はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

キムチごはん

ときどき長田(=神戸のよい所)に行った際に土産に買ってくるキムチをヒカリさんがおいしいおいしいと騒ぎだしたので「きみキムチ好きなんや」となってほな一度、キムチをメインのおかずにしてひたすら白米を食べるみたいなやつをやってやりたいと考えたのだが、いかんせんタイミングが難しい。朝はさすがにこれから学校に行くのでキムチ自体、出すのがなんだか厳しいし、昼は給食でいないし、夜だと栄養バランス的なことを考えてしまって(キムチではない)メインのおかずを用意してしまうから、必然的にキムチはサブ(小皿)扱いとなる。

そうじゃないんだよな。
たとえば焼肉屋でキムチをたのんだら、どうあがいたって肉がメインじゃないですか。
そうじゃない。
やりたいのはキムチと白米しかない状況下で、キムチ(のみ)によって白米を苦しくなるまで食べるというやつなのだ。
せっかくキムチがおいしいとヒカリさんが言うのならキムチを完全主役として食卓に登場させたいわけですな。キン肉マンとテリーマンが並んでリングに立ってザ・マシンガンズみたいな感じです。そこで肉とか魚があったらあんたらなんぼ強いんかわからんけど完璧無量大数軍やから。いらんわけ。

キムチと白米だけ。
そういうのは大人だったらなんとでもなるんだけどな。酒を飲んだあとのヤケ食いとか。しかし、キムチがおいしいと言っている子供を前にした時のキムチの使い所って難しい。子供に出す食事の場合はさっきも言ったようにどうしてもケチなことを考えてしまうからである。栄養バランスというウスノロがいなければ……て佐野元春も歌ってるように。でもな、このまえの土曜日の昼、冷蔵庫にタイミングよくキムチがあって「今だ!」となりついに実行した。

ご飯を炊き、どんぶり鉢にあつあつの白米を大盛りに入れて、キムチを山盛りに皿に乗せる。白米の上に最初からのっけてもよかったけれどそれは好き好きですから。熱いごはんの上に乗せるとキムチがぬるくなる、やめい、という人だっているだろう。ヒカリさんがどういうタイプの人間なのかはまだわからないから別皿にした。あとはごはんの温度。ちなみにカレーライスを食べる時のごはんの温度にかんして「ぬるい方がいい」「冷やごはんがいい」みたいな人は一定数いるだろう。私もそのひとりなのである。

だから個人的な好みだけで言うならキムチごはんにおけるごはんに関しては炊きたてにこだわる気持ちはまったくなくて、冷やごはんでもいいのだが、むしろ冷やごはんの方が互いの味がはっきりするからなおさらもりもりいけたりするのだが、まあそれはどうでもいい話っていうか、ここで言う冷やごはんの冷やっていうのは日本酒の「冷や」と同じで常温って意味です。

ただ、なんでこの時のキムチごはんの白米に炊きたてを使ったかっていうと、それは単に冷凍庫のチンめしが在庫切れしてたので在庫補充も兼ねてごはんを新たに炊く必要があったってわけ。だから「あつあつの白米を大盛りに入れて」て書いたけどさ、それを読んだからといって私のことを「キムチごはんにおけるごはんについて、"あつあつ(熱々)"であることを強調する奴」だとは思わないでほしい。それは誤解だから。

並んでキムチごはんを食べながら、こういうのがぜいたくなんやな、と私は言った。
実際ぜいたくである。
やっぱり世の真理としてこういうシンプルなやつが一番みたいなのはあるわけじゃないですか。焼肉屋でいろんな肉とかが派手に並ぶ中でちょこんと置かれている限りキムチはキムチとして咲いてない気がするよね。1954年の『花の白虎隊』に勝新太郎が出てるけど全然輝いてないのと同じ理屈です。キムチも勝新もワンオブゼムで力を出すタイプじゃないから。大昔小学校の授業で野球をすることになってバッターボックスに立った私に早野君(リトルリーグ所属)が「オマエそんなグリップ開いてて打てるわけないやろ」と私のバッティングフォームを嘲るように言った。あの時の私と焼肉屋のテーブルに置かれたキムチの小皿は同じ気持ちだと思う。「ワンオブゼムで力を出すタイプじゃないから」おれたち、そういう感じやん?

食卓の上にあるのは白米とキムチだけ。
その時のキムチってキムチを越えて超キムチでしょう。

「こういうのがぜいたくなんやな」と言った私にヒカリさんは「ウム」「ウム」と言った。その時テーブルの上に置いたスマホからはなつかしいギターのアルペジオが流れていた。さっきご飯を炊いていた時に友部正人が最近出した『長い旅』というアルバムを聴いていてそれがそのまま流れていたのだ。

私たちがキムチごはんを食べている時に流れてきたのは友部正人がずいぶん前に作った『水門』という歌ののんびりしたギターのイントロである。このアルバムはライブを収録したやつで、場所は吉祥寺のスターパインズカフェ。友部正人のホームグラウンドと言っていいのかわからないが昔、リクエスト大会みたいなライブに何度か行ったようなぼんやりした記憶がある。ヨドバシの裏くらいにあって、私は吉祥寺のヨドバシカメラが第二の家だったからいつもだいたいヨドバシの2階にいた。当時はヨドバシの裏に適当に自転車を置けた。今はたぶん置けなくなっている。行きたい音楽のライブとか行きたい写真展とか、そういうのが当たり前になんぼでもあるのが東京で、それがありがたいことだとも思わず毎日のようにスターパインズカフェの前を自転車で通っていたけれど、神戸に来たら山と海しかなくなった。ときどきキムチがある。

キムチごはんを並んで食べながら『水門』を聴いているこの感じがなんか不思議だ。
はじめて聴いたのがもう30年以上前か。自分はまだ友部正人の音楽を追い続けているのか。ひつこいな、と思うし、友部正人の青空ライブがあった日に居合わせて、ずっと形に残るものよりもいつか消えてしまう場所にサインをもらおうと思って腕をつきだして腕にサインを書いてもらったのも吉祥寺だったことを思い出した。

最新アルバムにも収録された『水門』、8分て。8分か。長いな。でもそれが良い。土曜の昼にのんびり食べるキムチごはんと『水門』がぴったり合うのを知ったのは思わぬ収穫だ。若干汗ばむ感じの5月の昼にヒカリさんと並んでキムチごはんを食べ、静かな空間になつかしくて新しい『水門』が流れていることがとても不思議だった。

もちろんヒカリさんはこの歌に何の興味もないわけで、私がいま食べながら意識が過去に向かっている意味も知らないままだ。思い出すことが少ないのが子供の良いところで、何かが起こるたびにたくさんの何かを思い出してしまうのが大人の悪いところだ。といってもいまさら思い出すことの少ない子供時代には戻れないから、結局スマホから流れてきたメロディひとつでギターのアルペジオを練習していた夏の日とかを思い出してしまっている。

日当たりの悪い狭い部屋で私たちは並んでキムチごはんを食べている。建物だけは朝から日にぎらぎら照らされているのか夏でもないのに少し蒸し暑い。音楽が流れている。説明できないところとか、伝わらない時間とかがある。キムチごはんと水門、そういうのがよいのだ、と感じる。私だけがそう感じている。ヒカリさんは別の何かを感じている。大人になると人と人はわかりあえなくていいのだとわかる。5月の晴れた空はどこまでも青く深い。でかめのキムチを箸ではさみ「このでっかいキムチをなあ」と言って白米の上にのせる。「ごはんにこうやって巻くんや!」そう言って包んだかたまりを、大口をあけてほうり込んだ。