はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

1992年の猫パンチ

heimin2005-10-12

いま発売されている『週刊大衆』でガッツ石松とミッキー・ロークが対談していて、そのなかでミッキーは「破壊力のあるパンチというわけではないけれど、手首のスナップを利かせたつもりだった。でもたしかにいいパンチではなかったけどね(笑)」と、92年両国国技館における対ダリル・ミラー戦をふりかえっている。いわゆるところの猫パンチ問題である。


1992年とゆえばあの風船おじさんが行方不明となりPKO法案が成立し映画女優マレーネ・ディートリヒが息を引きとった年だ。バルセロナ五輪が開かれマラソンでは谷口浩美が転倒し「こけちゃいました」とゆう非常に有名なセリフを口にする。しかし、あの年にこけてしまったのは谷口選手一人だけではない。ユーリ海老原の世界戦に熱狂し、何故かその日のメインイベントだったミッキー・ロークのボクシングを見ていたすべての人たちが国技館で、そしてブラウン管の前で「あの瞬間」見事にこけてしまった。いや、日本とゆう国自体がミッキーによってこかされてしまったと言ってもよいだろう。


事実その後わが国に不可解な事件が続発する。8月には永遠のパンチドランカーこと横山やすしが自宅前で何物かによって襲撃され、9月には猫パンチの後遺症によって歌手の松尾和子が自宅階段から転落死してしまう。10月になると今度は女優大地喜和子が車ごと海に飛び込み死亡、11月にはこれらの件に関して米国大統領に対し抗議活動を行なっていた前述ふうせんおじさんがサンフランシスコに向けて飛行中行方不明となった。


米国からやって来たミッキー・ロークとゆう名の核弾頭は一夜にして国民全体をパンチドランカーにしてしまった。当時のホワイトハウス関係者からの確かな情報によると、その成果を静かに見届けたブッシュ・ファーザーは「もう復讐はこれくらいでよいだろう。フフ」とほくそ笑んでいたのだという。


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さて、おぼえておられる方が果たしてどのくらいいるだろう。この年の一月にブッシュ・ファーザーが来日した際、天皇皇后と赤坂にてテニスの試合を行なっている。後日当時の宮内庁関係者A氏に聞いたところによれば当日は親善試合とゆう事もあって、ゲームの筋書きはあらかじめ決まっていたらしい。


「そりゃあもう、ことこまかにね、スコアまで決まってましたよ。30−30(サーティ・オール)からバーバラ夫人がサーブを決めて大統領夫妻のアドバンテージ。最後は大統領のスマッシュを美智子様がバックハンドで打ち返すのですが残念ながらネットに引っかかってしまいゲームオーバー。向こうさんに花を持たせるということから、ここまで具体的に我々は米国側と決めておったのですよ。でも・・・・・・」


そう、テニスといえば明仁天皇である。天皇は当日になってその案に強行に反対した。「わたしは一晩考えたのだ。やはりたとえ親善試合とはいえ勝負は勝負ではないか。かつて我が国は米国によって散々な目にあった。父が辛酸を嘗めさせられたあの日、あの後姿をいまも私は忘れてはいない。そのような八百長は決して受け入れる事は出来ない。そう、あの軽井沢の恋、テニスによって結ばれた美智子のためにも」


結果は散々なものであった。しょせんブッシュやバーバラなどテニスの素人である。片や明仁天皇におかれましては毎朝五時に起床後、御所内にて美智子様がお止めになるまでただひたすら素振りを繰り返しておられるほどの玄人裸足。そう、たとえ米国大統領といえども相手が悪かった。


そしてその日の夕方、問題の事件が起こる。首相官邸で催された歓迎夕食会にて、ブッシュ大統領が突然頭を抱えだし、苦悶の表情を浮かべると同時に、突如椅子から崩れおちたのである。その模様はニュース映像として全国に配信された。大統領にとっては痛恨の大失態であった。


「ブッシュさんはそりゃあ悔しかったんでしょう。いまの御子息にしてもそうですが、とにかくあの一族は負けず嫌いで有名ですからね。テニスでも石油利権でもなんでも一番でないと気がすまないのですよ。体だけは大きいのですが内面はまったく子供みたいな方でしたよ」A氏はぼくにそう語った。「あの事件は陛下も大変心配なさっておいででした。でも陛下はとにかくテニスには非常にこだわりを持っておられましてね。最終的には『勝負事だから仕方がない』とおっしゃって、笑っておいででしたよ。わたしたちはその言葉を聞くともう何も言えませんでしたね」


繰り返し書く。米国からやって来たミッキー・ロークとゆう名の核弾頭は一夜にして国民全体をパンチドランカーにしてしまった。そしてその成果を静かに見届けたブッシュ・ファーザーが言った言葉、太平洋を渡り響いてきた卑怯な高笑いをぼくたちは忘れてはならない。


「もう復讐はこれくらいでよいだろう。フフ。一月以来耐え難きを耐え忍び難きを忍び、ようやくこの時が来たのだ。日本はもはや立ち直る事などできぬであろう。フハハハハハハハ、フフハハハ」(その後同じ年に米国は核実験禁止条項を可決、すべての地下核実験を凍結した。ちなみにそれからの日米の諜報合戦、親子二代にわたる宿命の闘い、皇太子様によるブッシュ・ジュニア暗殺未遂《プレッツェル事件》等に関しては紙幅の都合により省略する)


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ぼくは常に思い悩んでいる。あれから十年以上の時が流れ、猫パンチ問題を知らない今の若い人たちにあの体験をどう説明すればよいのだろうか。あの日を境にして世の中の全ての価値観はすっかり裏返ってしまった。ぼくたちはみんなで教科書に墨を塗り、まるで「あの瞬間」などなかった事にした。当時高校生だったぼくは一夜にして180度言動を入れ替える大人たちを前にして極度の人間不信に陥り、家でメガドライブばかりやっていたものだ。


いま再び来日したミッキーはガッツとの対談で「最高の試合をして、そのあとに最高のセックスができればいいよね」などと呑気な発言をしている。それを見てぼくは、いつまでも時代のトラウマを抱え続けていくべきではないと決意した。「あの瞬間」を知る人間は現実に目を背けずに、今のよおな時代こそ若い人たちにあの猫パンチ体験を語り伝えていかなければならないのだ。


【参考】『週刊大衆』http://www.futabasha.co.jp/?magazine=taishu