地下鉄にのりながら、Coccoの「Raining」とゆう曲は、サビが「それはとても晴れた日で〜」なのになぜタイトルがRainingなのだろうか、なんて事を考えていたら、われながらしょおもないなあと思いながらも、なんだか気になって気になって仕方がなくなってきたので部屋に帰り、MDの束々をひっくり返してたら、やっとこさ彼女のアルバムが出てきたので、しばらく聴いていた。
ところでCoccoなんておれみたいなヒゲのおっさんが聴いてても気持ち悪いだけだと思うんだけど、でわ、何故おれが彼女のアルバムを持ってるのかとゆう言い訳をさせてもらうと、昔、友人T君の実家・長野県某所を泊まりがけで訪ねた折、雪の降る中する事もなく二人で酒ばかりのんで音楽の話をしていて、【きっつい歌詞ってあるよね】なんてゆう話題になった。キッツイとゆうのは例えばオザキがきついとかナガブチがきついとかそおゆう、ある種の気持ち悪さを含んだキツさ*1ではなくって、なんかこちらが無防備で安心しきってるところ後ろからいきなりキンタマに蹴り(金ケリ)を入れられるのと同じよおな、そんなつもりで聴いてたわけじゃないのに不意をうたれる、ゆってみれば魂に金蹴りを入れられる、まあ、そんなキツさである。
そしてたとえばおれの場合だと、ソニンのうたう「東京ミッドナイトロンリネス」の冒頭、『Baby、夢を抱いて上京したけど/夢って何だったっけ?』なんてゆうあまりにも伸びのある直球、これはまさに不意の金蹴り歌詞であった。また、不意をうたれるとゆう意味ではちょっと違うけど浅川マキが訳詞した「それはスポットライトではない*2」なんかはその歌詞すべてが、魂に直下型金蹴りをくらうとゆってもいい程のダメージをおれに与えてくれる。
おれ『フィッシュマンズはどう思う?』
T『あの人たちはまさにキッツイの宝庫でしょ』
おれ『反則な気がするけど「頼りない天使」とか。<あのこの信じた確かな気持ちは/きっと僕を変えるだろう>ってところが・・・。』
T『「12・28」てアルバムに入ってる「in the flight」は佐藤伸治のMCも含めてすごくキツイ。<ドアをあけて思ったんだ/あと10年たったら/何でもできそうな気がするって>あの人死んじゃうのに』
おれ『トム・ウェイツとかニール・ヤングとか、存在そのものがキッツイ人らもいるね』
T『TRAVISも歌詞がかなりキツイよ。<どうして僕のまわりだけ雨が降るんだろう/それは17歳の時に僕が嘘をついたから>この曲きくたびに涙が出そうになる』
おれ『それはちょっとわからないなあ。TRAVIS聴いたことないし。おれ嘘つかないし。
思い入れだけで言うんだったらUAの「プライベートサーファー」って曲の<家に帰るそのバスは/もう明日から来ないかもしれない>ってフレーズがすごくいいよ。来ないかも・・・のところで声が裏返るんだけどそこがまたせつない』
まあこおゆうのは所詮思い入れだけなんで特に話がつながるわけでもなくしゃべっててもきりがないのだけど暇つぶしだと思えば非常に楽しい。あとキツイとかセツナイとかヤルセナイとかその辺の境界線もなんか曖昧である。
・・・そんなこんなでその時T君は言った。【オレが高校を出て上京してから今までに聴いた音楽で、一番きっついナァと思ったのはCoccoの「強く儚い者たち」で、あの歌詞はほんとにきつい。飛魚のアーチをくぐって宝島に着いた頃あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ、とか、何も失わず同じでいられるとおもう?とか。いや、当時のオレにコレはきつかった。】とかなんとか。
そんな会話をおれは律儀におぼえていたものだから(とゆうかむさくるしいオッサン同士の会話からCoccoの名前が出たのが意外であったので)、さっそく池袋ネズミランド(おれんち)に帰ってから、ツタヤでCoccoのアルバムをかりてみたのだ。
と、ここからCocco話をつづけたかったのだけれど時間がなくなったのでまた次回に。*3
*1:ごめんなさい・・・
*2:もしも光が/またおいらに/当るならそれを/どんなに待ってるさ/ずっと前のことだけれど/その光に/気付いていたのだが/逃しただけさ/だけど再び/いつの日にか/その光がおいらを/照らすだろう/あの光りそいつは/古びた町の/ガス灯でもなく/月明かりでもない/スポットライトでなく/ローソクの火じゃない/まして太陽の光りじゃないさ/あの光りそいつは/あんたの目に/いつか輝いていたものさ/またおいらいつか/感じるだろう/あんたは何を/知ってるだろうか
*3:と書きながらも、やっぱりおれがCoccoの歌を云々言うとゆうのはナンカ違ウ気が相当するのでこの話しは続かない気もする・・・。あと一応、歌詞歌詞言ってるけどここでゆう歌詞とは字面だけでなくてあくまでも声や演奏を含んだ《うた》のことを指してるつもりです