はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

六甲山を縦走したい!(9)

体力的な限界が来ている。
そう考えた私は、息が苦しくなるごとにその場で立ち止まって休むという場当たり的な、中途半端な方法ではなく、リュックをおろしそなえつけられたベンチにしっかり腰を据えるという本格的な休憩法を選択した。先ほどおらが茶屋のベンチで靴下まで脱いでのんびり休憩したばかりではないかという罪悪感や孤高の人としてのプライドもあるにはあるがそうも言ってられない状況、つまり私は決定的にバテていたのだ。

ベンチに座り、地面に置いたリュックから取り出した500mlペットボトルのお茶を一気に飲んだ。飲み干した。
まだ食べるつもりはなかったのだが行動食袋の中からソイジョイを1本取り出して食べた。さらに遭難時の非常食にと考えていたアミノバイタルのゼリーも一気に全部吸い込んだ。その後20分ほどぼんやりと景色を見ていた。昔から神戸に住んでいる人間は今でも須磨のベルトコンベアーが稼働していた(稼働していなくても設置されていた)時代の景色をよく覚えているのだと言う。いくら神戸だけでなく日本全体がガツガツしていた時代とはいえよくこんな大胆な、山を切り崩して海に持って行って人工島を、そのためのベルトコンベアーを、切り崩した跡地に町をひとつ、みたいな豪胆な開発ができたものである。でもあれよな。その頃は良くも悪くも純粋に前しか見ていない時代というか、今は希望しかなかったニュータウンは過疎化高齢化してあれよ、高倉台団地のコーヨーの閉店、山トレでちょくちょく買い物していたコーヨー、私とか他登山者はしょせん部外者の利用だからあれだけど地元民はどうすんの、めちゃくちゃでかいわな、めっちゃ時代を象徴してると思う。でも角幡さんと服部さん(記憶が超あいまいだからフルネームでは書かない。いろいろ間違ってる可能性が高いから迷惑をかけてしまう)のどこか(YouTube?)の対談だったかで、角幡さんが日高山脈を彷徨してもどれだけ奥地に行っても人工物があるみたいな話で、話が崩壊登山道だっけ、そういう話題になり、いろいろな人工物がこのまま崩壊していったらどうなるんだろう、ハハハ、長いスパンで考えたら原始に帰っておもしろいじゃないか、みたいなあれがあって、自分もそうであるところの一般の人間ってのは崩壊していくものに対しては「なんとか元にもどせんだろうか」的なベクトルでものを考えてしまうのだが怪物2人の対談はやっぱすごいなと思った、たしかに千年とか1万年とかの流れで考えたら崩壊するならすればいい、1億年とかで考えたら原始の自然に還るだけ、みたいな、ナウシカっぽい?おもろいわな、おもろいかどうかはともかく思考に風穴が開くっつうかな。大昔、上海から大阪だったか神戸だったか行きの船で出会った上園さんを思い出した。4年かけて自転車で世界一周をしてこれから日本に帰国するところだと言っていた。4年かけて、という時間や、自転車で、という方法や、世界一周というスケール、何もかもが当時19歳の私には未知であった。それだけ長い時間をかけて世界中を周るなんてどんな気持ちなんですかねみたいなことをと聞くと上園さんは「あなたもぼくと同じことをするタイプだと思う。だからここで聞かなくてもいつかわかりますよ」と言ったが結局私はそのような大それた冒険は何もせずにあれから30年の時間が流れて初老などという言葉を舌先でころがしながら近所の山で息をハアハアいわせている。

休憩した後、歩き出すと、不思議な変化があった。

足腰だけではなく、体全体に力がみなぎって、一歩一歩に力が入るようになっているのである。ここで私は、身をもって深く理解した。

どうやら、山で動けるかどうかはエネルギーの補給にかかっているらしい。
つまり道中の適切な水分補給と、エネルギー=カロリーの補給が山歩きには必須であり、おそらくわたしはわざわざリュックをおろしてお茶を取り出すめんどくささを忌避するあまり単純に水分不足になっていた=力が抜けたのだとわかった。ここはあくまでも推測であるが「疲労の原因は一に水分不足、ニにエネルギー不足」これは体感として絶対であった。
「水分補給とエネルギー補給は大事やで」こういうのは山歩きをするにあたっては大前提として持っていなければならない知識なのだろう。山動におけるパフォーマンスは基礎体力をベースとして「水分の補給」「エネルギーの補給」「休憩」の配合ですべてが決まる。山歩きは料理と同じである。

なにせ急に体が動くようになっている。
太ももやふくらはぎだけでなく「全身の巡り」みたいなものが生き返っている。
私は登山者として必要な知識を得たこの瞬間からコイキングがギャラドスになるように登山者としてだけではなく生物としても数段階ステップアップしたのだと自覚した。
山を歩くという行為についてギャラドスからコイキング達にようこそ先輩的にアドバイスをするとすればだね、まず私たちは最初山で「動く」という状態にありますよね。そして、疲れたりしたらその都度休憩したり飲み物や食べ物を補給したりしますわな。
しかし、これってあくまでも平地で散歩する場面とかで有効なやり方なのである。
後輩達よ、山ではそれは通用しない。

登山においては「疲れたなあ→休憩」とか「のどがかわいたなあ→お茶」では手遅れなのだ。「山で動く」を常態としてキープするためには、生理的な訴えが内奥から湧き上がってこようが来るまいが、常に飲食料の補給を細かく重ねていくのが大事なのである。たぶん合っていると思う。おしっこしたくなってからトイレをさがしてもトイレがないみたいな。それは違うか。全然違うかも。

ともかく私の体に起こった突然の変化はあきらかに飲食料の補給によるパワーだろう。
何度も重ねて書くが長時間の山歩きをするためには「お腹がすいたから」とか「喉がかわいたから」という体からの訴えを待ってからの補給では遅い。お腹がすく前に、喉がかわく前に、「身体とはそういうものなのだ」という理解の元で定期的に栄養なり水分なりを補給していく、とにかくお茶は細かく飲めという話である、わかったかね?動く、動くぞ、なんだこれ、私は進化した新しい体で難攻不落の400階段がそびえる須磨のマッターホルン栂尾山南西壁を制覇した。