はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

時間、とまってくれねえかな

 藤井聡子「どこにでもあるどこかになる前に。」裏通りの長屋で仲間たちと出会う場面からギアが一段上がり、文章にドライブがかかる。来月シカクでトークイベントを企画してもらってなかったら、もしかしたら積んだままになっていたかもしれないと思うとおそろしいし、イベントを組んでもらったのはありがたい事だ。日ごとに変わっていく新型肺炎流行の状況やらなんやらで、来月どうなってるのかなんかこう、わからないんだけれど。藤井聡子リスペクトで部屋でスパルタンXを見、自転車に乗りながらW.C.カラスを聴く(初めて聴いた…)。平民金子と名乗ったタイミングとインターネット上で文章を書き始めたタイミングは同じだ。しかしその前の数年間は自分のホームページもなかったので、よそ様の掲示板に何かを書いたり交流したりしていた。その時に使っていたハンドルネームを思い出してたんだけど、たぶん「あきひと」だと思う。今の天皇の名前(当時は皇太子)からとった。25歳で東京に来た、と書いていて思ったが、私は人に自己紹介する時なんかは25歳の時は北海道にいた、とこれまで言っていた。でも何度か書いたようにアメリカの同時多発テロ事件の速報を東京のアパート近くの銭湯の番台に置かれたテレビで見たのは間違いないので、25歳時は東京に、北海道にいたのは24歳なのかと思う。となるとまた時系列が狂ってくる。私はその頃大阪にいたと記憶しているので。なんにせよ北海道で使い場所がないからたっぷり貯まった金を持って東京に来た。山に行こうと思って弁当を作る。キャベツと豚肉とブロッコリーを塩胡椒とウェイパーで、弁当なので濃い目に味付けをして、着替えを袋に入れて、準備をすべて終わった所で満足しコーヒーを飲んで、めんどくさくなってやめた。犬のリードをはずすと一人でNに行きホルモンをもらっていた。95年、オウム真理教が騒がれていた時、私は他人ごととして、ニュース映えする出来事(ヘッドギアとか)や人物ばかり見ていたけれど、小さな町で、村で、まわりに誰も仲間がいないような所で部屋でひとり、教祖の本を読んだりヨガをやったりしていた人が当然いるわけだ。そういう人はブラウン管にうつる麻原彰晃をどう眺めていたんだろう。わたしが眺めるように「他人」として眺めていないはずで、「オウム」という集合体に、自分は属しているといえば属している、でもテレビにうつる事件や映像を自分ごととしてとらえられない。静かな暮らしと世間を騒がせる喧騒がリンクしない。こんな話は知らない。これは自分のことではない、そう思って足元がぐらつくかんじ。かんべんしてくれよなんて思ったのかな。郵貯銀行のキャッシュカードが見つからない。これさえ見つかれば後はすべてうまくいく気がする。ほったんかなあと思うが、いかに管理がずさんな自分でもキャッシュカードを捨てるだろうか。たまたまホルモン屋さんにいたらたまたまやって来られたのかパリッコさん、スズキナオさん&フレンズの方たちに会った。藤井さんの作品とリンクさせて何かをしゃべるのは安易かと思うのでそれについては何もしゃべらないと思うけど、本屋に寄ったついでに山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」を買い直す。「メガネと放蕩娘」と合わせていちおうもう一度読んでおこうと思う。時間、とまってくれねえかな、ずっと寝ていたい。おれやっぱさ、半額刺し身が好きだ。