はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

六甲山を縦走したい!(18)

鵯越駅を過ぎたあたりから羽虫がしつこくまとわりつく感じになってきたのでリュックの中から虫よけスプレーを出して顔、首、腕と塗りたくった。山道なのでもともと羽虫はいたのだがどれもいつのまにかいなくなっているので気にしていなかった。しかしこのあたりの羽虫は源氏か平氏の亡霊なのだろう、いつまでも羽音を耳元でうるさく鳴らしてつきまとってくるので苦痛でしかない。六甲縦走においてはできるかぎり不必要な荷物は持って行きたくないと考え持ち物は削っていた。虫よけスプレーも必要度が不明であったため最後まで迷ったのだった。でもまあ冬期ならいざしらずまだまだ夏の延長である今の時期だと完璧に持ってきてよかったアイテムであった。ということを、スプレーを塗った途端に効果が出て虫たちがまとわりつかなくなった道中でしみじみ思った。虫よけスプレーは必須。荷物として軽いし。

菊水山には初めて来たのだが、名前が有名なわりに上っていくにつれ登山道が結構荒れている。有名だと思っていたのはこちらの勘違いで普段はあまり登山者がいない荒れた山のかもしれない。なんやかんやで六甲山系のどこにでも登山会があった昔とは違い、今や一部の勝ち組的な山(摩耶山とか塩屋の山とか)以外は登山道を整備してくれる人もおらず行政の手も届かず茶店は閉鎖、道も荒れてきているのだろう。菊水山もそのひとつでそりゃ羽虫もわんさか出るはずだと視界を覆う藪をかきわけて、道をふさぐ倒木を避け、前へ前へと進んで行った。しかし道が荒れて進みにくいというだけならまだいいのだが、私を悩ませたのは藪をかきわけた時にとつぜん目の前にあらわれる、黒と黄色の巨大なジョロウグモの姿である。これにはまいった。

「なぜこんなところに」と1メートルくらいある馬鹿でかい巣をよけるために身をかがめる。日の光に透かして巣の下端をたしかめ、巣の下をゆっくり慎重に、巣が頭にふれないように通りすぎる。そのようなトレーニングをしているのならいざしらず、いま現在の疲れた身体にはこのしゃがみ運動が激烈にだるい。藪をかきわける。目の前にジョロウグモ。巣をよけるためにしゃがむ。藪をかきわける。目の前にジョロウグモ。この繰り返しである。しかし、それにしても、ジョロウグモというのは巣は馬鹿でかくクモ本体もでかいのだが晩夏から初冬くらいにかけての山の名物とも言え、彼らは本来ならば案外登山者と共存している生物なのだ。それはクモ側が「登山者と共存しよう」みたいな殊勝な心がけでいるのではなくて単に生き残るためではあるが、彼らは登山道の脇とか人間の視界よりも上の安全な位置に巣を作っているパターンがほとんどである。

ところがどういうわけだか菊水山のジョロウグモにはこの法則が通用しない。
彼らは登山道のど真ん中の低空(視線の位置)に巨大な巣を作りまくっており、見渡す限りこの道はジョロウグモだらけで私は彼らの王国に迷い込んでしまったのだという疑いすら抱いた。藪をかきわけ、ジョロウグモと出会い、それを避ける。「なぜこんなところに」と私は迷惑に感じているが、それはジョロウグモにしたって同じ気持ちなのだと思う。
彼らにしたら「なぜこんなところに人間が来るのか」なのである。

そう。
ここに来て私はようやく「何かがおかしい」と気づいた。
沢、というほどに水がないのだがか細い川筋のような道の、足場となる岩にはコケが張り付いていて非常に滑りやすい。藪をかきわけ、ジョロウグモの巣を避け、さすがに私は気づいた。
もしかして、道を間違っているのではないだろうか、と。
これだけの数のジョロウグモが人間の視界をふさぐように堂々と巣を作りまくっているということは、それは菊水山にいるジョロウグモがなぜか地域限定で凶暴になってしまったなどと考えるよりも、単純に「この道は普段あまり人間が通っていない」と考えるほうが自然である。
この道は人が通っていない。
だから彼らは安心して巣を作っている。
つまり、私は道を間違えている。

このような三段論法の結果、ポケットからスマホを取り出して地図アプリを見てみると、どうやら私は正規の登山ルートから外れていて、本来の道から並行して伸びる脇道を歩いていたのだとわかった。
ただその時点ではそれをたいしたことだとは思わず、一応平行して道は伸びているのだし、アプリを見るかぎりこの道も頂上までは道がつながっている。
現在地を確認後、私の選択肢はふたつにわかれた。
ひとつは、いま来た道を分岐点まで戻って、予定通りの正規ルートを進む。
もうひとつは、このまま脇道を通って山頂まで進む。

もしもこの時点で体力も万全で冷静な判断が出来る状態であれば、私はおそらくは来た道を戻って正規ルートに復帰する選択をしただろう。
しかしいざ「来た道を戻ろうか……」と後ろを振り返ってみると、視界に広がっていたのは、太陽の光に照らされて空中で風にゆれて輝くジョロウグモの巣と、巣の中央に鎮座する黄色と黒のジョロウグモたちの姿であった。
ここまでせっかく苦労して抜けてきたばかりのジョロウグモの王国にふたたび入り込んでまた藪をかきわけ巣を見つけてはしゃがみこむ女郎蜘蛛スクワット動作を繰り返すなんてことはもう絶対にしたくない、もうあんな道は戻りたくはない、という思いが勝った。

そうは言いながらも迷うところだな。
道を間違ったのがわかったら、来た道を戻るべきである。
私の中の「理」の部分が冷静に脳内でそのようなコメントをした。少なくとも「たぶんなんとかなるだろう」でこのままよくわからない道を進むべきではない。それがヤマケイ文庫の遭難シリーズで私が得た総合的な知識であった。やっぱり激烈不快であっても来た道を戻るべきではないだろうか。そう思い直して、いまさっき脱出したばかりの藪道に一歩を踏み出した、その時である、顔全体にべたっとした感触があった。やってしもた。顔面から巣に突っ込んでしまった。振動にびっくりしたジョロウグモが素早く動いたのがわかった。私も混乱しているが相手だって混乱している。ジョロウグモが私の頭から首すじを這っている。どでかいジョロウグモの足が私の首に接地している。腹の感触。殺したいが火の鳥鳳凰編愛読者として殺せない。声にならない声が出た。不愉快そのものである。

私はわずかな平地にリュックを置いて、落ち着け、落ち着け、とみずからに言い聞かせた。そして今まで使っていなかったトレッキングポールをリュックから出して指揮棒のように持った。
そしてさらにリュックの中から長袖のボタンシャツを出して藪対策として着用し、さらに軍手をはめて、目だけを出すようにしてタオルを顔に巻きつけた。
ジョロウグモの巣対策としてトレッキングポールを持ち、藪をかきわける用にこれらの装備で身をかためた。引き返すのはやめだ。
もう、前進するしかない。

六甲山を縦走したい!(17)

2025年9月14日。スマホ画面の地図上に表示される現在地のポインタが鵯越駅に近づくにつれ、なんだかそこが今日のゴール地点であるかのような感覚=錯覚が私を覆っていた。実際には鵯越は六甲縦走における序盤ハイライトとも言える菊水山の手前なので、超序盤なんだけど……もうええわ、誰も見てへんし、よくここまでがんばった、おつかれさん、私、というような気持ちが湧き上がってきて、歩く足にも力が入らない。電車に乗ったら一本で家に帰れてしまう。縦走はまた次の機会に……。

しかし、この2年間はゆうて毎日1万歩以上歩くトレーニングを律儀にこなしていたこともあり、私は「無理だろう無理だろう」と口では言いながらも正直、内心では六甲全山縦走50キロに対し「なんとかなるんじゃないか」と思っていたことを告白したい。でも実際は、ぱっと思いついた1日1万歩程度のトレーニング(?)などではどないもなりませんな。

しかし、である。なんともふがいないではないか。これはアレックスオノルドがヨセミテ国立公園のエルキャピタンをフリーソロで命がけで登るみたいな真似のできないチャレンジとは違うわけである。六甲縦走ってのはもっとカジュアルなものではないのか。市が主催の大会では毎年2千人くらいが挑戦してほとんどの人間がゴールしているというし、そういえば!以前ヒカリさんと近所の喫茶店でモーニングをしていた時、そこで働く姉さんが客と会話しているのを聞いたのだが、あれはいつかの縦走大会が近かった頃だろう、その時ちょうどニュースで縦走大会の特集をやっていて、店のテレビに流れる映像を客や店員がぼんやり眺めながら、その時とつぜん姉さんがこう言ったのだった。

姉「あーし(私)、これ(縦走大会)でんねんけど」
客「まじで」
姉「うん」
客「これってどこはしんの?」
姉「あーしもよう知らん。なんか申し込んだ」

このくらいの感じの人がカジュアルに出場して、それでも9割以上完走しているのが六甲縦走大会なのである。決してナメてかかっているわけではないが神戸ではけっこうな人数の人が「六甲縦走、ぼくも昔やりましたよ」みたいなことを言う。モンベルの店員も言っていたし近所の酒場の店主も言っていた。そんなカジュアルな行為であるのだから、なんだかんだで六甲山新参者の自分にもできるのだと思っていた。
しかし……。

高取山を下りて、まだ序盤ハイライトの菊水山にも来ていないわけだが、肉体的な限界が来ているのがわかるのだ。限界が、予想以上に早く、来ている。
やっぱあれよな。近所の喫茶店の姉さんのように、体力的には無理だったけど気合いと勢いでなんとかなりました、みたいな若さが私にはない以上(姉さんが完走したかは知らんけど)、そこはもう単純に体力勝負となるわけで、昨日今日思いついて「ほい、できました」となるほど六甲縦走は中高年には甘くない。出発する前に気づけよということに私はいまさら気がついた。

駅舎のサイズのわりにでかすぎる『天才武将源義経ゆかりの地 鵯越』と書かれた看板の前でリュックを降ろし、地べたに座った。へたりこんだ。
山間部とはいえ、ゆうて駅。計算どおり電波はばっちりで、まあとりあえずここなら安心してボクシングを観戦できる。スマホをモバイルバッテリーにつないでネットフリックスを付ける。空は曇っていて日差しがないので心地よいのだが時々太陽が雲間から顔を出して地面を直射しそのたびにエネルギーを奪われてしまう。駅舎の屋根の下に行けば日陰になっているからいいんだけど一度へたりこんでしまったのでもう一度立ち上がる気力がない。日の光があたるとスマホ画面が見にくい。座っているのがめんどくさいので野宿を楽しんでいた若い頃のようにいっそ地面に寝転んでしまいたい。そんな誘惑にかられるのだが現在の私の見た目はみるからにハイキング中年であり、駅前でだらしないことをしていたら登山者全体の評判を落としてしまう、みたいないらんことまで考えてしまって、寝ころぶ勇気はなかった。

ネットフリックスではあいかわらずカネロ対クロフォード戦に向けた煽り映像が流れるばかりでいっこうに試合が始まる様子がない。同時通訳とかもないので何を言っているのかわからない。カネロもクロフォードも金持ちなのはわかる。家に孔雀飼ってるんやもんな。小学生の時だったと思うが、ハトを家に持って帰ってきたらめっちゃ怒られたことがあった。あんた、そんなもん持って帰ってきて、飼えるわけないやん、そのハトがポッポポッポポッポポッポ鳴くようになったら家に何百匹もハトが来るようになるんやで、ハトはハトを呼ぶんや!とか言われて。

駅前に座ってどれくらいの時間がたっただろうか。ようやく煽り映像ではなくメインの試合が始まろうという頃には私はもう眠気を制御することができなくなっていた。試合開始直前に一瞬目は覚めたのだが始まった試合が案外しょっぱい感じであった。なんかめっちゃ漠然とした感じで思うんだけど、私たち日本人ってのは軽量級の試合を見ることが多いので軽量級のスピード感に慣れている。だからどんだけ強いとはいえカネロとかウシクとかでかい人たちの試合がなんだかもっさりした風に見えるのだ。マリオカートに例えるとキノピオでプレイした後にドライバーをクッパとかドンキーに変えると「え」となる、そんな動き。結局わたしはせっかく始まった試合と同時に心地よく意識を失っていたのであった。

強い日差しで目がさめる。スマホ画面に目を落とす。なんかもっさりした試合やな。また眠る。日差しで目が覚める。そんなことを繰り返し、半睡半醒の中で試合も終わり、2時間くらいを鵯越の駅前で過ごしていただろうか。ボクシングはとっくに終わっていたので荷物をリュックにしまい直し、そして立ち上がった。
すると、不思議と身体がシャキッとした感じになっていた。
あれ?回復してる。体が軽い。

私はその場で10歩くらいの足踏みをして感触をたしかめて、鵯越駅の裏からの登山道に入った。まだまだ歩ける。要は体力の限界とかそんな大層な話じゃなくて、休憩が足りなかっただけではないだろうか。長時間の登山において飲食と休憩っていうのは「気の向くまま」みたいな感じじゃなくて実はものすごくテクニカルな分野なのであり、きちんと考えて戦略的に飲む、食べる、休憩する、それがロング登山においては生命線になってくる(て、これは想像ですけど)。私はそこをまったくわかっていなかった。カネロとクロフォードのおかげでめっちゃ体が軽くなった。ヘッドライトもあるし。まだまだ歩ける。そんな希望をもって、今となってみれば、私は自分の残り体力を読み違えたまま甘い気持ちで菊水山に向かったのであった。

六甲山を縦走したい!(16) かかと

ヒカリさんと外を歩いていて、相手の髪の毛がなんらかのあれでボサっとほつれているのを見つけた時「ちょっと待って」と言って私がヒカリさんの後ろにまわり、結んでいる髪の毛をいったんほどき、髪の毛をふたたび束ねて結び直す、という作業をすることがある。時々ある。

いや、時々あると書いたがもう1年生や2年生ではないので外で共に遊ぶこともなくなって、そのような機会はめっきり減った。とはいえ、共に遊ぶことはなくなったけれど共に(犬の散歩とかで)出かける時はよくあり、(なんや、髪の毛ボサッとなってるやんけ)と発見し、結び直す、そういう機会もいまだに時々はある……というくらいの頻度である。
なくなったわけではない。たまにある。

つい最近ふと気づいたのだが(ふと気づいたと書く時の「ふと」が本当に「ふと」である確率は低いと思う。だいたいの「ふと」はただの馴れ合いで、商品にくっついてくるタグみたいに「気づいた」に半自動的にくっついてくる付属品として書かれている。しかしこの場合の「ふと」は本当の「ふと」であったと思ったのでふと気づいたと書かせてほしい)いつのまにかヒカリさんの後ろにまわって髪の毛をほどき、もう一度たばねて結び直す時に、わたしのほうがかかとを浮かせて背伸びしないとうまく結べないようになっている。以前はこんな感じではなかった。
私はただべたっと着地しているだけで後ろから気楽に髪の毛を結べたのだ。

髪の毛を結んでいるあいだはそういうことには気づかなかった。
しかしその後でみずからの行為をふりかえり「あれ?」と気づいた。
私が小さくなったのではないのだから、つまり、ヒカリさんが大きくなったのだ。

1年生や2年生の時は外で髪の毛を結び直す、という機会がたくさんあった。
当然結んでいる途中でゴムが切れてしまうこともあったので、その頃の私の手首にはいつも3本、4本、5本、6本とヘアゴムがかけられていた。
そういうのもいつのまにかなくなっていて今自分の手首にはもうゴムはかかっていない。

というくらいの頻度になったから、余計に「あれ?」というインパクトになったのだと思う。

やがて遠からず、私は何かの台にでものぼらないと、あるいはヒカリさんにどこかに座ってもらわないと髪の毛を結べなくなるのだと思う。
そして当然ながら、その頃には私が他者の髪の毛を結ぶことなんて、なくなっているのだろう。

その一件以来わたしは外でヒカリさんに「ちょっと待って」と声をかけて髪の毛を結び直している時に、あげたかかとのたよりなく宙に浮く感じを意識するようになった。「きみが勝手に大きくなるからうまいこといかんなあ」と聞こえるか聞こえないかのひとりごとを言いながら、時にフラっとなりつつ、今度こそこれが最後かも、とかかとを浮かせている。

六甲山を縦走したい!(15)

1月17日。ヒカリさんを連れてジュンク堂に行った。「学校で読む用の本を一冊こうたるわ」と言い、入口で二手にわかれる。これは近年編み出したテクニックなのだが「好きな本を一冊こうたるわ」と言ってヒカリさんを本屋に放つと100パーセント漫画コーナーに行く。当然ながら、漫画がいけないわけではない。ヒカリさんが持っている本の98パーセントは漫画である。日常読む本の99パーセントは漫画である。とはいえ、漫画はすでに家の中で飽和状態でもある。あと、これが本当の事情なのだが、財布的な理由で……。すべて私が金持ちじゃないのが悪いのだが、漫画というやつは一冊あたりのコストパフォーマンス(て言葉の使い方あってんのかな?)が低いと思う。

いまどきとても多い「SNSで100万バズリ」みたいな帯が付いている薄めのやつだと一冊1560円とかして子は30分もかからずに読み切ってしまう。映画でも2時間くらいもつやろ。私が大谷翔平だったら……漫画ごときではダメージをくらわない銀行残高といくらでも漫画を置ける広い家があれば、などと思わないでもないが、私は大谷翔平じゃなくて酒場で300円のポテトサラダを注文するのに躊躇するレベルの人間だから、もう少しねばれる感じの本の方が財布的にも……となって、そうなると、字の本というやつはきわめてコストパフォーマンスが高い(ていう言葉の使い方で合ってんのかな?)。なんぼ文庫本が高くなったとはいえ、そういや私はいま村上龍の『愛と幻想のファシズム』を読んでいてこれが講談社文庫で税抜き880円だから税込みで970円くらいかな、これを昨年末からずっと「めっちゃ90年代やん、労働組合とか元気やし。いま読むときびしいところもあるよなあ」と感じながら苦戦して読んでいる。もう三週間くらい上巻で悪戦苦闘している。これで970円である。やっぱり字の本くらい最強にカネのかからない娯楽はないだろう。

という思いがあり、ヒカリさんを本屋に連れていくにしても最初は「好きな本こうたるわ」と気軽に言っていたのだが私が大谷翔平ではない以上(略)、毎回選ばれる本が「SNSで100万バズリ」みたいな1560円とかして30分もかからずに読み切られてしまう本だと考えるところも多く、財布的なダメージがあって、ある時「いいアイデアだ!」と革命的に浮かんだのは、ヒカリさんを放つ時に「好きな本こうたるわ」ではなくて「学校(の休み時間とか)で読む本!好きなやつ!こうたるわ!」と声をかけることであった。これはすごい。だって、「好きな本こうたるわ。でも漫画はあかんで」とか言ったらこちらにはそのつもりがなくともこちらが発した言葉には漫画に対する否定の意味が含まれてしまい本意ではない。「学校で読む本こうたるわ」と言えば、漫画じゃなくて(コストパフォーマンスの高い……)字の本を選択せざるをえない、実際ヒカリさんはこう言うと「学校用ね」と言って字の棚に行く。この声かけを考えたやつ天才やろ、ボクです、100万バズの声かけでしょうよ、ハア。

あと、この言葉にするメリットは他にもあって「好きな本こうたるわ」だと子供は漫画コーナーに行くから、本屋のごく一部のエリアしか行かなくなるけれど、「学校で読む用の本、好きなやつこうたるぞ」とか言えば、子供にとっての本屋の地図が一気に広がる感じになる。限られた漫画コーナーではなく本屋全体を、子は探検するようになるのであった。当然そうなると大人週刊誌とかエロとか暴力、そういうのも見るかもしれないが、それもまた人生である。

1月17日。ヒカリさんを連れてジュンク堂に行った。「学校で読む用の本を一冊こうたるわ」と言い、入口で二手にわかれる。私はいま四冊同時に本を読んでいて(村上龍『愛と幻想のファシズム(上巻)』角幡唯介『極夜行』小川哲『地図と拳(上巻)』司馬遼太郎『坂の上の雲(6)』)これ以上買ったら馬鹿になるから棚をぶらぶら歩くだけでぼんやりしていた。途中でトイレに行った。急に超話とぶけどさ、イヌリン粉末って突然トイレに行きたくなる気がする。あれ適度な摂取って人によりけりだから他人にすすめるのはむずかしいわな。しょせんはただの食物繊維、悪くはないだろうけど良いかどうかはわからない。ともかくトイレから戻り、しばらくたって探すと、ヒカリさんは健康コーナーにいた。ただそういう時も「なにを選んでんのかな」みたいにのぞくのはヤボであるから、なにを立ち読みしてんのかな、と気になりながらもチェックすることはしない。ただあとに用事を控えていたので時間が若干タイト、というのがあって私はヒカリさんに「ぼちぼち行くで」みたいな合図をした。そしてヒカリさんが読んでいた本を「なに読んでたんかな」と気になりつつもチェックはしないようにがんばって(横目でちらっと見たい誘惑にあらがい)ヒカリさんのうしろを何も見ずに通りすぎようとした、そのとき「ねえねえ」とヒカリさんが私のひじをつついた。

「こういうのって本当に効くの?」
と声をかけられて私ははじめてヒカリさんが見ていた本を見たのであった。
なるほど。

ヒカリさんは最近近視だったかなんだったかが進んで眼鏡姿になったのだが、本人的には眼鏡を気に入っているようで、眼鏡姿にしてもまったく気にしていないようにこちらからは見えたものの、内心ではどこか、気になる部分もあったのかもしれない。
ヒカリさんが見ていたものは、「これを見るだけで視力が回復!」みたいな帯が付けられた、絵を30秒見たら自然に視力アップみたいな本であった。
とつぜん「こういうのって本当に効くの?」と聞かれたものの、私は実際のところそういうのはよくわからなかったので「たぶん、何かのおまじないみたいなものだと思う」というような曖昧な答えをした。私はその場で瞬時に「なんか、だまされてる的なやつだったらショックだし、かといって本当に目に良いものかもしれず、とりあえず本の名前だけ覚えておいてあとでAmazonで検索してユーザーレビューとかを見て本当に良いものだったら買えばええか」というような考えをもった。

ただ実際のところ、私がその場で感心してしまったのは、本の効き目とか真贋とかそういうものではない。私はヒカリさんに対して「この人は令和の時代において、まだ、何か気になることやわからないことがあった時に本屋のそれらしいコーナーで書籍から情報を得ようとする」みたいな感覚が残っていたのか、ということにおおいに関心をもった。
そう、昔は誰もに当たり前にあった、あの感覚である。
いまではネット検索やAIによってほぼ絶滅したあの感覚。
それがヒカリさんにまだ残っていたことに感心した。

とはいえヒカリさんのそれも、いつか早晩スマホやPCなどのテクノロジーによってなくなっていくのだろう。そしてそれは悪いことではない。

帰り道、私は2001年だったか、東京で1人ぐらしを始めた時のことを思い出していた。
当時、本屋に行って最初に東京都の地図を買ったのだった。
紙の本で地図を買い、自分が暮らすことになった町を眺めて、図書館なんかを探す。隣の区を眺める。全体図を眺める。都電荒川線の路線が伸びる区の地図を眺める。荒川をすぎて、三ノ輪ってこんなとこかいな、もう浅草か、というような感覚を私は紙の地図によって得たのだが、今だったらそんなめんどくさいことはせず、スマホでGoogleマップを見て終了である。だから以前から自分は知らない町に暮らしはじめた時に本屋で町の地図を買った最後の世代なのかもしれないな、と思っていたのだが、とにかくこの20年くらいのテクノロジーの進化はえぐくて紙の地図だけじゃなく「こういうのの最後の世代なのかな」みたいなのがたくさんある。そのうちのひとつ、わからないことがあった時に本屋に行ってそれらしいコーナーに行き紙の本を調べる、みたいな感覚がヒカリさんに残っていたことに感慨をもった。30年くらい前、大阪梅田の紀伊國屋の精神世界のコーナーで立ち読みしていたら隣で立ち読みしていた青年(私も当時は青年である)から声をかけられいっしょに行ったのが当時高槻にあったオウムの道場であった、みたいなこともついでに思い出したりした。

 

六甲山を縦走したい!(14)記憶の霰

1月3日。妙法寺で追儺式という行事があるらしい、という情報をXでがんそべっしょマンさんが書いていて、添付されていた昨年の写真を見ると、腰に刀をさした、白装束を着て土色の仮面をかぶった鬼?のような生き物が、腕や足や胴体やらをハムのように縄で縛り、火のついた松明を持っている姿が写っている。それを見ても何の行事なのかはまったくわからない。謎そのものである。正月の予定もないし、ひまなわたしたちにぴったりだ。そう思い、どうせなら子供の冬休みのトレーニングも兼ねて山登りとドッキングさせて予定を組もうと地図を見て検討した結果、高速長田駅から長田神社を通って高取山に上りそこから妙法寺に下るというルートを取ることにした。妙法寺方面から高取山に上って長田の丸山〜鵯越方面に下りるという六甲全山縦走路ルートは歩いたことはあるが、神社裏からのルートでは上ったことはない。

高速長田駅で電車をおりて、さて何番出口だっけ、と思ったが適当に階段を上るとそこはもう、さすが長田神社である。いかにもこれから正月の参拝に行きまっせというような人の流れが出来ていて、人々について歩くと迷いもなく参道に出た。非常食としてパンは持ってきていたし、それに正月の高取山に行けばどこかの茶屋があいているだろうからなんなら昼ご飯は茶屋で、などと考えていたのだが、参道の商店街を歩くとみたらし団子が路面販売されており、山頂についたら団子で乾杯しよう、とついつい衝動的に3本買った。ういろ屋の前も通りかかったのでういろうも買ってしまった。前日に三宗さんからおせち料理のおすそわけをもらっていたので三宗さんのぶんも買った。できたてのういろうがまだあたたかい。

長田神社には露店がたくさん出ていたので店をひやかしたりしてのんびりしたかったのだが、今が11時すぎでゴールの妙法寺に15時到着というノルマがある。ヤマレコの予想時間を見るとだいたい3時間くらいの道のりになっているので、なんぼ正月のめでたい長田神社、素通りしにくいといえども、山登りのスタートもしていないうちからここでのんびり過ごすのは(到着時間的に)危険である、というのは数少ない山の経験からも判断できた。そういや昨日は楠公さん(湊川神社)ものぞいてきたんやけど、まああっちはあっちでええんやけれどぼくはこっちの神社のほうが好きかも、みたいなことを妻に話しかける。長田神社に来ると、なにせなつかしいのだ。そのなつかしさの起点は30年前の避難所になっていた時代の風景である。

今日はこれから山を越えねばならないのだ。過去の記憶をたぐっている場合ではなくて、と冷静になりうしろ髪を引かれつつ神社を出、川ぞいの道をヤマレコのアプリを見つつ歩く。少し歩けば登山口に出るはずである。民家と民家にはさまれた細い道を歩き坂をのぼり、人通りもなかったのでスマホ画面を見ながらぼんやり歩いていたのだが、途中からなんだか知らない道を歩いている感覚が薄くなってきてひさしぶりに帰った故郷の町をおぼろげに残った記憶をたしかめながら歩いているような、というような表現は後日この文章を書いている今、こうやって陳腐な言葉にしているだけで、実際の道を歩いていた瞬間には未だ言葉にはなっていない不可思議な感覚だけがあった。
不可思議な、ではなく、わたしはあの頃のままの景色の中を歩いていた。

左手にひろがるフェンス越しに見えた、小学校のグラウンドの風景に吸い寄せられた。
「うわあ」と声が出て、門のすきまにスマホのカメラを押し当てて運動場の写真を撮った。すると横で見ていた子供が困った顔をして「やめてー」と言い、「そんなことをしたら不審者だと思われる」とわたしの腕をひっぱった。
「そら、そやな」と言いながら子と並んで歩き、歩いた先の歩道橋を渡りながら、わたしはとつぜん起こった予期せぬタイムスリップを反芻していた。あの運動場、あの校舎の感じ。30年前にボランティアとして避難所を回っていた時に、毎日訪ねていた小学校だった。開いたままの門から入ると1階の教室が避難所になっていてたくさんの人たちや家族が生活していた。私らよりもあんたらが食べなあかんやろとおばあさんが配給の菓子パンをくれたりした。あの運動場の片隅で炊き出しの雑炊を食べた。
そんな場面を細かく思い出した。

何もかもそのままである。もしかしたらそのままではなくて整備されたりとか、実際は変化しているのかもしれないけれど、何もかもそのままでそこにあるように感じられた。

歩道橋を渡り終えて少し歩くと登山道の階段に出る。
そこを上っている時にも頭をがつんと打たれたみたいに思い出したのだった。ある時、ボランティアの仲間から「あの階段をのぼっていったら町を見下ろせるんやで」「海が見えるよ」「いっしょに行こうや」と誘われた。そのとき私は「いやだ」と断った。

あの階段が、この階段なのか、その階段を、30年たって上っている。
記憶が次から次にやってくるのだった。
妻と子と3人で同じ日に同じ空の下で同じ階段を上っているのだが、わたしの周りにだけ強い風がふいていて、そこには過去の記憶のこまごまとした情景が、細かなあられのように舞っている。特にこげた木造家屋のにおい。屋根の上のブルーシート。夕焼け。皮膚にあたるとあたった部分がひやっとなる感じの、マフラーをしていないものだからふいに小さな粒が首の中に入ってきて「つべたっ」と身をすくめてしまう、記憶のあられが舞う中を、できたさぶいぼをさすりながら階段を上っていく。

「ああ、最近運動してなかったからしんどい」と言う妻の声と、どこからか拾った棒切れで地面をつつきながらついてくる子供がたてるツコン、ツコン、という乾いた地面の響き音がきこえる。時々きこえる2人の話し声。音はそれしかない。少しずつ距離が離れてきたのだろう、音が遠くなった妻と子を待つように立ち止まり、うしろを振り返った。冬の薄い青空と、長田のうつくしい町があった。空と町のさかいめには時間が止まったままのでっかい海が見える。きれいやなあ。こらきれいやわ。

階段をのぼりながら、ここ、30年前に……みたいな話をしたくなったけれど、それは妻にも子にもなんの関係もない話である。もしもあの頃この階段を上って、そして振り返っていたらどのような景色が見えたのか。今はとてもすばらしい。焼けた家のあちらこちらに突きささっていた手書きの位牌とか、避難所で声をかけてきた子供たちとか自衛隊の風呂とかが小さな粒になって空に舞っている。寝泊まりしていたテントの近くにあったから時々手を合わせていた焼けた家屋にそなえられていた写真も粒になって舞っている。そこに写っていた子供が今のうちの子と同じくらいの年齢である。

だからなに、という話ではない。年をとらないとわからないことがほんとうにたくさんある。30年前には何もわかっていなかったことだけれど、少しずつでもわかってきた、みたいなことがけっこうある。高取神社までの道はどこまでも整備されていて階段もおだやかで歩きやすい。普段は山に行かなさそうな家族連れ、ヒールで上っている人もそれなりにいる。途中のベンチで休憩していると、わたしたちの横に1人で歩いて来た老人が座り「毎年来てるんやけど、もうさすがにしんどいな」と言う。「毎年っていうとずいぶん昔から?」「そうやな」「このあたりは歩きやすいですね。すごくいい道で」「すっかりさびれてしもたな。昔はもっとにぎやかやったけれど」

途中、なんとなく期待していた茶屋は閉まっており、年に一度だけ開かれるという茶屋があったので立て看板のメニューを見て「ぼく山菜うどん」「わたしも山菜うどん」「山菜うどん」などとそれぞれに食べるものを決めてすっかり山菜うどんの気分になっていたが店の前まで来て中をのぞくと満席だったのであきらめた。先ほどしゃべった老人をまた追い抜き、そして小休憩しているときにまた追い抜かれ、山頂でまた顔を合わせ、互いに笑いあう。老人が「がんばったね」と子に声をかけている。ささやかなやりとりだけれど、彼と会う機会はもう二度とやってこない。

山頂の景色を眺める。なんやかんやで時々来る山である。ここからもう一回あの上まで上ったほうが景色がさらによくなるで、と階段を上がる。

妙法寺までの道はなかなかの急坂であった。
行きの、どこまでも丁寧に整地された階段とは違いそのままの土やら岩やらのあいだに無数の落ち葉が覆いかぶさっている。子供の足では無理、というわけではないが、特に秋冬は落葉がいちいちすべるから、スニーカーしかない人はこのルートはおすすめはできない。「登山ゆうのは上る時よりも下る時のほうが危ないしコケるから!」などと言いながら、いちおう妻と子の前ではわたしは先輩登山者であるので注意ゾーンのアドバイスをする。そうやって夢中でしゃべってる時にコロっと谷にコケたらいっしゅんであの世行き!などと声をかけながら。茶屋休憩がなかったぶん、このまま行くとずいぶん早く到着しそうな感じにだったので、途中からはゆっくりと、きれいな花崗岩を探しながら歩く。

「あ、団子わすれてたな」と高取山を下りた先の小さな公園で、1本ずつ食べた。前回みたらし団子パーティをしたのはいつだったか。そんなに遠くないのにずいぶん昔のことのように思える大阪万博の時、8月だった。せっかくみたらし団子パーティをしようと15本も持っていったのに、その日は風が強く子供がセブンイレブンで買ったカフェラテのふたを何度も風に吹き飛ばされているその様子にイラッとし、わたしが「次にふたをとばされたら帰るからな!」などと怒り出し、妻も子も、パーティ会場が一瞬で微妙な空気になってしまった、あれおぼえてる?(わたしの態度が)ひどかったな、と子供に聞くとよくおぼえてる、と子は言い、今日は平和や、とわたしたちは初めて来た公園でみたらし団子で乾杯をする。

あの頃10代だった自分が今年から50代である。当時は戦後50年という言葉をニュースや新聞でよく聞いた。まだネットもなかったから多くの人がテレビのニュース番組や新聞を見ていた。大きなメディアを元にした共通言語があった最後の時代か。戦中世代はごろごろと生きていた。ニュースキャスターが「北朝鮮」とは言わず「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言っていた時代である。中国残留孤児とかボートピープルとか……はもう少し前か。この20年くらいテレビのニュースは見ていない。1995年というのは自分にとってはついこの間みたいな感覚なのだが、大谷翔平が1歳の時で井上尚弥が2歳である。彼らがもうそれぞれの世界でベテランであるから、これからはスポーツにしてもその他にしても震災後に生まれた人たちが作る世界をわたしは見ていくし、中谷潤人は震災後の子供である。こんな感じで年をとっていくのだろうな、と理屈ではわかるが、実感としては今いちよくわからない。わたしは体験とか記憶なんかは継承しなくてもよいと思っているので子供には震災にしても戦争にしてもなにかを教えたことはない。教科書で、遠い時代の織田信長みたいな話として知っておく、くらいの距離感でいいのだろう。子供は私の人生や記憶とは関係なく、今の時代に生きているのだから。過去のことは何も知らなくていいとさえ思っている。
時間通りに妙法寺に着いた。

ループに乗って、ゆるやかに

ここ数年で駅前とかよくわからんマンションの前とか、ほんとあちこちに電動キックボードのポートが出来たじゃないですか。乗ってる人も格段に増えた。
私はあれ(SNSでよく叩かれてる)「危ないなあ」的な目線ではそれほど敵視してないんだけど、乗ってる人を見て「もったいないなあ」とは思っている。

日々の生活の中で「歩く」ってのはやばいくらい大切で、それはなにも「気合いを入れてウォーキングしなさい!」とかの大げさな話じゃないんですよ。家から駅まで、スーパーまで、駅から会社まで、待ち合わせでAビルからBビルまでとか、なんかそういう「しょうもない用件」みたいなのが日常にはあふれていて、そういうしょうもない用件においてなるべく自分の足で歩くこと、それが大切なわけです。電動キックボード文化っていうのは「しょうもない用件で体を動かす権利」をテクノロジーに差し出してしまっているのがやばい。

あれって料金体系を見てても、基本的には日常での短時間利用が主目的なわけで、私が「こういう時に歩いたほうがいいですよ」と考えているポイントと電動キックボード会社が「こういう時に利用したら便利ですよ」と商売してるポイントってのが完全にバッティングしてしまっている。こっちは商売じゃないからあれだけど。

別に普段から運動習慣のある、高い意識を持った人が利用するのはいいんです。
便利ですよね、で終了である。

でも私が「もったいない」とか「やばい」とか言って想定しているのは、大谷翔平選手とか井上尚弥選手のような超一流のアスリートとか定期的にしっかり運動をしているきちんとした人たちではなくて、私と同じようにごく平凡な、ジムもすぐにやめてしまうし継続的な運動習慣も持たない人間のことです。
そんな私たちにとっては「しょうもない用件での徒歩移動」というのがいわば最後に残された身体活動チャンスなわけで、それを惜しげもなく手放して「ラクやなー」などと便利快適な小道具に乗っかっていたら老いた先の自分に会わす顔がない。藤子Fさんのノスタル爺風に言うならよぼよぼになった未来の自分が電動キックボードで町を疾走する自分に「そこは歩けー!!!」て泣きながら叫んでますよ。

私は2023年の12月から突然生活を変えて1日1万歩くらいは歩かないとな、という生活をしています。たかだか2年程度です。あくまでもそういう数値目標てだけなので毎日こなせているわけでもありません。でも歩く=体を適度に動かす、ていうのはてきめんに身体に変化をもたらす。というのが実感としてわかるわけ。

でも1日1万歩前後の歩行って、よほど営業職とか歩く必要がある仕事をしている方でもないかぎりなかなか毎日到達できる数字ではない。
1万歩あるこうと思ったらだいたい80分くらいかかります。
でもそれは困難な数字であると同時に、簡単に継続できる数字でもあるのだ。

どういうことかというと多くの人は1日1万歩という数字を前にすると「さあ、ウォーキングに出るか」と意気込んで朝とか夕方の貴重な時間に80分も費やしてようやく達成したはいいけど「ひま人じゃあるまいしこんなこと毎日できるかい!」と挫折するわけだけど(あるいはウォーキングはひま人がやるものとしてより短時間で効果が出るっぽいランニングに手を出して怪我をするわけだけど)それはやりかたとして間違っている。

1日1万歩を持続可能な数字とするための唯一の方法は、発想の転換をすることです。
つまり1万歩を一度に歩ききる数値としてとらえるのではなくて、歩数をこまかく分解するんですね。一度に歩く数値(10000×1)としてではなく、朝起きて夜寝るまでの長い時間の中での700歩×14回みたいな数値としてとらえ直すわけです。

なんかおおげさに、発想の転換、とか書いてしまうとさも私がオリジナルの考えでも書いているかのようになってしまうけど、そういうわけではなく、これって要は日常の中で非運動性の身体活動を意識していくみたいな単純な話でしかないので厚労省のホームページにも書かれてある感じのごくごく普通の考えかたです。

人間って、ついつい自転車とかに乗ってしまうんだよなあ。ついついエスカレーターに乗ってしまう。ついつい自動化されたものに引き寄せられる生き物です。その「ついつい」ていうのはその場の快適さだけで言えば薬なんだけど身体の筋力維持とかの意味ではあきらかに毒なわけで、どうせこのさき電動キックボード的な意味では「便利」な方向にしか進まないであろう世の中において「ついつい」の便利さをあえて避けていく、そんな倒錯的な態度はきっと重要です。

まあ何をやったところでどこまで、どのように人生が続くのかなんてしょせん運次第、みたいなところはある。でも人生においてたしかにコントロールできる部分が3パーセントくらいはあって、そこには手をふれていたい、みたいなかんじか。ちがうか。よくわからんな。中年以降は人生のほつれが見えてくるんよな。この服、ここを手入れしておけば長く着れるかも、みたいな。あちこちほつれてきてあきらめるかもしれませんしムキーてなって途中で捨てたりとかそういうのもあるかもしれませんが。可能なかぎりは大切に着ていたいものです。

六甲山を縦走したい!(13)

高取山を下りると菊水山方面と書かれた案内柱が立っている。菊水山のふもとまではまたしばらく町歩きが続く。須磨アルプスを下りたあとのニュータウン歩き、妙法寺周辺の古くからある町なみ歩き、そして今度は長田山側地区の、なんつうか独特の空気やなこれ……ていう。すえた源平感?あたりは狭い路地がたくさんあってややこしいので迷わないように地図アプリをちょくちょくチェックしながら進んだのだが、それゆえに途中で道を間違えていた。なぜ「それゆえに」かと言えば長田山側地区歩きに関してはヘタにスマホなんかを見て歩くより、曲がり角ごとに律儀に(しかもわかりやすく)貼られている「全山縦走」と書かれた案内表示を見ながら進んだ方がよほどわかりやすいからである。でもそれは後になってからわかったことで、その時にはスマホばかり見て歩いていたから道を間違えた。

そして道を間違えた先には海が見える高台の公園があった。
私はその時、元来た道に戻る前についでだからとベンチで休憩したのだ。そしていっそのこと、この公園をカネロ対クロフォードの観戦場所にしようかと思いついた。
非常食用に持ってきたカロリーメイトをかじりながらNetflixの生中継を再生する。電波状況はきわめて良好。公園も人がおらず居心地が大変良い。

ただせっかく見つけた観戦場所であったが試合が始まるまでにはまだずいぶん時間がかかりそうである。そのあいだにNetflix制作の両者に対する密着ドキュメンタリーを見ていると、カネロって金がありすぎて、私が市場の漬物屋に行って「白菜と、きゅうりと……ナスももろとこかな」みたいに言うノリで90万ドルの時計と100万ドルの時計と140万ドルの時計を買っている。あとカネロって金がありすぎて家に馬と孔雀を飼っている。それでカネロの子供は馬とかラジコンみたいなバギーとかよくわからん乗り物に自由な感じで乗ってるんだけどカネロは「子供にすべてを与えるのが善とはかぎらない」とか言っててさ、虫歯の治療で金がかかったから子供にたまごっちパラダイスを買ってやれなかった私が自分自身を納得させるために念じたのと同じことを言ってたけど、まあカネロにはカネロの苦労があるんだろう。家で孔雀を飼ってる人って村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に出てくる老小説家だけだと思ってたけど『コインロッカーベイビース』にはでかいワニを飼ってる人が出てたよね。そのワニが高速道路で轢き殺されて……それでカネロが日本円で1億円とか2億円とかの時計をおでんの具を選ぶみたいにぽんぽん買っているその様子をカネロチームみたいな人たちが真面目な顔で見ててさ、大谷翔平選手の横にいた水原通訳もこんな感じだったのかもしれん。

それでなんか公園の居心地が良くて「もう今日のゴールはここでいいのではないか」と思い始めていたのだが、せっかく機嫌よくNetflixを見てたのに同じ公園に小学3年生くらいの女児があらわれて、よりによって私が座っているベンチの目の前にある水飲み場で遊び始めやがったのよ。子供が遊ぶのは子供の自由だけどさ、しかもこの場所はその子の地元の公園だろうからそっちに優先権があるとは思うけどさ、こっちはいまボクシング見とんねんダボハゼ。
女の子が来てから私の頭に瞬時に浮かんだのは、最近ニュースで話題になっている小学校教師による全国ネットワークの盗撮グループ事件である。あれな、まだ全員逮捕されてないけど学校現場ではなかなかインパクトがでかいのだ。自分はP……的なあれこれで学校の先生としゃべる機会が多かったりするのだが、あの事件がどかんと報じられた時の学校現場の空気って相当ピリピリしたものになっていた。そりゃそうだろう。クマとかサメとかが人を襲う事件が報じられるとすべての山にクマが、すべての海にサメがひそんでいるみたいな集団心理になる、そういう現象があるじゃないですか。ああいうのが学校現場(での保護者間)にも当然発生するので、男性教師なんて針のむしろっつうか、現場の先生は大変でっせ。

みたいなのが最近あったので、自分もそのへんはものすごく(教員でもなんでもないが)敏感になっているというのもあり、今ここの場所のこの構図の微妙さ、というのは必要以上に感じてしまう。つまり、日曜日の他に誰もいない公園。中年男はベンチに座ってスマホをかまえている。その目の前にはスカート姿の女児が1人、見た目にきわどいっちゃきわどい無防備さで水遊びをしている。それが世間にどう見られるのか、みたいなことはさすがに瞬時に頭に浮かぶわけで、とにかくいまこの公園にいるのはよくないと思った。

でもよくないっつうか、おまえが後から来たんやからおまえがどっかに行けよ、とは女児に対して当然思った。でもおまえが出ていけよ、などと言えるわけもないので結局私はせっかく見つけた居場所だったけどそそくさと公園を後にして、元の縦走路にかえったのだ。まあどのみち試合はまだまだ始まらなさそうだしこの先の予定も考えるととりあえず一気に鵯越駅までは歩いた方が良さそうである。

六甲山を縦走したい!(12)

しかし冷静に考えて、六甲縦走における六甲山全体が侍ジャパンだとして高取山は3番バッターなのか?という問題はある。ここは意見がわかれるところだろう。ここまで私が越えてきた山を打順として並べていくと

1番 旗振山
2番 横尾山・東山(須磨アルプスゾーン。キャプテン翼の立花兄弟みたいなイメージ)
3番 高取山
4番 
5番 
6番 
7番 高倉台
8番 

どうでもええわ。そもそも私は摩耶山より東の山、宝塚方面には行ったことがない。だからそっちは空白の15マイル、つまりパ・リーグである。これまで行ったことがある山ってことでとりあえずセ・リーグ(摩耶山より西)だけで打順を決めてみると……。

1番 旗振山
2番 横尾山・東山
3番 高取山
4番 摩耶山
5番 再度山
6番 鍋蓋山
7番 高倉台
8番 

並べるとやっぱり高取山って前田智徳的な天才肌の3番バッターだと思ったのだが、ほんまどうでもいい。今は山の打順を決めてる場合じゃなくって、私は高取山を前にしてこの日もっとも重要な戦略を立てる必要があったのだ。それはボクシングのカネロ対クロフォードをどこで見るかを決めるということで、ネットフリックスのボクシング中継自体はぼちぼち始まっているはずである。でもメインイベントまでには相当長い時間があるはずで、その「相当長い時間」を具体的に何時間くらいと見積るかで今後の動きが変わってくる。私は「午前中にメインイベントが始まることはないが、12時頃からは念のため、こまめに状況をチェックする必要がある」と考えていた。

その際、山の中にいて(Netflixがストレスなく見れるレベルの)電波を期待するのは愚の骨頂である。とはいえ地図を元に大まかな判断をする限り、とりあえずここから高取山は越えても大丈夫そう。
高取山を越えた後はまたしばらく長田地区の町歩きになるから、そこでの電波はたぶん、というかさすがに大丈夫だと思いたい。ただ町歩き後の次の山、菊水山に入ると以降は山岳ゾーンとなり電波状況が絶対あやしい。だからボクシングが観戦できる最終ポイントは神戸電鉄の鵯越駅だと見た。でも鵯越の駅にしてもアプリの予想到着時間が3時間後て、気の長い話やな。

でもまあとりあえずここは大丈夫やろ、と考えながら『ごろごろ、神戸』以来の高取山を上る。あの時はどこから上ったんだっけか、たしか途中まではバスで来た記憶があるけど、なんも覚えてないし、そもそも高取山になんの思い入れもなかったな。別にいま何かがあるわけでもないけれど、でもあれよ新田次郎の『孤高の人』を読んだら高取山はもう聖地みたいなもんですやん。てなことを書きながらもボクシングの時間が気になったので景色とか感慨とかそういうのは味わうこともなくてそそくさといろいろ通り過ぎて縦走路を歩いていると、途中で「神戸高取登山会の解散について」という貼り紙を見かけた。

六甲山系の登山会の事情はまったくわからないが、今後こういうのはどんどん増えて行くんだろうな。一部の茶屋はまだ元気だけれどそれは特殊な事例で、六甲山系の茶屋文化なんてとっくの昔に風前の灯である。ほんと、どこもかしこも根っこは同じ問題だと思うけれど、私たちがいま好んで享受している文化っつうのか生活の土台っつうの?そういうののけっこうな部分は現在七十代後半〜とかの昭和の人たち、あるいはそれ以前の世代の人たちが作り上げたものであって、登山道の茶屋も登山会も地域の自治会も昭和の酒場文化も古い市場も商店街も、今のじいさんばあさん世代が死んでしまったら終了だと思ったほうがよい。と、自分には言い聞かせている。

私たちは団塊世代が作り上げた文化のおこぼれに吸い付いているダニである。自分では何も生み出していない。いや「何も生み出していない」ていう言い方はさすがに違うだろうよ。まあええか。死にかけの昭和の残滓に対していつまでもダニのように噛みついて……て書いてて思い出したけど昔かわいがっていた犬が死んだ時、その犬にはノミが住み着いていて、犬が死ぬと住んでたノミが逃げて行くんよな、ノミも現金なやっちゃなと思ったわけだけど、自分だって文化的にはあのノミと同じよな、相手の死にそうな体に噛みつきながら「いつまでもそのままで生きていてほしい」などと嘆き芸を見せたのが『ごろごろ、神戸』ではないか。他人の人生に吸いついてそいつをいつまでも自分の人生のように消費している場合ではない。目をさませ、自分のしょぼい人生を引き受けるのだ。

山ってさ、最初の30分とか1時間くらいが一番しんどいよな。それがわかると、序盤のバテ具合も納得がいく。長時間歩くポイントは、序盤のバテ具合に対して「身体ってそういうもんなんだ」と飼い慣らせるかどうかだろう。私はそこがわかっていなかったので序盤のバテゾーンを真正面から受けとめてしまった。まあそういうのも経験ってことか。しんどいっちゃしんどいけど。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。て歌、なんかすごい悲しいメロディよな。歌自体は楽しいし、笑っておしまいだけど乾いた感じのかなしさが、アブラハムには7人の子、1人はノッポであとはチビ、みんな仲良く暮らしてる、さあおどりましょ、て。歌いだすと止まりませんな。何度も何度も。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。若いのに死んだ人のニュースは重く響きますな。それが一度でも会ったことのある人だと。他人の死からなにかを学ぶ、みたいなこともしたくない。死は死、生は生、目の前の人生を引き受けて生きるだけである、たとえどんだけしょぼくても。自分の人生は自分の人生。他人の人生は他人の人生である。この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注いでおくれ、てな。しゃらくせえ!

六甲山を縦走したい!(11)

六甲山を縦走しているとその道中において六甲山とは何かという問いにおのずから直面せざるをえない。なぜかといえば須磨アルプスである横尾山・東山を下りてからというもの、自分が歩いているのはどこからどう見ても山ではなく「町」であると体感されるからである。出発前に思い描いていた縦走(山道具のカタログ表紙みたいなやつ)と違いすぎる。
これでは山歩きではなくただの町歩きではないか。

というような文句をぶつぶつ心の中でつぶやきながら、さきほど妙法寺の手水舎で若者2人組から教えられた(というか立ち話を勝手に聞いた)ローソンを右手に見ながら妙法寺小学校の交差点を渡る。これまでのニュータウン歩き、といった風情から、このあたりは古くからある町なみだろうか。全山縦走路と書かれた案内板通りに進んで行くと道幅はさらに狭くなり、これだけ家屋が密集した住宅街を参加者2千人が(バラバラになっているとはいえ)進んで行く縦走大会の様子を思い浮かべた。

それは昔フジテレビで深夜、アイルトン・セナが走っていたころのF1中継で見かけた記憶があるモナコグランプリのようでもあったし最近Netflixで見たところのツール・ド・フランスのどっかの町なかを走るコースのようでもあった。一帯に住民が住んでいようがなんだろうが無理矢理なとけこみ方をしているイメージ。F1とかツール・ド・フランスなんて迷惑度とか危険度で言えば六甲縦走の1000倍くらいはありそうじゃないですか。六甲縦走大会もあれくらい(て知らんけど)強気な大会運営だったらいいのだけれど。日本ってたとえそれが少人数であっても苦情にめっぽう弱いから、ちょっとやばい感じの方がいて苦情を入れたら即アウトみたいな、そういう不幸なことが今後六甲縦走大会に起こらなければいいのだけれど。

でもたぶん、こういう街路での大会っていうのは、六甲縦走の場合は市(行政)と地元自治会との調整なんじゃないだろうか。想像ですけど。
で、ここから話が大きくなるけど、今後の日本って自治会的な地域共同体は確実に消滅していくと思うわけ。私は外野からそういうことを言ってるのではなくて自治会の中にいながら世の中を見つつ痛切にそう感じる。だから主催する行政と、地元(のひとりひとり)とのあいだにある、ぶよぶよした、多少の何か面倒事みたいなのは「まあ、まあ」と飲み込んでしまう調整弁みたいなのが将来的にはなくなるわけですよ。てなると少しでもめんどくさいものはなくしていく方向になるだろうから、10年後、20年後とかに縦走大会は存続できるのか、て話ですわな。

とか、なんかこんなことを考えていると自分まで大会に参加しているような気分になるが、私はしょせん1人、右ポケットに甘納豆、左ポケットに乾燥小魚をつっこんで、誰とパーティを組むわけでもなく厳冬期立山連峰での山小屋からも締め出されてしまった、山に登っているあいだに園子さんまで知らん男に奪われてしまった平民文太郎であった。全然関係ないけどさー昔って日曜の夜中だっけ、F1がテレビ中継されてたよな。シンボリルドルフ、千代の富士、アイルトン・セナ。これが当時の「いつ見ても勝ってる人」であった。京橋に京一だっけ、今はもう絶対なくなっているだろうゲームセンターがあってそこでナムコのファイナルラップの大会があってファイナルラップには絶大の自信があった私は絶大の自信をもって出場したけどモナコグランプリで地区3位だった。あの時世界の広さを感じたなあ。

関係ないといえば、駅とかの案内地図を見たらまあ神戸の駅って町地図に必ず六甲山が描かれてるじゃないですか。地図の上に六甲山があって下に海がある。どこで案内地図を見ても必ずそうなっている。ああいう案内地図に描かれる六甲山って塩屋から宝塚までひとつのかたまりとして横に長くつながってるわけでしょ。
ひとつらなりの、横に長い山々のかたまりとしての「六甲山」。
それは私が頭の中に描いていた六甲山の図とも合致するものであり、だからこそ私は六甲山縦走といったときに「ひとつのまとまったもの」としての山系みたいなものをイメージしていたわけです。

六甲山縦走というからにはずっと山を歩いているものだと思っていた、けれど今自分がやっているのは山歩きではなくて町歩きじゃないか、てのはさっきも書いたよね。
それで思うんだけど、実際に歩きながら思ったんだけど、六甲山というやつは(駅にあるような地図とは違って実際の姿は)妙法寺のあたりで一度完全に途切れているのではないだろうか?

でも、それを言い出したら「山、海へ行く」でごっそり削り出した高倉台のあたりですでに六甲山は途切れているとも言えるかなあ。
なんにしたって塩屋から来て妙法寺まで、ここまで歩いてきた山と、これから行く山って別の山なんじゃね?だって塩屋の人って自分たちのうしろにあるあの山を「六甲山」だとは意識してないでしょたぶん。

と、ここまで考えて、ふと気づいた。

そうか。「六甲山」というのは感覚としては、侍ジャパンみたいなものなのだ。
鉢伏山も栂尾山も高倉山も普段はそれぞれの山として、それぞれのチーム(地域)で活躍してるんだけど、WBC(年に一度の六甲全山縦走大会)がある時だけ個々のチームから離れて結集し、ひとつの侍ジャパン(六甲山)になるみたいな。これだな。

普段はドジャースでプレイしている大谷翔平が、ナ・リーグ西地区でリーグ戦を争っている時には「侍ジャパン」への帰属を意識したり表明したりしないのと同じで、たとえば旗振山だって普段は六甲山系への帰属などは意識はしていない。けれど縦走大会の時だけとつぜん六甲山としての深層意識が覚醒されて大会入口の山になるみたいな感じかな。

というようなことを考えながらの山……ならぬ町歩きであったが、道道の電柱に貼られた「六甲全縦」の古い看板によってかろうじて私の縦走気分は維持できていたのであり、そしてようやく町感が途切れてきたと思うとそれを待っていたように首のまわりには次第にプンプンと羽虫たちがまとわりつき始め、そして両側を草におおわれた一本の細い道が伸びていて、ここからがようやく、侍ジャパンの3番バッターとも言える高取山のふもとに立っていたのであった。

六甲山を縦走したい!(10)

あきらかに新しい身体に生まれ変わっている。そのような実感が私を突き動かす。階段でも、馬の背に至るまでの栂尾山の急坂でも全然疲れを感じない。荷物の重さにも慣れてきたのかもしれない。

全然関係ないけど昔、こういう話題だから場所は書かないけど日本のはしっこの方の工場で働いていた。そこは単純労働だったから、まあたとえば朝から晩までずっとベルトコンベアーの前に立って流れてくる瓶にキャップをしめていくみたいな仕事って、ちょっと通常の脳のモードではできないから脳の中の何かを人為的にトバす必要がある。トンだ状態でやるわけだけど、そこにいた池田さんって人がずっと瓶にキャップをしめていく的な仕事を毎日同じ持ち場で一心不乱にやっていて、池田さんは季節工として流れてきた人で元々は暴力系の仕事をしていたという噂がありそこは噂というよりも昭和の元暴力系らしく身体のわかりやすい部分が欠損していたこともあってある程度の客観性もあったのだが池田さんって寮に女出入りさせてるらしいよ、誰?誰って課長の、人がいる時には課長の車で、あの人覚醒剤やってるから、おまえ知らんの?だから真面目にあんな仕事できるんじゃん、まともな人間はこんな所に来ませんよ、小西さんだってオウムの、いやそういう話じゃなくってさ、なんの話だっけ?

さっきからちょくちょくトレイルランの人たちとすれ違うけれどあの人らってなんでこんな急坂を走れるのだろうか。歩くならわかるんだけど走るっていうのはちょっと考えられんな、と思った時に、右膝の内側とふくらはぎの上部に小さな痛みが走ったのを私は自覚した。ただこれは少し気になる程度で普通に歩けはする。だがこの先どうなるかはわからないと、一応慎重な想定はしておこう。無理せず身体をいたわって歩けという身体からのアドバイスだろう、文章でこういうことを書くとさ、これは絶対に後々のための伏線やなみたいになるやん、そう思われたくないから起こったことを直叙で書きにくいわな、私はどこまでも、頭の先の1ミクロンから足の先の1ミクロンまで意識を行き渡らせている、なぜなら覚醒剤をやっているから、あほか、こんなものが伏線になって後に右膝の内側とふくらはぎの痛みによってリタイアとかそういう展開になるくらいなら私は恥ずかしくていまごろ死んでますね。(注記:この文章は妻が代筆しています)

ひさしぶりに到着した須磨アルプスの「馬の背」であるが景色を堪能している余裕はなかった。余裕がないというか、自分はいまマリオのスターをとってキラキラ光っているみたいなゾーンに入っているから馬の背でのんびりしているのはもったいないと思ったのだ。400階段のところは人が多かったし、今日は日曜日なのでもっと混雑してるのかと思ったけど、見渡してもせいぜい10人くらいか。ただでもこれよくよく考えたら明るいうちに宝塚に着くためには塩屋を深夜に出る必要があるから、その場合馬の背の岩稜地帯を夜にヘッドライトで通るってこと?それはだいぶこわいかも。
栂尾山、横尾山を過ぎて道中の縦走路の矢印は妙法寺へと伸びている。
せっかく長い階段を上ってここまで来たのに、また山をおりて下界へってか。

他の山の縦走は知らんけど六甲山の縦走ってのはこういう山から町へ、町から山へのアップダウンの繰り返しがだるいのだろう。縦走と聞いてイメージしていたのは山の上をひたすら歩くという山道具のカタログの表紙みたいな行為であった。しかしいま私がおこなっているのはアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』そのままの、でかい岩を苦労して山頂まで転がしながら持って行ったのに、持っていったそばからその岩がふもとまで落下して、それでまた山をおりてその岩を山頂まで上げねばならない、みたいな永遠の繰り返しである、六甲縦走においてはそんな繰り返しが直線距離では測れない、荷重量では計れない負荷となっての行為者にのしかかる。

ちなみに今回の旅では自販機や商店での飲食物の途中補給は考えていなかった。
途中で補給なんてのは偽物で本物の旅をするならリュックの中にすべておさめておくのが筋だろう。
そのように考えていて、だから私を悩ませたのは「では六甲全山縦走においてリュックにはどれくらいの飲み物と食べ物を入れたらいいのか」というテーマであった。
それでとりあえず500mlのペットボトルのお茶を4本入れておいて重い重いとやってきたのだが、私の考えはまったく甘かった。

先ほどの栂尾山南西壁において「やはり水分補給は大事だ」と発見して以来、私は道中気軽に水分補給をしてきたわけであるが、旅の序盤にしておおかたの水分がなくなってしまっていたのである。でもまあ二〇三高地を奪取してくれとなんぼ言われても旅順要塞突撃にこだわり続けた伊地知幸介参謀長じゃないけどこうじゃなきゃダメみたいな頭の固さって良くないから私は補給をする旅も本物だろう、いや補給をする旅こそ本物だくらいに頭をさっと切り替えて自販機をあてにした。するとさっそく妙法寺に降りた所の路上に自販機があったわけ。町ってありがたいねえ……。

自販機で存分に買った水を飲みながら手水舎の前で休憩をした。そこにザックを背負った若者が2人やって来て、首に巻いていたタオルをたまった水で濡らしながら「ああ気持ちええわ。この場所にこんなん(手水台)あったんやな」としゃべっている。きみら孤独じゃないねえ、よくないねえ、きみらの中の加藤文太郎はどこに行ったんやと思いながらも私は彼らの会話に注目した。「ここを通る時っていつもローソンに集中してるから。こんな場所(手水台)全然気がつかへんかったわ」なるほど、この先にローソンがあるのか。一瞬さきほど消費してしまった遭難用非常食のソイジョイやアミノバイタルを補給しようかと考えたがでもあれよな、ちょっと待て、これはさっきの道中自販機での補給をあてにするかみたいな話とは違うかも、違わないかも、現実的な話、六甲縦走においてスーパーやコンビニに期待するってのは危険じゃないだろうか。いくら町だといっても三宮や元町ではないのだし。そんな風に私を慎重な気分にさせたのはやはり先ほど見かけてしまったコーヨー高倉台店跡地から出ていた瘴気、令和的虚無感、いつもやってると思っていた大型スーパーのシャッターが突然降りてしまうニュータウン風景から得た知見である。あれは本当にこわい。だからまあ、自販機はともかくローソンは寄らんでええか。そのようにぼんやり考えていると一台の車が私たちの前で停まり「にいちゃんたち、ここの水は井戸水やからタオル濡らすのはええけど飲んだらあかんよ」とだけ言って走り去った。「六甲縦走でお越しですか?このあたりで疲れちゃう人が多いんですよ。無理したらよくないから、私の車で家まで乗せて行きましょうか」「いえいえ、そんな、お断りします。男たるもの一度決めたことはやりとげてなんぼですから」「そうですか。でもまあここは私の顔を立てて、車に乗ってくださいよ」「そうですか。そこまで言われたら。じゃあすいませんけどお願いします」みたいなやり取りはなかった。

六甲山を縦走したい!(9)

体力的な限界が来ている。
そう考えた私は、息が苦しくなるごとにその場で立ち止まって休むという場当たり的な、中途半端な方法ではなく、リュックをおろしそなえつけられたベンチにしっかり腰を据えるという本格的な休憩法を選択した。先ほどおらが茶屋のベンチで靴下まで脱いでのんびり休憩したばかりではないかという罪悪感や孤高の人としてのプライドもあるにはあるがそうも言ってられない状況、つまり私は決定的にバテていたのだ。

ベンチに座り、地面に置いたリュックから取り出した500mlペットボトルのお茶を一気に飲んだ。飲み干した。
まだ食べるつもりはなかったのだが行動食袋の中からソイジョイを1本取り出して食べた。さらに遭難時の非常食にと考えていたアミノバイタルのゼリーも一気に全部吸い込んだ。その後20分ほどぼんやりと景色を見ていた。昔から神戸に住んでいる人間は今でも須磨のベルトコンベアーが稼働していた(稼働していなくても設置されていた)時代の景色をよく覚えているのだと言う。いくら神戸だけでなく日本全体がガツガツしていた時代とはいえよくこんな大胆な、山を切り崩して海に持って行って人工島を、そのためのベルトコンベアーを、切り崩した跡地に町をひとつ、みたいな豪胆な開発ができたものである。でもあれよな。その頃は良くも悪くも純粋に前しか見ていない時代というか、今は希望しかなかったニュータウンは過疎化高齢化してあれよ、高倉台団地のコーヨーの閉店、山トレでちょくちょく買い物していたコーヨー、私とか他登山者はしょせん部外者の利用だからあれだけど地元民はどうすんの、めちゃくちゃでかいわな、めっちゃ時代を象徴してると思う。でも角幡さんと服部さん(記憶が超あいまいだからフルネームでは書かない。いろいろ間違ってる可能性が高いから迷惑をかけてしまう)のどこか(YouTube?)の対談だったかで、角幡さんが日高山脈を彷徨してもどれだけ奥地に行っても人工物があるみたいな話で、話が崩壊登山道だっけ、そういう話題になり、いろいろな人工物がこのまま崩壊していったらどうなるんだろう、ハハハ、長いスパンで考えたら原始に帰っておもしろいじゃないか、みたいなあれがあって、自分もそうであるところの一般の人間ってのは崩壊していくものに対しては「なんとか元にもどせんだろうか」的なベクトルでものを考えてしまうのだが怪物2人の対談はやっぱすごいなと思った、たしかに千年とか1万年とかの流れで考えたら崩壊するならすればいい、1億年とかで考えたら原始の自然に還るだけ、みたいな、ナウシカっぽい?おもろいわな、おもろいかどうかはともかく思考に風穴が開くっつうかな。大昔、上海から大阪だったか神戸だったか行きの船で出会った上園さんを思い出した。4年かけて自転車で世界一周をしてこれから日本に帰国するところだと言っていた。4年かけて、という時間や、自転車で、という方法や、世界一周というスケール、何もかもが当時19歳の私には未知であった。それだけ長い時間をかけて世界中を周るなんてどんな気持ちなんですかねみたいなことをと聞くと上園さんは「あなたもぼくと同じことをするタイプだと思う。だからここで聞かなくてもいつかわかりますよ」と言ったが結局私はそのような大それた冒険は何もせずにあれから30年の時間が流れて初老などという言葉を舌先でころがしながら近所の山で息をハアハアいわせている。

休憩した後、歩き出すと、不思議な変化があった。

足腰だけではなく、体全体に力がみなぎって、一歩一歩に力が入るようになっているのである。ここで私は、身をもって深く理解した。

どうやら、山で動けるかどうかはエネルギーの補給にかかっているらしい。
つまり道中の適切な水分補給と、エネルギー=カロリーの補給が山歩きには必須であり、おそらくわたしはわざわざリュックをおろしてお茶を取り出すめんどくささを忌避するあまり単純に水分不足になっていた=力が抜けたのだとわかった。ここはあくまでも推測であるが「疲労の原因は一に水分不足、ニにエネルギー不足」これは体感として絶対であった。
「水分補給とエネルギー補給は大事やで」こういうのは山歩きをするにあたっては大前提として持っていなければならない知識なのだろう。山動におけるパフォーマンスは基礎体力をベースとして「水分の補給」「エネルギーの補給」「休憩」の配合ですべてが決まる。山歩きは料理と同じである。

なにせ急に体が動くようになっている。
太ももやふくらはぎだけでなく「全身の巡り」みたいなものが生き返っている。
私は登山者として必要な知識を得たこの瞬間からコイキングがギャラドスになるように登山者としてだけではなく生物としても数段階ステップアップしたのだと自覚した。
山を歩くという行為についてギャラドスからコイキング達にようこそ先輩的にアドバイスをするとすればだね、まず私たちは最初山で「動く」という状態にありますよね。そして、疲れたりしたらその都度休憩したり飲み物や食べ物を補給したりしますわな。
しかし、これってあくまでも平地で散歩する場面とかで有効なやり方なのである。
後輩達よ、山ではそれは通用しない。

登山においては「疲れたなあ→休憩」とか「のどがかわいたなあ→お茶」では手遅れなのだ。「山で動く」を常態としてキープするためには、生理的な訴えが内奥から湧き上がってこようが来るまいが、常に飲食料の補給を細かく重ねていくのが大事なのである。たぶん合っていると思う。おしっこしたくなってからトイレをさがしてもトイレがないみたいな。それは違うか。全然違うかも。

ともかく私の体に起こった突然の変化はあきらかに飲食料の補給によるパワーだろう。
何度も重ねて書くが長時間の山歩きをするためには「お腹がすいたから」とか「喉がかわいたから」という体からの訴えを待ってからの補給では遅い。お腹がすく前に、喉がかわく前に、「身体とはそういうものなのだ」という理解の元で定期的に栄養なり水分なりを補給していく、とにかくお茶は細かく飲めという話である、わかったかね?動く、動くぞ、なんだこれ、私は進化した新しい体で難攻不落の400階段がそびえる須磨のマッターホルン栂尾山南西壁を制覇した。

六甲山を縦走したい!(8)

日曜日なので須磨アルプス中心部の「馬の背」周辺は混雑するだろう、そこにぶつかるとせっかくの雰囲気(孤高の人感とでも言おうか)が台無しになるから、出来れば朝のうちに混雑ポイントは通過してしまいたい。出発時点ではそう考えていたのだが、いま目の前に長く伸びている栂尾山への入り口に設置された通称「400階段」にはすでに登山者が6人見える。平日ならほとんど人がいないのにさすが日曜日である。でもまあ今さら雰囲気がどうのこうのと言ったって出発からすでに何十人もの登山者とすれちがっているのだし、それにこれを混雑とか言ったらバチが当たる。ゆうて6人である。東京の高尾山なんて段違いの人ごみなわけだしあれよな、なんやかんやで神戸は人間が少ないなと感じるのはたまに用事で大阪駅に行った時で、このまえも妻のGショックの修理受け取りに梅田に行ったんですが梅田は宇宙ですな。ハーバーランドに行くとたまに何かのイベントにかち合う日があって「人が多いなあ」て思うけどハーバーランドだけじゃなくて神戸市の人口と同じくらいの人がヨドバシカメラとグランフロントのあたりにいる。

……………………

……………………

さっきから、上っても上っても階段が終わらないではないか。

この400階段にしても減量期のトレーニングのために何度か使ったことがありこちらとしては慣れたもの、というほどにナメた気持ちはないにしても、どこかにこう、馴染みの場所やんか〜くらいの気易さはあった。しかしやはりトレーニングの時の手ぶらで上るのと縦走のためにリュックを背負って上るのとでは全然違う競技をやっている感じがある。トレーニングのために使っていた時は階段だけが目的であったけれど、縦走の場合だと400階段など長い道のりの中の小さな通過点にすぎない。

私は目の前に長々と伸びる、上り切ったところで何が達成されるわけでもない石造りの長物を前に圧倒的な徒労感と絶望感を感じている。
もう嫌だ。もう嫌だ。
なにせ直前に高倉台の長い下り階段に苦しんだばかりである。
せっかく標高246メートルの旗振山を始めとした巍峨険阻たる垂水アルプスを縦走し命からがらおらが茶屋にたどりついた、そう思った矢先に上ってきたばかりの山をすべておりろという指令を高倉台の階段から受けた、その無情階段を数百段、たったいま下りてきたばかりである、なのにまた、数百段上らなあかんのか、というシーシュポス的徒労、イヤだ、イヤだと大腿四頭筋はこれ以上の出動を拒否している。
立ち止まって、ゆっくりと眼下の世界をふりかえった。

これ、どこかで見たことがあるなと思った。
そうだ、北斗の拳のサウザーが聖帝十字陵を作るのに、南斗の仁星のシュウっていたじゃないですか、ケンシロウをたすけるために自分の息子まで捧げた乃木希典みたいな人。そのシュウがぼろぼろになりながら、村人か何かを人質にとられているために聖帝十字陵の石をひたすら積み上げていく場面、あれといっしょだと思った。そう考えると栂尾山の長い階段はなんだかピラミッドっぽいし、たぶん武論尊はこのあたりの景色を見てあの伝説の場面を思いついたのかもしれませんな。

北斗の拳ってさ10年くらい前に究極版が出て、その時に全巻買ったら複製原画のプレゼントってのがあったのね。それで同じく伝説の場面でマミヤの乳首シーンってのがあるじゃないですか、私はあれの複製原画が欲しくてそのために全巻買った。でもそのあと神戸に引っ越すってなったから東京時代の荷物(おもに本)をほとんど処分することになって北斗の拳の究極版全巻も当時三鷹に出来たばかりのしゃれた感じの古本屋に持って行ったんだけど、でも今から考えたらあの古本屋、せっかくしゃれた店をかまえたのにゼノンコミックスの北斗の拳全巻を持ち込まれても迷惑だっただろうな。でもああいう洒落た本屋やってるような人ってこっちがそういうことを言うと「いえいえ、ぼく北斗の拳こどものころ大好きだったんですよーうれしいですー」とか言うねんな、うれしいんやったら10万円で買えや、ムカつくねんけど。

階段の合間に設置されたベンチごとに休憩しながら考えごとをしていると、老人だけでなく若者たち、後から来た登山者たちに続々と抜き去られて行く。
彼らはどこから来てどこに向かうのか。
私と同じ、縦走仲間なのだろうか。
いや、私には仲間などいない。
どいつもこいつも滝に落ちて死んでしまえよ滝ないけど。
滝に落ちて死んだ人おったよな自撮りで……。ああいうの他人事ちゃうてな全然。
体が押しつぶされるようにだるく重い。私は意を決していったん荷物を全部下ろし、半端な形ではなく本格的な休憩体制をとった。ここがやめどきなのかもしれないとも思った。

六甲山を縦走したい!(7)

 標高246メートルの旗振山を過ぎ、標高237メートルの鉄拐山を過ぎ、私はようやく対流圏と成層圏の境となるおらが茶屋の展望所に着いた。あたりの景色や見下ろす町なみは神戸市が1960年代からおこなった、山をごっそり削り取って海上都市建設用の埋め立て土砂に使うという「山、海へ行く」と呼ばれた(今の時代にはあらゆる意味で出来そうにない)開発手法の舞台、ど真ん中である。出発した時には靄が出ていて夜を引きずる薄暗さもあったがもう完全に朝である。ベンチに腰をかけ、本格的な休憩に入るべく靴と靴下を脱いだ。素足を空気にあてると気持ちいい。むきだしになった足裏が呼吸を始めている。靴下を脱いだままあぐらを組んでリュックの中からメロンパンとSAVASのプロテインドリンクを出して朝ごはんを食べた。

最近ファミリーマートのメロンパンにハマってしまい「メロンパンってすごくおいしい!」と気づいたのだが、自分としてはこれはメロンパン全般が好きになったのだろう、そういう体質になったのだろうくらいにとらえていた。だから今食べているのは昨夜のうちに近所のスーパーで買っておいた88円のメロンパンである。しかし、食べ始めてすぐに理解した。私はメロンパン全般ではなくてファミリーマートの『ファミマ・ザ・メロンパン』が好きなのだ。

これはなんの違いだろうか。まず何よりも名前の「ザ」の位置がキン肉マンで言うところの「ビッグ・ザ・武道」みたいで格好いい。あとさくさくの部分も全然違う気がする。近所のスーパーのメロンパンがおいしくないわけではないのだが、これは別になくても困らないおいしさであり、あの時の出会いがもしもファミマのメロンパンではなく今現在手にしているこのメロンパンだったらそれは運命の出会いとはならず、私はこんなにもメロンパンが好きにならなかっただろうから、そうなると今は別のパンを手に持っていたのかもしれない。出会いとはどこまでも偶然である。何かの偶然で一瞬自分の手のひらの上に何か(この場合はファミマのメロンパン)がのって、それをしっかりとにぎりしめていればよかったのに私は別のメロンパンを買ってしまった。「ビッグ・ザ・武道」て名前は文法的にどうなんだろうな。

出発段階からここに至るまでに健脚老人たちとすれ違いすぎて孤独の旅路感はすっかり色褪せてしまった。しかし88円のメロンパンをかじりながらこうも考えた。私もこの先想定外の要因で中途で死なないかぎり高齢者になるのが生命体としての既定路線である。ならば、どうせなら将来的にはここですれ違ったような健脚老人の側にいたいものだ。日頃から近所の山に出入りするだけの体力と気力を有した彼らの側にいたい。たぶん体力と同じくらい気力も大事なのだと思う。ファミマのメロンパンがメロンパン全般ではないように彼らもやっぱ老人全般ではなく人生の岐路ごとに勝ち残っていった特殊老人コマンドーみたいな勝ち残りジジババたちなのだ。

そう、岐路である。自分にしたって、体重を25キロも落とすというのは人生的に重大事件なわけで、その最中の私には明確かつ重大な岐路が見えていた。このままでいるのか、それともあちら側を目指すのか、というような。いまでも五十を前にしてそのような岐路が見えている。何かに到達できたわけではない。ともかく私には子供が生まれた四十歳の時には子供のことだけを考えていればよかったから見なくて済んだ岐路がこのたびはくっきりと見えてしまっているのだ、などと熱心に語るとその話を聞かされた他者は冗談だと思って100パーセント笑う。本気で語っているのになぜ他者は笑うのだろうか。それは他人事だからだろう。結局自分の目の前にあらわれた岐路は自分で処理していくしかない。その姿が真剣なものであるほど他者からは滑稽にうつるのだとしても。

ともかく山で出会う健脚老人問題である。こんな感じの岐路がこれから六十代を前にしてもやって来て、七十代を前にしてもやって来て、出発時に私は「初老をつきつけられる」などと書いたがそんな言葉遊びみたいな「初老」じゃない、本格的な老いと死を突きつけられるような岐路がいつかあらわれるのだろうよ、そのとき自分は「じじいのくせに往生際の悪い、じじいは家にこもって猫でもなでとけや、おまえはじじいやのに何をやっとんねん」みたいな側、つまり朝っぱらから山に登ってラジオ体操をしている側に行けるのか、それが問われている気がした。私の足裏はその気持に応えてくれるだろうか。十分風にあたった足裏に、しっかりがんばってくれよと声をかけながら靴下を履き、おらが茶屋の先の階段を降りた。せっかく成層圏近くまで登ったのにまた地上におりてきて、そしたらまた天空にまで伸びていく長い長い階段が私の前に立ちはだかる。はたして無酸素で登れるのだろうか。ここからはいよいよ須磨アルプスである。

六甲山を縦走したい!(6)

しかしあれですな。
先ほどから孤独の旅路、孤独の旅路、と唱え続けて雰囲気を盛り上げようとしているにもかかわらずどうにも調子が出ないのは、体の重さはさることながらさっきから登山道がぜんぜん孤独ではなくて早朝から体力があり余ってそうなトレイルランナーや地元の老人たち(毎日登山組)とすれ違いまくっているからである。孤独の旅路感がまったくない。いつかあの世で縦走した理由を聞いてみたいなどと書いたが1975年の第一回縦走大会に出ていたモノクロームの若者たちは案外まだまだ現役で山に登っているのかもしれない。このあたりさすが毎日登山の町であると感心し、私はといえば途中で何度も休みながらようやく縦走路最初の山頂近くにたどり着いた。

予想していたことであるがあたりのベンチは早起きのご老人たちの談笑の場となっておりさながら登山老人の万博会場といったにぎわいである。その後もわらわらとやってくる老人軍団に囲まれていると孤独の旅路感を求めていたこと自体を忘れていき、ともかく朝の山には下界とはまったく違う文化圏があるのだと感心する。

彼らは何時に寝て何時に起きているのか。ゼルダの伝説に出てくる森の妖精コログみたいに山に住んでるんじゃないのか。しかもみな軽装であり、なんならこれからラジオ体操でも始まりそうな雰囲気さえある。なんかほんま、ゼルダの伝説で山を登っていったら見たことない種族の村を見つけたみたいな感じやなと山頂の毎日登山村に感心しせっかくお会いできたのだと思ったのでさわやかに「おはようございます!」とこちらから声がけをした。それにしても「おはようございます」「おはようございます」と挨拶をかわし合っていると、大げさなリュックを背負って全身で山に対し身構えている私だけがあきらかにここでは場違いな感じなのが実感できる。

とりあえずあいたベンチに腰をかけ、ひと休みしていると目の前に新しい初老紳士がのぼって来て私の前で立ち止まったのでこの場にいる誰もにそうしたように新参者としてこちらから「おはようございます」と声をかけたのだが初老は私に対しほんの一瞬だけ目をくれたのみで挨拶などの言葉は返ってこなかった。おい無視か、とは思わない。この場では私は新参者なのだから。それに登山道で挨拶が返ってこないことなどはごく普通にあるのである。

本当に骨の髄までさわやかな、挨拶好きの人も中にはいるだろうが、多くの登山者というのはお互いに「おまえのことなんてどうでもいいのだが、山のルールとして仕方なく」といった具合に挨拶をかわし合っている。そして、そのように、知り合いに会ってうれしいから挨拶をしている、とかではなく「ルールやねんし、まあ仕方なく」くらいの感じで挨拶しているからこそ、聞こえているにもかかわらずあきらかに挨拶を無視されるとムカつくわけだ。おわかりだろうか。

これは信号機に例えるとわかりやすいかもしれない。歩行者として「まあ仕方なく」というくらいのノリで赤信号を待っている場合、横からシュッとした感じで「知らんがな」とばかりに信号を無視するやつがいたらムカついてしまうのとたぶん同じ原理である。ただまあすでに書いたように、ここは登山道ではなくひとつの集会所みたいな感じになっているし、それに集まっている人も知り合い同士が多いのだろう、私はあくまでも部外者である、と思い一瞬イラッとしかけたものの自分の中のアンガーマネジメント機構のスイッチを入れてムカつくことはやめにしておいた。

にもかかわらず、ムカつくことはやめにしておいてやったにもかかわらず、許してやったにもかかわらず目の前の初老は私を無視したあとで平然と、奥のベンチにいた女性2人連れに(私を飛び越えるように)笑顔で声をかけているのであった。
初老「(私の頭の上で)おはようさん!」
女「(私の頭の上で)●●さん今日もお元気で。この前教えてもらったヤマダストアに行ってきたよ」
初老「(私の頭の上で)そうか。よかったやろ」
女「(私の頭の上で)うん、教えてもらった道順どおりにいったら迷わんと行けた」
すべての平和な会話が私などいないかのように私の頭の上でなされている。もしかするとこれは「きみ、そこはボクの定位置で、そこのベンチに座られたら邪魔なんやけど」と間接的に言われているのではないだろうか。今の私は大雪の中ようやくたどり着いた立山連峰の剣沢小屋ですでにいた6人組に外に追い出された(『孤高の人』上巻p387〜)加藤文太郎に地上でもっとも近い位置にいるのかもしれないな、そう思った時早朝の登山道に砂埃に汚れた木綿の着物を着て杖をついた盲目の座頭があらわれて私を残してこの場にいる全員を一瞬のあいだに居合で斬り殺してしまった。あっけにとられる私に向かって座頭は「迷惑かけたね、気をつけて行ってらっしゃい」とだけ言い残して去ってしまった。あとに残された私はそうだそうだ、さっきから孤独の旅路の歌詞を見ようとしてたんだった、と思い出しスマホの検索窓に「ハート・オブ・ゴールド 歌詞」と入れたらエグザイルの歌の歌詞が一番上に出てきた。

六甲山を縦走したい!(5)

天気アプリによると今日は一日曇り空になってはいたが降雨予報はなく、9月とはいえ夏の名残でまだまだ強い日差しを考えれば曇天はむしろ恵まれているといえる。登山道はまだ薄暗いけれど注意すれば十分に歩ける程度の明るさはあって、これから刻一刻と朝になるわけだからヘッドランプはつけなくていいだろう。都市部ではもう聞こえなくなったセミの声が周囲を木々に囲まれた道にはまだ響いていて、それに鳥の声と鈴虫の鳴き声と落ち葉を踏みしめる自分の足音だけが今ここにある音の全部だと思って歩いているうちにも少しずつ周囲も明るくなっていく。ニール・ヤングの『孤独の旅路』という曲名が浮かぶ。一段、一段のぼるごとに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、とリズムをとり、心の中で声にしながら進んで行く。

孤独の旅路ってなんかアルバムタイトルっぽいけどアルバムは『ハーヴェスト』だったな、『ハーヴェスト』と『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』はどっちを先に聴いたのか忘れたけどニール・ヤングの二大こんな音楽があったのかアルバムだ。ボブ・ディランとニール・ヤングがいるアメリカ人がうらやましかった、十代の最後の年に聴いたんじゃないか、て書きながら思ったけど、音楽とは関係ないけど、私は酒の「のむ」を「呑む」て書く奴は悪魔だと思ってきた、呑むじゃなくて飲むって書けよと、けれど自分だっていま「きく」を「聴く」て書いたじゃないか。それだって他の人からしたら悪魔だと思われるのかもしれない。「飲む」を「呑む」て書く奴の漢字の選別から見えてくる自意識がほんまうっとおしい、と言いながら自分は音楽を「聴く」と書くときに「聞くじゃなくて聴く」みたいな選別感があるよな、とは以前から思ってた、きくを聴くと書く時に自分には何かがあるなと、なんか「こっちの漢字を選んで書いている」みたいな時に己の中の嫌なものを見せられるようで嫌になる、そういうのに「もうめんどくさいわ」となり、みんな糸井重里っぽく漢字をひらく感じになっていくのかもしれん。ひらくのはひらくのでクセが出るから使い方が難しいとは思うけど「きょうだい」とかはひらいて書くほうが好きだな。

それにしてもまだ5分も歩いていないのに息が激しく切れている。これはなぜか。プレッシャー?「やったるで」みたいな気負いからだろうか。なんせ歩き始めにしていきなりであるが体がめっちゃ重い。塩屋の登山道は何度ものぼっている慣れた道なのに、この体の重さはなに、てくらいの。でもこれまではほとんど手ぶらの状態で登ってたから、なるほど、今日のように荷物を背負って歩くのと手ぶらで登るのとでは同じ登山でも別の競技みたいな感覚なのかと学んだ。自分はずっとheart of goldを探してきた、そうやっているうちに、and I’m getting old……(ずいぶん年をとってきたわいな)て、これは『孤独の旅路』原題ハート・オブ・ゴールドでくりかえされる印象的な部分だ。ハート・オブ・ゴールドを孤独の旅路てなんか、あまりにも直球な、まあそう言うならそうなんだろうけどそう言う?みたいな訳ですな。

そういえば神戸市がYouTubeで公開している1975年の第一回六甲全山縦走大会の映像(映像というか写真をつなげたもの)をきのう見た。モノクロの景色の中にいる健脚そうな若者たち、あれも今では例外なく死んでいるかよぼよぼなのであろう、そんなことを思いながら。どんな生き方をしようが年をとる、生まれたからには死んでいく、みんながみんな、and I’m getting oldなのである。先ほど玄関で尻もちをついた時、ふいに「初老をつきつけられる」という言葉が浮かんだ。生命が例外なくたどっていく死への入り口、それが初老である。死の玄関口、て、まだ早いか、年寄りに笑われるわ。三十代の奴が自分のことをおっさんって言ってたらおもろいもんな。私も三十代の時に自分のことをおっさんって言ってたけど。「老」もそうで、今なんか調子こいて使いたくなるけど七十代とか八十代の人からしたらおもろいんやろうな。でもニール・ヤングってand I’m getting oldのハート・オブ・ゴールドを作ったのがまだ二十代やろ、老成しすぎだろー。尊敬よなあ。

考えてみれば、私は2年前と比べたら体重を25キロも落としているのである。それまでに背負っていたペットボトル50本ぶんの肉塊に比べたら、今の荷物ってせいぜい、なんぼお茶を2リットル持っているといったって合計5キロくらいしかないはずだ。それで尻もちつくってのもたいがいよな。でもあれか。100キロの人間が持つ5キロは体重の20分の1だけど50キロの人間が持つ5キロは体重の10分の1みたいなあれもあるのかな。どうでもいい。なぜ私は縦走をするのか。第一回六甲全山縦走大会の、50年前のその時の瞬間を写真におさめられた彼らの、モノクロームの映像が脳裏をよぎる。今さら何をやったところで誰もがこの先老いて死んで行くのに、なぜ私は縦走をしているのか、なぜ彼らは縦走をしたのか、何をやったところで老いて死んでいくだけなのに、と思うとつまらないこだわりとか、夢とか希望でさえもどうでもよくなるような気がしてくる、どうでもいい、何をやったってやらなくたっていっしょである、だからこそ彼らは縦走をしたのだろうか、いつかあの世で聞いてみたいものである、そうそう、いつかあの世でといえば尾崎紅葉の『多情多恨』を読んで私は重要なことに気づいたのだ、でもそれは今度にして、今は体が重い、足がだるい、息が上がる、いつもはもっとラクなのに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、と念仏のように唱えながら私は一歩、一歩、(ところどころで息をつきながら)歩いた。