はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

甘露の道

 都会の駅前なんかの、道幅が広くて歩行者用の信号もなく、こいつを歩かないと対岸には辿り着けない、エスカレーターやエレベーターまで付いた大規模な物ならいざしらず、地方都市の、道幅はせいぜい四車線くらいの、歩行者用の信号もすぐ近くにある、にも関わらずなぜかそこにある小ぢんまりした歩道橋。使っている人間を見たことがなくて、一見すると無駄としか思えない、そのような建造物が存在しているのは大人のためではなく、地域の小学生の通学路を安全に確保するためなのだ、ということはヒカリさんが小学生になるまでわからないことだった。これまで自分の行動時間帯と小学生の行動時間帯がまったくかぶっていなかったため、歩道橋を利用している人間など見たことがなく、あれはただの無駄な長物だと思っていたが、ヒカリさんの入学と同時に小学生の生活に合わせて生きて見てみれば、朝と放課後の通学時間帯には児童たちがわらわらと、長物が彼らによって有効利用されている実態がすみやかに理解されて、生きていればいるほどに、細々と学ぶことは多いもの、私自身この二年ほどは、増えすぎた体重を減少させるためのトレーニング期に入り、目の前に発生する階段はすべてエスカレーターを使わずに足で登るようになった、そんな個人的な事情もあって「小学生のためにあるんやなあ」と認識を新たにした後も依然としてただ眺めているだけであった歩道橋を、今では毎日数度は必ず運動のために利用する、なんなら小学生以上の歩道橋ヘビーユーザーとなっている、そのような生活態度でいるために、必然的にどこかに出かけるたびに市内各所の歩道橋を使う機会が増えたのだが、そのどれもが階段や手すりや柱の部分が錆びついて古びており、新規に建設される歩道橋も近年見たことがないし、これはつまり古い商店街や小売市場と同じで、歩道橋という物もまた、昭和時代のおこぼれ、つまり町を歩く子供たちの環境に金をかけることができた贅沢な時代の産物でもあるのだなという新たな認識も生まれた。贅沢品、とだけ言ってよいほどに単純な物でもないのかもしれない。町に点在する歩道橋が建てられたであろう(知らんけど)高度成長時代は今よりも格段に交通事情が悪く、歩行者にも危険がたくさんあった、当然死亡事故も多かった、そのような時代の必需品であったのだ。時が流れ信号は各所に整備されるようになり、運転者の意識も変わって数十年前と比べれば相対的に道路は歩行者にとってずいぶん安全なものとなった、だから新規に歩道橋が建設されることはもうないし、かつては市民の友であった歩道橋を使う人間も今やほとんどいない、けれども日本には、年端もいかない子供だけで小学校に登校する珍奇な風習が今もまだ存在するため、彼ら彼女らの安全のためという極めて限定的な意味においてではあるが、しかしその意味においては極めて重要かつ切実な存在として、今もぼろっちい歩道橋は町に残っている。
 朝となく昼となく夜となくのぼりおりしている歩道橋の階段部分の手すりには、隣地から無造作に伸びたクスノキの葉が覆いかぶさるように茂っており、5月頃になるとその葉は全体的にてらてらと(クスノキはもともと光沢と厚みのある葉形なのだがそこをさらに何かでコーティングしたように)光っており、覆いかぶさった部分の真下の階段は黒ずんでいる。黒ずんでいるのは葉が覆いかぶさる箇所のみで、その黒ずみを歩く時には足裏に何かが貼りつく感触があって、耳をすますと、一足一足ごとにペリッペリッという小さな音が聞こえている。さすがに小学生は朝は集団登校でにぎやかに、あるいはせわしなく歩いているのでそんな音に気づく子はいないだろうけれど———でも、もしかしたら集団登校から外れて、1人で静かに歩いている子の中にはその音に気づいている者もいるかもしれない———通学路の階段の一部だけにあらわれるこのベタベタ道の原因は、上部に覆いかぶさっているクスノキの葉にまとわりつくアブラムシか何かの虫が出したてらてら=排泄物によるものであり、葉に近づいてよく見るとコーティングというよりもまばらな油汚れという感じである。このベタベタとした、甘露とも呼ばれる自然物が気長な時間をかけて葉から地面に落ちて層となり、そこを子供たちが歩くから靴底の汚れを吸着し階段は次第に黒ずんでくる。甘露と書けば官能的な響きではあるが虫の排泄物と書くと身も蓋もない、ベトベター、と耳慣れたポケモンの名前を借りて呼びたい衝動にかられるこの道が、梅雨の雨に流されてしまわぬうちに私たちはここに立たないといけない。
 夜の静かな時間にな、月明かりに照らされてな、この階段を歩く時のな、ペリッペリッ、ていう音を聞いてるとな、自分だけが誰も知らん町の秘密を知っているような、生きている、というような、そんな気持ちになるのだ、という話をヒカリさんにしていると、ヒカリさんは「きのう、台湾らしきところでマンゴーのかき氷を食べる夢を見た」と言った。どこか知らないカラフルな町で木造のカラフルな店に入ると盆のプレートにたくさんのおかず的なものを選んでのせるシステムだったからコッペパン2個とかき氷を置いた。ソースは何種類かから選べたのでマンゴーを選んだ。席につき、食べようとしたところで目が覚めた。良い夢を見るときもあれば悪い夢を見る時もある。良い夢は食べ物関係であることが多い。そうなんや、夢って言えばな、ぼくたちの人生は夢と同じ成分で出来ている、ていう言葉があって、これはシェイクスピアっていう人が「テンペスト」ていう物語で書いた言葉です。夏目漱石さんが親友の正岡子規さんに書いた手紙にその言葉がのってた。漱石さんは生きてるのが嫌になって、いっそ死んでやろうと思うんやけど、自殺するほどの勇気もなくて、ほんまにこの世はままならんのう、となったわけ。漱石さんみたいな大天才でももういっそ死んだろかいなと思う時があるんやから、きみもまあがんばれや。ほんま死んだろかいなと思うのに、自分で死ぬのはなんか違う気がする、まったくどないせえっちゅうねんみたいな愚痴を正岡子規さんに書きながら、夏目漱石さんはそこでシェイクスピアの言葉を引用した、ぼくたちの人生は眠っている間に見る夢と同じようなものである。夢が終わっちまったらまたぼくたちは眠りにつく。なんでも経験やで、と言って私はクスノキの葉の下で立ち止まり、月あかりと街灯に照らされぬらりと輝く葉っぱを人差し指と親指でつまみ甘露を指でぬぐった。私はその指をなめてみせる。瞬間、これは……と思い、ヒカリさんにもただ「なめてみ」と言うと、ヒカリさんはとまどうようにベタベタになった葉を指でぬぐい、おそるおそる舌につける。その表情が上気する。
「すごいな」「すごいね」
「甘いね」「甘い。すごい」
 もういっちょいっとくか、と私たちは立ち止まり時に背を伸ばし虫の排泄物を指でぬぐって口にふくんだ、梅雨になってこの甘い露が地面に流れて消えてしまう前に。
 目の病に苦しむ漱石は、かといってそんな死にたいとか大げさに書いたけどもそないに言うほどひどいってわけでもないんやけどね、だって寝転んで景色とかも見れるし、とはにかんでその時に見つめた景色を文章に写す。ナデシコの花のあいだからキキョウの背の高い花が何本か伸びていたのだがそのキキョウの花が雨に打たれて地面にくっついてしまって、そうやって地面を枕にしたキキョウの花を伝って小さなアリが行き交っている、そんな様子を正岡子規への手紙に書いていく、小さなアリはアブラムシが尻から出す甘い露を目指してキキョウの茎を、クスノキの太い枝を登っていく。撫し子の凋みたる間より桔梗の一株二株ひよろ長く延びいでたるが雨にうたれて苔を枕に打ち臥したるに紫の花びらを伝ひて小蟻の行きかふさま眼病ながらよく見えたり。ひとつの夢とひとつの夢とをつなぐ甘露の道をアリが自由に往来している。