しかし冷静に考えて、六甲縦走における六甲山全体が侍ジャパンだとして高取山は3番バッターなのか?という問題はある。ここは意見がわかれるところだろう。ここまで私が越えてきた山を打順として並べていくと
1番 旗振山
2番 横尾山・東山(須磨アルプスゾーン。キャプテン翼の立花兄弟みたいなイメージ)
3番 高取山
4番
5番
6番
7番 高倉台
8番
どうでもええわ。そもそも私は摩耶山より東の山、宝塚方面には行ったことがない。だからそっちは空白の15マイル、つまりパ・リーグである。これまで行ったことがある山ってことでとりあえずセ・リーグ(摩耶山より西)だけで打順を決めてみると……。
1番 旗振山
2番 横尾山・東山
3番 高取山
4番 摩耶山
5番 再度山
6番 鍋蓋山
7番 高倉台
8番
並べるとやっぱり高取山って前田智徳的な天才肌の3番バッターだと思ったのだが、ほんまどうでもいい。今は山の打順を決めてる場合じゃなくって、私は高取山を前にしてこの日もっとも重要な戦略を立てる必要があったのだ。それはボクシングのカネロ対クロフォードをどこで見るかを決めるということで、ネットフリックスのボクシング中継自体はぼちぼち始まっているはずである。でもメインイベントまでには相当長い時間があるはずで、その「相当長い時間」を具体的に何時間くらいと見積るかで今後の動きが変わってくる。私は「午前中にメインイベントが始まることはないが、12時頃からは念のため、こまめに状況をチェックする必要がある」と考えていた。
その際、山の中にいて(Netflixがストレスなく見れるレベルの)電波を期待するのは愚の骨頂である。とはいえ地図を元に大まかな判断をする限り、とりあえずここから高取山は越えても大丈夫そう。
高取山を越えた後はまたしばらく長田地区の町歩きになるから、そこでの電波はたぶん、というかさすがに大丈夫だと思いたい。ただ町歩き後の次の山、菊水山に入ると以降は山岳ゾーンとなり電波状況が絶対あやしい。だからボクシングが観戦できる最終ポイントは神戸電鉄の鵯越駅だと見た。でも鵯越の駅にしてもアプリの予想到着時間が3時間後て、気の長い話やな。
でもまあとりあえずここは大丈夫やろ、と考えながら『ごろごろ、神戸』以来の高取山を上る。あの時はどこから上ったんだっけか、たしか途中まではバスで来た記憶があるけど、なんも覚えてないし、そもそも高取山になんの思い入れもなかったな。別にいま何かがあるわけでもないけれど、でもあれよ新田次郎の『孤高の人』を読んだら高取山はもう聖地みたいなもんですやん。てなことを書きながらもボクシングの時間が気になったので景色とか感慨とかそういうのは味わうこともなくてそそくさといろいろ通り過ぎて縦走路を歩いていると、途中で「神戸高取登山会の解散について」という貼り紙を見かけた。
六甲山系の登山会の事情はまったくわからないが、今後こういうのはどんどん増えて行くんだろうな。一部の茶屋はまだ元気だけれどそれは特殊な事例で、六甲山系の茶屋文化なんてとっくの昔に風前の灯である。ほんと、どこもかしこも根っこは同じ問題だと思うけれど、私たちがいま好んで享受している文化っつうのか生活の土台っつうの?そういうののけっこうな部分は現在七十代後半〜とかの昭和の人たち、あるいはそれ以前の世代の人たちが作り上げたものであって、登山道の茶屋も登山会も地域の自治会も昭和の酒場文化も古い市場も商店街も、今のじいさんばあさん世代が死んでしまったら終了だと思ったほうがよい。と、自分には言い聞かせている。
私たちは団塊世代が作り上げた文化のおこぼれに吸い付いているダニである。自分では何も生み出していない。いや「何も生み出していない」ていう言い方はさすがに違うだろうよ。まあええか。死にかけの昭和の残滓に対していつまでもダニのように噛みついて……て書いてて思い出したけど昔かわいがっていた犬が死んだ時、その犬にはノミが住み着いていて、犬が死ぬと住んでたノミが逃げて行くんよな、ノミも現金なやっちゃなと思ったわけだけど、自分だって文化的にはあのノミと同じよな、相手の死にそうな体に噛みつきながら「いつまでもそのままで生きていてほしい」などと嘆き芸を見せたのが『ごろごろ、神戸』ではないか。他人の人生に吸いついてそいつをいつまでも自分の人生のように消費している場合ではない。目をさませ、自分のしょぼい人生を引き受けるのだ。
山ってさ、最初の30分とか1時間くらいが一番しんどいよな。それがわかると、序盤のバテ具合も納得がいく。長時間歩くポイントは、序盤のバテ具合に対して「身体ってそういうもんなんだ」と飼い慣らせるかどうかだろう。私はそこがわかっていなかったので序盤のバテゾーンを真正面から受けとめてしまった。まあそういうのも経験ってことか。しんどいっちゃしんどいけど。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。て歌、なんかすごい悲しいメロディよな。歌自体は楽しいし、笑っておしまいだけど乾いた感じのかなしさが、アブラハムには7人の子、1人はノッポであとはチビ、みんな仲良く暮らしてる、さあおどりましょ、て。歌いだすと止まりませんな。何度も何度も。アブラハムには7人の子。1人はノッポであとはチビ。若いのに死んだ人のニュースは重く響きますな。それが一度でも会ったことのある人だと。他人の死からなにかを学ぶ、みたいなこともしたくない。死は死、生は生、目の前の人生を引き受けて生きるだけである、たとえどんだけしょぼくても。自分の人生は自分の人生。他人の人生は他人の人生である。この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注いでおくれ、てな。しゃらくせえ!