのが常にわかってる(突きつけられている)じゃないですか。野球のピッチャーをやってる人だったら自分の最大球速を知っているし陸上競技をやってる人だったら……云々。で、私のように何もやっていない人間の最大の不幸ってのは自分の限界値を知らないことだと思うわけ、そういう奴は勘違いで「なんでもやれるんじゃないか」とか思っちゃう、というのは大昔から思っていて、先に書いたように私は18歳の時に大阪から広島までの道を歩こうとしたことがあるんだけど私はその時はじめて自分の「いまのところの歩行の限界」みたいなのがわかったわけだ。何も知らない段階ではマノン・レスコーのラストシーンみたいに世界の涯てまで行けるのかと思っていた(マノン・レスコーなんてそれこそ30年くらい前に読んだ小説だからめっちゃ適当に書いたよ)。それが、1日に20キロ、であった。それ以上歩くとマメがつぶれてやばい。だから300キロ歩こうと思ったら1日30キロを10日間ではなく1日20キロを15日間というペースにしておかないと足があれになってしまう。みたいな数値を歩きながら学んだわけです。

それで、先に書いたようにそんなもんいつのデータやねんて話だけどそれでもやで、普通に考えてこの30年で自分の肉体が謎の進化を遂げたとは考えられんわけ。当然退化してる、と考えるのが当たり前ですやんか。そしたら、数字だけを見てもアップダウンのある山道の50キロを自分は歩けるのか?となるのが、正常な現状認識ということになるわなあ。それをいま、アプリの地図を見ながら親指をちょちょっとやって「なんとかなるんとちゃうかなあ」とか思っている私のこの精神状態ってのは『坂の上の雲』で司馬遼太郎がいってたところの昭和軍人の「信じがたい神秘哲学」というやつではないだろうか。

 たとえていえば、太平洋戦争を指導した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想がそれであろう。戦術の基本である算術性をうしない、世界史上まれにみる哲学性と神秘性を多分にもたせたもので、多分というよりはむしろ、欠如している算術性の代用要素として哲学性を入れた。戦略的基盤や経済的基礎のうらづけのない「必勝の信念」の鼓吹や、「神州不滅」思想の宣伝、それに自殺戦術の賛美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学が、軍服をきた戦争指導者たちの基礎思想のようになってしまっていた。(3巻 p196) 

司馬遼太郎ってほんま昭和の軍人をぼろっかすに書かはるよなあ。あれはたしか二十年くらい前だったか、産経新聞が『坂の上の雲』を新聞連載時の形で再掲載してた時期があって、産経新聞って右よりな印象だけど、日露戦時代はヨシ、大東亜時代はアホみたいな司馬史観ってのは産経新聞の思想と整合性がとれているんだろうか、ともかく「欠如している算術性の代用要素」としての「世界史上まれにみる哲学性と神秘性」……というのは私がいまふつふつと抱いている六甲縦走を前にした謎の自信と全能感を解釈する言葉としてなかなかふさわしいと思ったわけだが、とりあえずまず私が考えないといけないのは縦走に持って行く荷物である。

スマホ充電用のモバイルバッテリーとヘッドランプは最重要装備で、あとは雨具やら、山道でスマホを落としたら最悪なのでスマホをつなげておくためのチェーンみたいなやつもホームセンターで買った。あと靴擦れ用の絆創膏。そういうのの他に、一番かんじんの飲み物と食べ物。これはあれよな。万が一不測の事態が起こってしまった時のために2日くらいは過ごせる程度の行動食……と書くと大げさかもしれないが食べ物はいろいろ入れた。あとお茶のペットボトル、500mlを4本。

飲み物がけっこう迷うところである。なるべくなら途中補給(現地調達)をアテにしたくない。なんぼ六甲山とはいえ最初から途中補給をするつもりで少量の飲み物だけってのはちとこわいやろー、どこに何(商店とか自販機)があるのかもわからんし、というあれよりも私は角幡唯介の『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』を読んだのである、49日も漂泊しませんけどせめて自動販売機をアテにして山に入れるかい!という気持ちは忘れずにいたい、岩魚とかは釣られへんけど……、そう思って、重くなるけど合計2リットルの水分を持ったわけだが、しかし予定タイムが22時間と出てる旅路でハタして2リットルってのは適量なのだろうか?そのへんがまったくわからないのである。ちなみに食べ物はおにぎり4個とメロンパン、ヤマザキの薄皮つぶあんぱん、あとカロリーメイト2箱、他お菓子とか、お菓子ってのはミニ羊羹とラムネかな。このあたりも実際これが適量なのかどうかがわからない。なにせいろいろと未知数なのである。データがない。

それにしてもやっぱり2リットル分のお茶を入れたら途端に重くなるよな……などと思いながら、さていざ出発の日の早朝、リュックを背負ったまま玄関でしゃがんで靴を履き、そのまま立ち上がろうとした瞬間、荷物の重さで盛大に尻もちをついてしまった。なんか幸先が悪いなあというか、もう若くはないのだ、みたいなことも考えた。登山道はまだ深夜を引きずっていて、仄暗い。

六甲山を縦走したい!(3)

私には、より大きな問題がもうひとつあった。
それは、六甲縦走決行日として設定した9月14日の日曜日は昼にはカネロ・アルバレス対テレンス・クロフォードのスーパーミドル級タイトルマッチが、夜には井上尚弥対ムロジョン・アフマダリエフのスーパー・バンタム級タイトルマッチが放送されるということであった。
まさにドリームデイである。
私はすでにふたつのタイトルマッチを観戦するためにNetflixに890円、Leminoに990円を払って有料会員になってしまっているのである。

ボクシング観戦に何の思い入れもない人間からしたら「そんなん配信やねんから後で見たらええがな」かもしれない。しかし違うんですな。私は毎年なんやかんやいってX(昔はツイッター)のテレビ実況馬鹿(年末になると紅白歌合戦とか漫才コンテストを見ながらSNSに感想をつぶやきまくるネジのゆるんだ狂人)たちの影響を受けてしまい「こういうのは見とかなあかんのかな」みたいな気分になるので毎年紅白歌合戦を録画してるんだけど、一度だって年が明けてからその録画を見たことがほんまいちッッッ度もない。やっぱああいうSNSでテレビ番組を実況しまくる頭の腐った狂人たちが実際ネジのゆるんだ狂人であるのは置いといても紅白歌合戦ってのは12月31日のあの時間帯にリアルタイムで見てこその紅白歌合戦なのだろう。それくらいは自分にもわかる。

……というのと同じで、カネロ対クロフォードも井上尚弥対アフマダリエフも録画ではなくリアルタイムで見ないといけないことは始まる前から決まりきっている。しかも、この日おこなわれるふたつの世界戦はどちらかを見ればいいというものではなくどっちも外せんわ。しかも絶対に山の中では電波が通じない=世界戦が見れないし。とはいえこちらとしては9月14日を外したら次にいつ丸一日の自由時間が作れるかがわからない、つまり決行日は延期できない。

縦走に行かねばならない。
ボクシングを見なければならない。

自分に突きつけられたこのどちらかを取ればどちらかが取れないみたいな難しさは8月の、大阪万博に行かないといけない、しかし万博に行ったらこれまで私を支えてくださっていた維新嫌いの万博反対派の左派系文化貴族っていったらあれだけどカルチャー的に高級な趣味をお持ちの、コーヒーは好きだけどトップバリューの安いコーヒーはまずくて飲めませんみたいな、でもあいつら性格は悪いけど行儀だけは良いから絶対にそういうことは口には出さなくて、だからトップバリューの安いコーヒーもユニクロも口では否定しないけどでも自分の家には絶対に置かないし着ない(そのくせ「ユニクロいいですよね。下着はユニクロなんですよー」とか言う)、そんで2千円くらいするややこしそうなスパイスカレーをカチャカチャ音ならして食ってそうな奴とかいるじゃん、DJやってたりDJのまわりで踊ってたりTシャツはなんかムカつく感じでこだわってたりする男子でも小便は必ず座ってしますみたいな気高い連中から「あいつ、万博なんか行きよった。きっしょ」みたいに思われてしまう、みたいな感じか、違うか、ミャクミャク〜。

9月の某日。近所のコンビニまでの道をヒカリさんと並んで歩きながら「ぼくは近いうちに六甲山の縦走に行きたいと思ってるんよな」と打ちあけた。
するとヒカリさんは「あー。掃除のやつ?」と言った。
なるほど、以前(といって数ヶ月ほど前の話になるが)、炊飯釜のこげを落とすために重曹を使ったことがありその時ヒカリさんがいたので重曹を使った掃除法をこまかく教えたのだ、その記憶があったためだろう。

「掃除のじゃなくてこの場合のじゅうそうはタテに走ると書く、つまり六甲山のはしっこからはしっこまでずっと歩くっていう意味」
「?」
「縦に走るやけど実際は横に歩くイメージ?」
「3日くらい?」
「3日もかからへんよ。1日くらい」
「クマは出る?」
「クマは出えへんと思う。六甲山やからイノシシが出るかも」
「イノシシが出たらどうなるの?」
「そりゃ……お互いびっくりするんちゃうかな……」

ファミマでカフェラテを買い、家に帰るまでの道すがらヒカリさんは真面目な調子で「死なないでね」と言った。私はそのとき心のなかで(このセリフ、どこかで聞いたことがあるぞ。映画『フリーソロ』で命綱なしでエル・キャピタンに登ろうとするアレックス・オノルドを心配するサンニ・マッカンドレスのやつや)などと思ったのだが、しかし私の場合どう考えても極限的アスリートの英雄的行為の延長上にある死の影みたいな格好いいあれじゃないですわな。富士山を登っている姿をニコニコ動画か何かで実況配信してて滑落して亡くなってしまった方が何年か前にいました、ああいう調子こいてうっかり遭難系っていうか、ちょっと前に剣岳でもそういう人がいたよな……ていう側やろ。

でもだからこそ、なんならアレックス・オノルドよりも私の方が、よりリアルな死がそばにあるのかもしれない。スマホを見ながら山道を歩いていて谷に落ちたりする感じのうっかり滑落系中年なあ。だからこそヒカリさんからふいにかけられた言葉は夏の暑さがまだまだ残る9月の陽気にてらされて揺れながら光輝くカフェラテの平和な感じに似合わず重く響いた。
「死なへんて」と私は答えた。

六甲山を縦走したい!(2)

六甲全山縦走計画。なんとも魅惑的な響きである。
実行日は妻と子が早朝から出かけている9月14日の日曜日と決めた。この日ならば翌月曜日も祝日なので万が一不測の事態(日をまたいで遭難とか)が起こったとしても子供の朝ごはんの準備とかがないのでなんとかなる。
しかし、実行するにあたって根本的かつ深刻な問題がふたつあった。
ひとつはそもそもの体力のなさである。

一応この2年は減量期間であったので(『幸あれ、知らんけど』という本に詳しく書いた)1日1万歩以上歩くことを実践してきたし近所の山にもちょくちょく通いはした。しかしそういった軽い運動と六甲全山縦走とでは世界がまったく違う気がする。今となってみれば若い頃から飲酒と喫煙習慣だけは立派に身につけて一切の運動習慣を持たずに生きてきた過去を呪いたい。そういえば十代の頃から存在が気にかかっていたものの読む気にならず、なぜか今年になって全6巻をいきなり読み終えた沢木耕太郎の『深夜特急』で、作者がギリシャの古代競技場跡でたたずんでいると若いアメリカ人バックパッカーがやってきて短距離走の勝負を挑まれる場面があるのだが(たぶん5巻)、そこでさらっと書かれていた事実によると沢木耕太郎ってさあ、若い頃から陸上競技で身体を鍛えていた超体育会系の人間だったのだな……。
そりゃいくら若いとはいえ『深夜特急』みたいなハードな旅は文系のボロ瓢箪には出来ませんわな。いや、どおりで『凍』にいたっては山野井泰史・妙子夫妻といっしょになってギャチュンカンだっけ、えらい高い山に登ってましたやんか。あんなんそのへんのおっさんはできへんで。

私は若い頃にあこがれる人間を間違えていたのかもしれない。
高田渡とか友部正人みたいな線の細そうな感じの、中島らもみたいな飲んだくれイメージの、そういう人らではなくて沢木耕太郎とか山野井泰史の背中を追いかけるべきだった。そしたら人生は違っていたかもしれない。
そういえば(話が脱線してしまうんだけど)だいぶ昔の東京時代、今はもうないけど都電の向原駅の目の前に豊島区立中央図書館があったわけ。もうあの図書館を覚えてる人はいないかなあ。2階には古びた大衆食堂みたいなレストランがあって、そこでよくアイスコーヒーを飲んだなあ……。で、ある時アイスコーヒーを飲みながらジャック・ケルアックの伝記を読んでたら、ケルアックってさ、十代の頃はアメリカンフットボールの特待生かなんかでめっちゃ身体を鍛えていた肉体エリートであったのである、おまえ、あっち側かよみたいな、裏切られた気分になったよ。どいつもこいつもスポーツなんかしやがって。ギンズバーグを見習えよなあ。ギンズバーグって体を動かすことなんてセックス以外何もやってなさそうやん。セックスさえもあの体つきでは相当淡白かつ受身なはずである。なんかさ、すけべ椅子みたいなのに座って責められてるだけみたいな。だいたい書物の世界なんてのは運動などしないひねくれ者のドラッグ中毒ばかりが住んでいる世界と違いますのんか。色川武大の『うらおもて人生禄』で作者が子供の頃、いつも同級生が運動場で相撲をやっている楽しそうな様子をひとりでぽつんと遠くから眺めていたみたいな場面がありましたな。われわれは全員そっち側と違いますのんか。と、まあそんなことはどうでもよくって、とにかく沢木耕太郎は脳筋側であり私は運動をさぼり続けたツケが中年になって回ってきて後悔する側だ。ただまあこの問題に関しては「体力がない?知らんがな」というだけの話である。そんなことを言ったって仕方がないのだから。私には、より大きな問題がもうひとつあった。

六甲山を縦走したい!(1)

 おのれの身のほどを知ってさえおれば、牛と同じ大きさになろうとした蛙のように膨れ上がることもないのじゃ。(『ドン・キホーテ』後編2 牛島信明訳)

以前からぼんやりと頭に描いていた六甲全山縦走計画を実行しようと思った。

どのくらいぼんやりかというと、2023年の12月に自分の誕生日にモンベルに行き登山靴を買ったのだがその際店員から「どのような山にどのような目的でいつの季節に?」的な、登山靴を売る人間なら当たり前に聞くであろう質問をされて、その時点ではただなんとなく登山靴が欲しいというだけで具体的な山行のイメージがなかったため言葉に詰まり「いつか六甲縦走とかしたいんですよねー」などときわめて適当に答えた、というレベルのぼんやりしたイメージである。

「六甲全山縦走」と言っても他府県に暮らす人間からすれば意味不明な言葉だと思う。
しかし神戸に住んでいるととにかく六甲山系の山々が身近な存在になって、私もまた東京に暮らしていた頃は山なんてまったく縁がなかったが神戸に来てからは何かと近くの山に登るようになった。以前神戸市のサイトで連載していた『ごろごろ、神戸』でもたぶん3回くらい、山に登った時の話を書いている。

摩耶山→ 第40回 摩耶山の思い出 - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

錨山→ 第12回 ビッグ赤ちゃんイカリ山 - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

高取山→ 第21回 高菜炒めつくろう - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

ちなみに(話が脱線してしまうんだけど)『ごろごろ、神戸』で言うと、上のリンクが2018年と2019年のもので、自分が神戸の山に最初に登った=出会ったのは2017年7月のこの回だと記憶している。

鉢伏山・旗振山→ 第10回 スマ!スマ!スマ! - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

この時は当たり前のようにロープウェイやカーレーター(この場所にしかない妙な乗り物)や観光リフトを使った。足で登る発想すらなかった。ただやっぱ『ごろごろ、神戸』の連載の流れを見てみると、さすが神戸は毎日登山(毎日+登山ではなく「毎日登山」これ自体がひとつの名詞なのだ。明治時代にやって来た外人発祥とされる。毎朝近所の山に登って「さあ今日もがんばりますか」みたいになる、今でも続く独特の文化)の町である、というか、こんな自分でさえなんとなく日常生活の延長で「山にでも登るか」みたいな気分に変化しているのがよくわかるのだ。『スマ!スマ!スマ!』という話を書いた後、舞台の音楽祭をやっていた方たちとしゃべる機会があって、「機材を運ぶ手段がないからみんなで人力で機材を運んだんですよ」などという話を聞き、その時点での私は機材を運ぶ苦労以前に「この山を自分の足で登るのか」などと思っていたので、あれから8年くらいがたち……今の自分は(出来るのかどうかはともかく)「六甲山を縦走したい!」などと書いているのだから、山というものが身近になっていることだけは確かであり、人間の認識というのはいかようにも変化するものである。

ともかく。神戸では山を歩いているといたるところに(ときには住宅地にさえ)「六甲全山縦走路」なる案内板が設置されているのでその言葉が無意識下に刷り込まれ、私は「なんやそれ?」から次第に「いつか自分も」みたいな気持ちになっていったのであった。

縦走のスタート地点は神戸市の西の端っこである塩屋である。

毎年神戸市では六甲全山縦走大会が市公式でおこなわれていてそのスタート地点は塩屋ではなく隣の須磨浦公園駅からなのだが、これはおそらく地域住民のクレームがあったのではないかと想像している。だいたい2千人くらいが参加する大会らしいので、狭い路地に住宅が密集している塩屋地区をスタート地点にするのは相当に無理があるからである。だから住人が少なくてあまり迷惑のかからなそうな隣の須磨浦公園スタートに変更したのだろう(知らんけど)、というあれで、私は別に大会に参加するわけでもなく一人で歩くだけだから元祖スタート地点の塩屋でいいだろう。そしてゴールは六甲山脈の東の端、宝塚である。全長は約50キロくらい。50キロということは平地だと休みなく歩いたとして10時間くらい。だから、山道だからだいたい20時間くらい?……とか適当な皮算用をしてみるが、実際にどれくらいかかるのかはわからない。あとそもそも私は平地とか山道とかに関係なくそんな長距離を一度に歩いたことがない。18歳の時に大阪から広島まで歩こうとして、その時は一日に20キロ歩くのが限界だった。しかも30年前の話だし。しかも20キロだし。ともかく何もかも未知数である。