ホワイトバンドの運動ってゆうのは結局短命に終わると思う(ひと頃にくらべてネットでどおこお書いてる人も少なくなってきたし)。とりあえずこんなこと言っちゃあおしまいなんだけど下向き(↓)の運動とゆうのはぜったいに長続きしない。運動の永続性は下から上につきあげる拳によって保証されるのだ。メシを食わせろとかアメリカ出て行けとか拳をつきあげてる上向き(↑)の運動には終わりがない(矢印による運動の法則)。
ぼくが昔すんでいた東大阪という街に今東光のピカレスク小説「悪名」にも登場するところの非常に有名な女性占い師がいて、ぼくは何度か近鉄大阪線俊徳道駅近くにホッタテ小屋をかまえる彼女に話を聞かせてもらったことがある。そこで生前の彼女がしきりに説いていたのがこの「矢印による運動の法則」である。彼女はチラシの裏に「↑ ↓↓↓」などと記号を書いてはいつも意味不明な事を言っていた。巨人軍の新監督である原氏が積み重なるケガをきっかけに宝珠宗泰道にのめり込んでいたその頃、ぼくは田舎町に住む老八卦見の説く謎の法則に夢中になっていたのだ。
ちなみに、そこでもののついでに聞いたところによると、ぼくが彼女を訪ねた時(もうその当時彼女の小屋を訪れる人間はほとんどいなかった)から十年以上も前のこと、この街に住む一人の若者が彼女の小屋を訪ねて来たのだという。学生服を着た若者は思いつめた表情をして「ぼくは音楽をやりたいのだが」と彼女にきりだした。若者は俊徳道駅からひとつしか離れていない近鉄大阪線布施駅近くの団地に住んでいて、仲間を集めてバンドを結成し日夜近所の公園に集まっては練習を繰り返していた。メンバーとの音楽性の相違、自身の将来に対する不安、しかしあきらめきれない音楽に対する熱い思い。そんな青春期特有のモヤモヤを抱えて彼女の門を叩いた彼の表情は、そのとき憔悴しきっていたという。
彼女はひとしきり若者の話を聞いた後、ぼくにしたのと同じように矢印による運動の法則を説明し「↑↑ ↓↓↓」と紙に書いた。彼女はこの若者のあまりにも熱心で一本気な姿勢に好感をもち「おまえさんの成功を祈ってアタシから特別に贈り物をやろう。ここに書いた5つの矢印のうちの上向きの2つ、そのうちのひとつをおまえさんにあげようじゃないか。おまえさんは今後この矢印と共に生きるがよい」と言った。若者はこの時、妖しい魅力をはなつこの老女のよくわからない説話を聞いて、いったい何を思ったのだろう。そして、一言「ありがとうございます」と答え、深々と頭を下げその場を立ち去ったこの悩める若者は、のちに自らの名前に彼女からもらったこの矢印を冠する事になる。すなわち「つんく♂」がその人である。ちなみにこの頃の出来事が描かれているのがシャ乱Qの「上京物語」とゆう歌である。ああ、話がだいぶ横道にそれてしまった。
ホワイトバンドの悲しいところはもともとは上向きの運動(窮民のプロテスト)であったところのものがいつの間にか下向きの運動(豊かな国の人間から貧しい国の子供たちへ手を差し伸べる)へとベクトルが転換された事だ。あともうひとつ、ファッションとしての運動もこれまた絶対に長続きしない。次原社長は「単純にカッコイイと思ったから」この運動に手を染めたと言う。そしてホワイトバンドをつけてる人も「子供たちがかわいそう」とゆうよりは「単純にカッコイイと思ったから」つけてるわけで、ファッションとして盛り上がりを見せるこの種の運動とゆうのは短期的な爆発力はあってもそれこそファッションと同じですぐに飽きられる。
その昔「ピストルの弾なら簡単によける事が出来る」と豪語した二人の男がいた。合気道の創始者植芝盛平と実践空手の創始者大山倍達である。この二人には「世界は点と点と点によって構成されている」という全く共通する謎のセリフがある。そういえば中日ドラゴンズの監督である落合博満氏は現役時代自らのバットコントロールをこう表現していた。「ピッチャーがボールを投げるだろ。おれにはそのボールが止まって見えるわけよ。それで止まってるボールをバットの一点に当てるだろ。今日はどこにこれを飛ばそうかなって考えるんだ。そうするとライトスタンドにたくさんのお客さんがいるんだけど、いつもそのうちの一人と、目が合っちゃうんだよね。だからそこに放り込んでやるわけ。そうするとホームランになっちゃう」。この三人に共通するのは世界を点の構成物として置きかえるまさに選ばれた人間の言語(=身体)感覚である*1。
ファッションとしての盛り上がり、そして「短期的な爆発力」。これらの言葉からぼくは川田龍平や小林よしのりが広告塔として牽引した十年くらい前の薬害エイズ訴訟の運動を思い出す。あの運動が成功したのは端的に言って若者のありあまるエネルギーを被害者の象徴的存在であった川田龍平一点に集め、それを個別具体的な一点(安部英!)にぶつけるという、(まさに落合博満や植芝盛平、大山倍達に見られるような)「点の法則」によるところが大きかった。そして若者たちのエネルギーが一点に収束されていったあの運動と比較すると、ホワイトバンドのムーブメントとゆうのは手首に輪っかをまいているだけという非常に拡散的なものであり、その運動(ホワイトバンド)が目標として掲げるのは個別具体的な一点ではなく「世界の貧困をほっとけない」とゆう茫漠としたイメージでしかない。拡散と茫漠のエネルギーは時をおかずに雲散霧消する。誰もいなくなった荒野には無数のイカリング、燃えないゴミが落ちているのである。
最後に話はかわるけど、ここで書いた占い師Aさんであるが、上向きの矢印のひとつをつんく♂に贈り、そしてこれが最後の矢印(↑)だから、と何故だかそれをぼくにくれようとしたのである。ぼくは「これはAさんの命とも言えるものではないですか」と固辞したのだが、アタシはもうじゅうぶん生きたからね、と強引にぼくに矢印を手渡した。彼女が誰に看取られるでもなく亡くなったのはその数週間後のことである。
平民金子♂記
*1:蛇足ではあるが、金子光晴にも「三点」という物悲しくもすぐれた詩がある