はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

六甲山を縦走したい!(11)

六甲山を縦走しているとその道中において六甲山とは何かという問いにおのずから直面せざるをえない。なぜかといえば須磨アルプスである横尾山・東山を下りてからというもの、自分が歩いているのはどこからどう見ても山ではなく「町」であると体感されるからである。出発前に思い描いていた縦走(山道具のカタログ表紙みたいなやつ)と違いすぎる。
これでは山歩きではなくただの町歩きではないか。

というような文句をぶつぶつ心の中でつぶやきながら、さきほど妙法寺の手水舎で若者2人組から教えられた(というか立ち話を勝手に聞いた)ローソンを右手に見ながら妙法寺小学校の交差点を渡る。これまでのニュータウン歩き、といった風情から、このあたりは古くからある町なみだろうか。全山縦走路と書かれた案内板通りに進んで行くと道幅はさらに狭くなり、これだけ家屋が密集した住宅街を参加者2千人が(バラバラになっているとはいえ)進んで行く縦走大会の様子を思い浮かべた。

それは昔フジテレビで深夜、アイルトン・セナが走っていたころのF1中継で見かけた記憶があるモナコグランプリのようでもあったし最近Netflixで見たところのツール・ド・フランスのどっかの町なかを走るコースのようでもあった。一帯に住民が住んでいようがなんだろうが無理矢理なとけこみ方をしているイメージ。F1とかツール・ド・フランスなんて迷惑度とか危険度で言えば六甲縦走の1000倍くらいはありそうじゃないですか。六甲縦走大会もあれくらい(て知らんけど)強気な大会運営だったらいいのだけれど。日本ってたとえそれが少人数であっても苦情にめっぽう弱いから、ちょっとやばい感じの方がいて苦情を入れたら即アウトみたいな、そういう不幸なことが今後六甲縦走大会に起こらなければいいのだけれど。

でもたぶん、こういう街路での大会っていうのは、六甲縦走の場合は市(行政)と地元自治会との調整なんじゃないだろうか。想像ですけど。
で、ここから話が大きくなるけど、今後の日本って自治会的な地域共同体は確実に消滅していくと思うわけ。私は外野からそういうことを言ってるのではなくて自治会の中にいながら世の中を見つつ痛切にそう感じる。だから主催する行政と、地元(のひとりひとり)とのあいだにある、ぶよぶよした、多少の何か面倒事みたいなのは「まあ、まあ」と飲み込んでしまう調整弁みたいなのが将来的にはなくなるわけですよ。てなると少しでもめんどくさいものはなくしていく方向になるだろうから、10年後、20年後とかに縦走大会は存続できるのか、て話ですわな。

とか、なんかこんなことを考えていると自分まで大会に参加しているような気分になるが、私はしょせん1人、右ポケットに甘納豆、左ポケットに乾燥小魚をつっこんで、誰とパーティを組むわけでもなく厳冬期立山連峰での山小屋からも締め出されてしまった、山に登っているあいだに園子さんまで知らん男に奪われてしまった平民文太郎であった。全然関係ないけどさー昔って日曜の夜中だっけ、F1がテレビ中継されてたよな。シンボリルドルフ、千代の富士、アイルトン・セナ。これが当時の「いつ見ても勝ってる人」であった。京橋に京一だっけ、今はもう絶対なくなっているだろうゲームセンターがあってそこでナムコのファイナルラップの大会があってファイナルラップには絶大の自信があった私は絶大の自信をもって出場したけどモナコグランプリで地区3位だった。あの時世界の広さを感じたなあ。

関係ないといえば、駅とかの案内地図を見たらまあ神戸の駅って町地図に必ず六甲山が描かれてるじゃないですか。地図の上に六甲山があって下に海がある。どこで案内地図を見ても必ずそうなっている。ああいう案内地図に描かれる六甲山って塩屋から宝塚までひとつのかたまりとして横に長くつながってるわけでしょ。
ひとつらなりの、横に長い山々のかたまりとしての「六甲山」。
それは私が頭の中に描いていた六甲山の図とも合致するものであり、だからこそ私は六甲山縦走といったときに「ひとつのまとまったもの」としての山系みたいなものをイメージしていたわけです。

六甲山縦走というからにはずっと山を歩いているものだと思っていた、けれど今自分がやっているのは山歩きではなくて町歩きじゃないか、てのはさっきも書いたよね。
それで思うんだけど、実際に歩きながら思ったんだけど、六甲山というやつは(駅にあるような地図とは違って実際の姿は)妙法寺のあたりで一度完全に途切れているのではないだろうか?

でも、それを言い出したら「山、海へ行く」でごっそり削り出した高倉台のあたりですでに六甲山は途切れているとも言えるかなあ。
なんにしたって塩屋から来て妙法寺まで、ここまで歩いてきた山と、これから行く山って別の山なんじゃね?だって塩屋の人って自分たちのうしろにあるあの山を「六甲山」だとは意識してないでしょたぶん。

と、ここまで考えて、ふと気づいた。

そうか。「六甲山」というのは感覚としては、侍ジャパンみたいなものなのだ。
鉢伏山も栂尾山も高倉山も普段はそれぞれの山として、それぞれのチーム(地域)で活躍してるんだけど、WBC(年に一度の六甲全山縦走大会)がある時だけ個々のチームから離れて結集し、ひとつの侍ジャパン(六甲山)になるみたいな。これだな。

普段はドジャースでプレイしている大谷翔平が、ナ・リーグ西地区でリーグ戦を争っている時には「侍ジャパン」への帰属を意識したり表明したりしないのと同じで、たとえば旗振山だって普段は六甲山系への帰属などは意識はしていない。けれど縦走大会の時だけとつぜん六甲山としての深層意識が覚醒されて大会入口の山になるみたいな感じかな。

というようなことを考えながらの山……ならぬ町歩きであったが、道道の電柱に貼られた「六甲全縦」の古い看板によってかろうじて私の縦走気分は維持できていたのであり、そしてようやく町感が途切れてきたと思うとそれを待っていたように首のまわりには次第にプンプンと羽虫たちがまとわりつき始め、そして両側を草におおわれた一本の細い道が伸びていて、ここからがようやく、侍ジャパンの3番バッターとも言える高取山のふもとに立っていたのであった。