はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

夢のボブ・ディラン

今年一年間も色々なことがあったけれどなかなか幸せだった。七月以降、一番好きな酒と二番目に好きな煙草を両方ともやめてしまったのが自分の中では大きい事件。やめたというかもう無理矢理に体から引きはがした、という言い方が近い。1997年にボブディランが来日した時、ぼくは「いま高い金を払ってボブディランを見るくらいならライブハウスをまわってたくさんの音楽に接するほうがよっぽど、本物のボブディランよりもボブディランじゃないかー」なんて思っていた。今はもう、そうは思わない。結局ぼくはボブディランのコンサートに行かなかった事を激しく後悔したのだ。なつかしい自分の日記を読み返すと、中島らもが死んだ五年前に書きつけた言葉と今の自分の認識はあまり変わっていない。

かっこよく死ぬよりもかっこ悪く生き続ける方がかっこいいのだということを俺は知っている。中島らもも結局はかっこ悪くその死にざまはロックではないと思うゆえに俺はその死を否定する。最近はカメラ師匠からすすめられた事もあって藤原新也の本を読んでいた。「メメント・モリ」にこんな一節があった。インドの河原にうちすてられた人骨の写真のキャプションとして「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから。」と。しゃらくさいのだよ藤原君。俺は藤原新也その人は正直なところ好きか嫌いかでいえば好きなのだが、そおゆう文章で表現される、もとい、そおゆう文章によって感化される幼い魂達がのたまう所のロマンチックな死の概念とゆうものは全否定する。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンよりも、今現在も生き続け年を追うごとにかっこ悪くなってゆくボブ・ディランが大好きだ。畳の上では死にたくない、といったロマンチックな幻想よりも病院でチューブまみれになって死んでいくその現実こそ俺はロックン・ロールだと思う。

http://d.hatena.ne.jp/heimin/20040729/p1


ボブ・ディランはぼくに生き続けることについて教えてくれる先生だ。生き続けること。かっこよく死なないこと。かっこよく死ぬよりもかっこ悪く生き続ける方がかっこいいのだということ。若い頃の才気もなくなり牛のよだれのような歌を作り続け頬はたるみそれでもツアーを終わらせないこと。ぼくがあこがれるロックン・ロールとはそういうものであり、生きることそれはボブ・ディランなのだ。2010年の春にボブディランが来日するというのは本当にうれしくって、驚きの知らせだった。1万2千円のチケットが高いという声をいくつか聞いたけれどぼくはたぶんチケットが10万円でも「安い!安すぎる!」と言っただろう。思い入れってそういうものだ。というわけで来年3月までの楽しみが出来たので、それを考えると今からワクワクするし、いい感じで新しい一年をむかえられそうな気がする。


ぼくにもあなたにも、今年と同じように来年も、良いことと悪いことの両方訪れると思うけど、少しでもいい感じになりますように。お互いにいい風が吹きますように。というわけで一年間、ありがとうございました。いつも読んでくれて、ほんとうにありがとう。