時間、とまってくれねえかな

 藤井聡子「どこにでもあるどこかになる前に。」裏通りの長屋で仲間たちと出会う場面からギアが一段上がり、文章にドライブがかかる。来月シカクでトークイベントを企画してもらってなかったら、もしかしたら積んだままになっていたかもしれないと思うとおそろしいし、イベントを組んでもらったのはありがたい事だ。日ごとに変わっていく新型肺炎流行の状況やらなんやらで、来月どうなってるのかなんかこう、わからないんだけれど。藤井聡子リスペクトで部屋でスパルタンXを見、自転車に乗りながらW.C.カラスを聴く(初めて聴いた…)。平民金子と名乗ったタイミングとインターネット上で文章を書き始めたタイミングは同じだ。しかしその前の数年間は自分のホームページもなかったので、よそ様の掲示板に何かを書いたり交流したりしていた。その時に使っていたハンドルネームを思い出してたんだけど、たぶん「あきひと」だと思う。今の天皇の名前(当時は皇太子)からとった。25歳で東京に来た、と書いていて思ったが、私は人に自己紹介する時なんかは25歳の時は北海道にいた、とこれまで言っていた。でも何度か書いたようにアメリカの同時多発テロ事件の速報を東京のアパート近くの銭湯の番台に置かれたテレビで見たのは間違いないので、25歳時は東京に、北海道にいたのは24歳なのかと思う。となるとまた時系列が狂ってくる。私はその頃大阪にいたと記憶しているので。なんにせよ北海道で使い場所がないからたっぷり貯まった金を持って東京に来た。山に行こうと思って弁当を作る。キャベツと豚肉とブロッコリーを塩胡椒とウェイパーで、弁当なので濃い目に味付けをして、着替えを袋に入れて、準備をすべて終わった所で満足しコーヒーを飲んで、めんどくさくなってやめた。犬のリードをはずすと一人でNに行きホルモンをもらっていた。95年、オウム真理教が騒がれていた時、私は他人ごととして、ニュース映えする出来事(ヘッドギアとか)や人物ばかり見ていたけれど、小さな町で、村で、まわりに誰も仲間がいないような所で部屋でひとり、教祖の本を読んだりヨガをやったりしていた人が当然いるわけだ。そういう人はブラウン管にうつる麻原彰晃をどう眺めていたんだろう。わたしが眺めるように「他人」として眺めていないはずで、「オウム」という集合体に、自分は属しているといえば属している、でもテレビにうつる事件や映像を自分ごととしてとらえられない。静かな暮らしと世間を騒がせる喧騒がリンクしない。こんな話は知らない。これは自分のことではない、そう思って足元がぐらつくかんじ。かんべんしてくれよなんて思ったのかな。郵貯銀行のキャッシュカードが見つからない。これさえ見つかれば後はすべてうまくいく気がする。ほったんかなあと思うが、いかに管理がずさんな自分でもキャッシュカードを捨てるだろうか。たまたまホルモン屋さんにいたらたまたまやって来られたのかパリッコさん、スズキナオさん&フレンズの方たちに会った。藤井さんの作品とリンクさせて何かをしゃべるのは安易かと思うのでそれについては何もしゃべらないと思うけど、本屋に寄ったついでに山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」を買い直す。「メガネと放蕩娘」と合わせていちおうもう一度読んでおこうと思う。時間、とまってくれねえかな、ずっと寝ていたい。おれやっぱさ、半額刺し身が好きだ。

アンチボールド、チーズちょうだい、

 少し薄暗い曇天が、朝から夕方近くまで同じようなテンションで続いている。世の中にはこれしか天気の種類がないのだ、と言うように。天気予報では夜から雨になっていて、私は朝の空を見てもっと早くから雨が降るだろうと思っていたから、子供に「今日は学校が終わった時には雨が降ってると思う。もし雨が降ってたら、帰り道でおとなしく自転車の後ろに乗ってたらマリオのゲームをやっていいよ」と約束していた。その帰り道。雨は降っていなかったけれど、子供は約束をおぼえていて(雨が降ったら、という条件は忘れていて、マリオをやっていいよ、の部分だけおぼえていて)、マリオやっていいって言ってたよね、と言われた。まあエエかと思って、そうやな、約束してたな、と言って子供を後ろにのせ、スーパーマリオランを起動する。私が平民金子を名乗り出したのは26歳の時、さるさる日記の時代からだと思う。いや、27歳(2003年)だろうか。東京の部屋では少なくとも数年間はパソコンがなかった気がする。2002年か2003年かはっきりしない。いや、2003年の気がしてきた。さるさる日記を半年くらい続けたところで日記に広告が付きはじめて、その表示が目立ってうっとおしかったので当時出来たばかりのはてなダイアリーに移った。さるさる日記の前は、大塚にあった音楽スタジオの掲示板に出入りしていた。当時はまだ掲示板文化が色濃く残っていたのではないか。その前は、出会い系サイトに登録して人と会うのにハマっていた時代があった。文通サイトみたいなやつだったかなあ。会社の名前が思い出せない。プロフィールを書くと連絡が来て、やりとりの後、知らない者同士が会ったりするのだ。と書いて、今で言うオフ会みたいなものかとも思った。会った、と言っても5人くらいじゃないか。一人とは池袋のサンシャインシティで会ったのを記憶しているから(ラブホテルの清掃バイトをしている、と言っていた)その頃が東京時代なのは間違いない。会って何をするわけでもない。ただコーヒーを飲みながら、なんかしゃべっているのだ。何人かとは手紙を出し合ったりして、わたしは、自分で編集したカセットテープ(カセットテープを編集、て言葉がなつかしくないか)を送ったりした。出会い系サイトで知り合った男から僕の好きなアイルランド民謡みたいなカセットテープが送られて来たら相手はこわいんじゃないか。海に、大きなアカクラゲ(だと思う)が浮かんでいた。「大変!大きいクラゲがおる」と言って自転車をとめたけれどその時スマホの画面を見たらちょうどクッパと戦っているところで、子供もクラゲを見たらいいのかクッパと戦ったらいいのかわからないあわてている感じで、よし、とりあえずクッパ倒しとこ、と指示したらとりあえずクッパを倒しにかかっていた。倒したあと、ほら、あっち、と言って指さした方向にはもうクラゲはいなかった。「クラゲおるで」と言った時のなんか、盛り上がらない感じがいいなと思う。サメおるで、とかウミガメおるで、とかだったらもっと盛り上がるのに。クラゲおるで、と言われても、言った方もそうなんだけど、別に盛り上がるわけではない。だから「クラゲおらんようになったなあ」と言っても、わたしたちに残念な感じはあまりなかった。公園を通ると、小学生の男の子たちが地面に野球のバットを立てて、そこにおでこをつけて身を屈めながらグルグルと回る、という遊びをやっていた。思わず、なつかしい、というような気になったけれど、なんとなくそう思ったというだけで、わたしはこの遊びをした事がない。Sさんにソール・ライターの写真集をかりる。子供がトイレの中でずっと「アンチボールド、チーズちょうだい、アンチボールド、チーズちょうだい」と言っていて、アニメかなんかかな。朝、ひとけのないメリケンパークでぽつんと立っているナディストさんに会った。おもしろかった。そんな偶然が。

ああ、おれは小さい。心からそう思った。

 東京に引っ越した日は、2001年の、あまり記憶にないけど4月くらいじゃないか。数点の衣装ケースとか炊飯ジャーとか、引っ越し荷物と言うには少ない量の配送を業者にたのみ、私は青春18切符を使って大阪からか京都からか忘れたけれど、ギターやらなんやら、人力で運ぶにはかなり多い量の荷物を持って電車に乗っていた。25歳だった。大阪から東京までは寄り道なしで10時間くらい。当然のように、配送業者が来る時間に到着出来るはずもなくて、私は犬山秋彦君にメールをしてアパートの住所を教え、業者が来るまでうちのアパートの前で待っといて、みたいな頼み事をした。今から考えたら非常識なお願いとしか思えないし、犬山君にしてもなんで急にそんな事をたのまれてぼんやり数時間もアパートの前で荷物を待っていてくれたのかわからないのだが、とにかく彼は軽い返事で、5時間も6時間もアパートの前で業者を待っていてくれた。部屋の中、ではなく(鍵がなかったので)アパートの前でずっと待っていてくれたのだ。ごくたまにこの日の事を思い出す。いくつか、不思議だなと思うからだ。なぜ自分は、業者の配送日に、時間のかかる18切符で東京に向かったのか。なぜ荷物を全部業者にたのまずラジカセとかギターとか一部のダンボールとかを鈍行列車で運ぼうとしたのか。なぜ犬山君は平日の昼間、急なお願いにも関わらずアパートの前で何時間も荷物を待っていてくれたのか(私が東京に着いたのは夜だったんじゃないか)。当時はグーグルマップとかもないので、住所を教えても簡単に現地には行けずに、かなり道に迷ったと言っていた。天気は良いが気分がさえない。さえないというかピリピリしている。週末がイベントの週は「たのむからこの体調がキープされますように」と神頼みみたいになる。前週までは「準備せな」と実務というか勉強モードなのだが、当週になるとそういうのはなくなって、平和にその日がやってきて欲しい……とただ祈っている。3月末で年度が変わるので新しい人間になろうと思う。きちんと挨拶する。名刺を持ち歩く。他人としゃべる。子供に「挨拶しろ」と厳しく教えるたびにお前は出来てんのかという声が聞こえる。Rで象のイラストが描かれたモロッコヨーグルの箱をもらう。子供にあげようと思って公園で妻と遊んでいる子供に「あげる」と声をかけ、欲しそうに手をのばされたところで心の中の私がささやいた、「これめっちゃかわいいやん。あげるなって。子供にやってもすぐつぶされるだけやろ。自分で使えって」。私は揺れ、箱を持ったまま逃げてしまう。黙って、無言で、公園から逃げてしまう。そして家に帰って箱をかくす。ああ、おれは小さい。心からそう思った。かわいい箱になに入れよっかな。ほとぼり冷めたら忘れるやろ。

アバラ肉の仕込みをぼんやりと眺めていた

 毎日、映像研の公式サイトにあるプロモーションムービーを刷り込みのように視聴させられていると、次第に主人公の三人にも愛着がわき、色づかいも音楽も、動きも、子供向けによく出来ているものだと感心する。子供向けちゃうわ。放送自体は夜中なので見ている中心層は二十代、三十代だろう。だからこそ。話の細かいところはわからないけれどなんかおもしろい事が起こっている、と幼児に思わせるアニメはすごいなと思う。活字だらけの本にはそんな力はない。コロナウイルスのあれについて、自分たちに出来る事は手洗いやらうがいやら、避けられるなら人ごみを避けるとか、地味ながらもはっきりしていて、そこをちゃんとやっているのなら、あとはもうなるようにしかならない。一番あかんのはやっぱり100点を目指そうとするあまり精神を疲れさせてしまうことで、手を洗ってうがいをして、食べて寝る。あとは楽しく生活しているのがベストな方法なのだとは、どんな医者だってそういうだろう。つまり考えすぎても仕方がない、みたいな話をする。精神が疲弊し自らが病んでしまう、あるいは、それが他者への攻撃へと転化する、みたいな「いやな感じ」を私たちはほんの十年ほど前に見たばかり。ただ、ほんの十年ほど前よりも、自分たちの暮らす社会の様相は残念ながら、あきらかに、「いやな感じ」との親和性を増していて、なんて話は、すればするほど疲れるだけだ。スーパーにもホームセンターにも人が少ない。震災以上の経済打撃になる可能性、みたいな全国ニュースを今朝みて、長期的にはわからないが、短期的には確かに、その文字面が実感としてわかる気がした。朝はえのきとほうれん草と豚肉を少しの塩胡椒と酒、カレーパウダーで炒めたやつをご飯にぶっかけたやつ。ハーバーランドでのんびり過ごし、市場へ。マルヨシでミックスホルモン、ミックスジュース、味一でたこ焼き。夜、NからSYへ。Nではアバラ肉の仕込みをぼんやりと眺めていた。

口の中が砂だらけ

 昨日の話。子供をむかえに行く前にツイッターを見たら、スズキナオさんが、仙台に小野和子さんの講演会を聞きに行こうと思って飛行機のチケットを取っていたけどコロナウイルスの影響で中止になって云々かんぬん(※最後にリンクあり)、という事を言っていた。それを見て、へえ誰か知らんがナオさんがわざわざ仙台まで、というような事を思って、その後で「…………」なんか聞き覚えのある名前のような気がする、みたいに思って、そうだ、少し前に和久田さんがツイッターで紹介していて、そこにスズキナオさんがリプライしていて、その投稿ややり取りが印象に残りへえ、これは買わなあかんと思っていた本やった、となって、今がその時やろとhontoで神戸市のジュンク堂を在庫検索した。するとセンター街の三宮店に一冊だけ在庫があったのでナオさんありがとうと心の中で感謝しながらお店に行った。5階の人文、民話コーナーに一冊だけあった「あいたくて ききたくて 旅にでる」をレジに持って行く。すると店員さんが、あ、それ昨日までなかったんですよ!タイミングが良いですねー。と話しかけてくれた。たぶん店員さんも他の本だったらあれだけど、この本だから話しかけてこられたんだと思う。あ、そうなんですか、僕ネットで在庫検索して来て、神戸のジュンク堂だとここに一冊だけあったんです、よかったよかった。この本、じわじわと出ている感じでして、昨日までなかったんですけど、今日わたしが棚に入れたんですよ、だからおぼえていて。あ、そうなんですか、すごい良い感じの本ですもんね、ありがとうございます。となんだか(発注し棚に入れてくれた)お礼を言いたくなったので礼を言って店を出た。ジュンク堂の店員さんと初めてしゃべった。なんかおもしろかった。今わたしが自転車の前カゴに本を入れて走っているのもさっき店員さんと何気ない会話をしたのも、出かける前にたまたま見たスズキナオさんのツイッターのおかげなのでありがたいと思った。帰りに子供がストライダーでこけて、地面にベターッとなっていて、私はそういう時はひとりで立ち上がるまでほったらかして見てるんだけど、やさしそうな感じの若い女性がふたり、助け起こしてくれた。それは木曜日の出来事だったかな。海があたたかかったからなのか(海水の温度なんて知らんけど)、それとも海流かなんかの影響なのか、朝と夕方にぷかぷか浮かんでいるアカクラゲを見た。公園のすべり台を勢いよくすべり降りて地面に顔から突っ込み鼻を少しすりむき大泣きしているその顔の、口と鼻の穴に砂がけっこう入っていた。朝(土曜日)、きのうすべり台から落ちて口の中が砂だらけになってたの誰やったっけ?と声をかけると「はーい」と手をあげている。なかなかの雨。
https://twitter.com/chimidoro/status/1230722880792494080
https://twitter.com/wkd21/status/1224893532323733505

今なら出来る

 朝からいらいらしながらも子供をのせて自転車で走っているとなんとなく爽快な気分になってくるのは気温もだいぶあたたかくなってきて風が気持よく、何よりも海がきらきらと光っているからだろう。スマホでムービーに撮って2回くらい見た。昨日気がむいてプレイリストを書き残しておいてよかった。今日からプレイリストが更新されて1.Easy Breezy 2.名前のない青 になった。映像研の始まりと終わりの歌をリピートにして自転車にぶらさげる。朝、遅刻なんだけど、子供が「遠回りしていこうよ」みたいな事をささやく。「どうせ遅刻やしどうでもええか!」と言ってハンドルをぐいっと切ると子供が喜んで大笑いする。遠回りして海のそばを走るとほんときれいだ。海がきれいってのもあるんだけど、遅刻とかサボったりして、遠回りして見る景色は全部きれいなものだと思う。学校とかで「もう行くのやーめた」みたいになって逆方向の電車に乗った時に見る景色って、たとえ地下道の壁であっても輝いている。朝、いらいらする要因の3割くらいは部屋のごちゃごちゃ感だと思い、思い切ってゴミ袋3袋ぶんくらい色々捨てる。去年引っ越した時のままのダンボールも色々あけて色々捨てる。それでもまだまだ色々出てくるし子供の絵なんかは簡単に捨てられない。しかしおもちゃのごちゃごちゃの箱を開けたら中でスライムみたいなやつがベチャーてなってぐちゃぐちゃっとくっついているみたいなやつはもう、捨てなしゃあないやろと思う。おとといコーナンで買ったホワイトボードを見ていると、請求書を書くとあった。今なら出来る。そんな気分になって、紙とペンとハンコと封筒を用意する。毎月、請求書を出してくださいねと言われてはい大急ぎで!と答えてはや9ヶ月。今なら出来るぞ、となって一気に書いて封を閉じたところで封筒にデコレーションしたくなってシールを探す。メキシコで買ったDORAのシールを貼って郵便局に行くと受け付けで「これかわいいですねー」と言われ、今ならなんだって出来るぞみたいな気分になった。

500部くらい刷りたい

 昨日の夕方、どっかで晩めし食うかと吉野家に入って、私は牛丼に生卵、漬け物、子供はポケモンカレー丼。子連れで入ると店員さんはやさしく、食べている間ずっと、なんか平和だなと思っていた。最後の晩餐は吉野家の牛丼並と卵とつけもんがいい。先週の木曜日に牛丼を食べながらそんな事を思って、昨日もそう思った。
 早く仕上げなあかんとあせっていた29日用のZINE原稿がようやく仕上がった。年表とわたしたちそれぞれの文章があって、どうなるかわからんけどめっちゃ熱のこもった良いものになると思う。500部くらい刷りたい。
 少し前まで、ポータブルスピーカーをリュックに付けて、音楽を鳴らしながらストライダーで走る子供を自転車で追いかける、のが流行った時期があった。その頃の事を日記に書こうと、当時毎回かけていたプレイリストの曲名をメモしておいたのだが、そのうちに書こうと思っているうちにブームは過ぎた。1.ゲゲゲの鬼太郎(氷川きよし) 2.見えんけれどもおるんだよ(氷川きよし) 3.ププッとフムッとかいけつダンス(伊勢大貴) 3.We can!! HUGっと!プリキュア(宮本佳那子) 4.SHINE!! キラキラ☆プリキュアアラモード(駒形友梨) 5.レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム(宮本佳那子) 6.ダンシング・クイーン(アバ) 7.冬のこもりうた(原田知世) 8.パプリカ(NHK東京児童合唱団) 9.ひらけ!チューリップ(間寛平)こういうのも書いておかないと記憶の中からなくなって、何もなかったことになってしまうからちゃんと書いておこう。ABBAのダンシング・クイーンはこの一年くらいで一生ぶん聴いた。だからこの前日曜日にCでとつぜんダンシング・クイーンがかかって外人たちが合唱し踊りだした時に不思議な気分になった。市場に行くと、今日は海外からのお客さんがたくさん来られたらしく、いろいろ話を聞かせてもらう。そんな話をしている間にもアメリカからお客さんが来ていた。