ソウル・フラワー・ユニオンというのは自分にとって唯一、一緒に年をとっているような気のするバンドだ。それはあくまでも「気のする」というだけであって、実際のところ僕は僕で、彼らは彼らで勝手に年をとっているだけなのだけれど。それでも十代二十代、そして三十代の今、ライブや音源を通じて知る彼らの描いた風景に、時として共感したり、時として反発したり、精神的にくっついたり離れたりしながらも、同じ二十年という時間を自分は生きてきたのであり、ナンのカンの好きだの嫌いだのと言いながらも、ソウル・フラワー・ユニオンという大きな存在に対するリスペクトの気持ちというのはこれまで一度もブレた事がない。彼らはいつだって「右に行け」とも「左に行け」とも言わずに、「俺らはこう思う。そしてここにいる」と、街角やステージで演奏し歌っているだけだ。そして同時に、聴いている側にこう問いかけもする「お前はどこにいて、何をするのか?」。阪神大震災、東日本大震災、そして原発事故と、ろくでもない災害が続くその時々で、彼らの歌に接し「これはあまり好きじゃないなあ」とか「あいかわらずイタいぜ」「いや、かっこいい!」とか思いながら、やはり、ソウル・フラワー・ユニオンという自分にとって避けては通れない存在を意識し聴き続ける事は、「じゃあお前はどんな歌をうたうんだよ?」と真正面から問われ続ける事と同義なのだと思った。「知識を得て、心を開き、自転車に乗れ」そんな気持ちにさせてくれるバンドは僕にとって、ソウル・フラワー・ユニオンだけだ。彼らの音楽に接していると、もっと自分の周囲やあちらこちらの世界で今現在起こっている事を知りたいと思うし、その欲求はとりもなおさず、「一緒に長く、生き続けていきたい」と願う気持ちにも通じる。結成20周年、素晴らしいライブに一点だけ注文をつけるなら、会場の一画にあるキッズエリアを今後は「キッズ・老人エリア」とでも名前を変えてほしいという事くらいだろうか。彼らがこれから30周年、40周年と年を重ねるごとに、古くから聴いている(今はいちおう元気な…)自分たちも年をとっていくからである。中川敬、97歳。その時自分は87歳なのだ。死ぬまで生きる。僕たちの人生は、とても素晴らしいものだ。そんな大げさな事をテレもなく歌い続けてくれる二十年目のソウル・フラワー・ユニオンの音楽に、心から感謝する。