日曜日なので須磨アルプス中心部の「馬の背」周辺は混雑するだろう、そこにぶつかるとせっかくの雰囲気(孤高の人感とでも言おうか)が台無しになるから、出来れば朝のうちに混雑ポイントは通過してしまいたい。出発時点ではそう考えていたのだが、いま目の前に長く伸びている栂尾山への入り口に設置された通称「400階段」にはすでに登山者が6人見える。平日ならほとんど人がいないのにさすが日曜日である。でもまあ今さら雰囲気がどうのこうのと言ったって出発からすでに何十人もの登山者とすれちがっているのだし、それにこれを混雑とか言ったらバチが当たる。ゆうて6人である。東京の高尾山なんて段違いの人ごみなわけだしあれよな、なんやかんやで神戸は人間が少ないなと感じるのはたまに用事で大阪駅に行った時で、このまえも妻のGショックの修理受け取りに梅田に行ったんですが梅田は宇宙ですな。ハーバーランドに行くとたまに何かのイベントにかち合う日があって「人が多いなあ」て思うけどハーバーランドだけじゃなくて神戸市の人口と同じくらいの人がヨドバシカメラとグランフロントのあたりにいる。
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さっきから、上っても上っても階段が終わらないではないか。
この400階段にしても減量期のトレーニングのために何度か使ったことがありこちらとしては慣れたもの、というほどにナメた気持ちはないにしても、どこかにこう、馴染みの場所やんか〜くらいの気易さはあった。しかしやはりトレーニングの時の手ぶらで上るのと縦走のためにリュックを背負って上るのとでは全然違う競技をやっている感じがある。トレーニングのために使っていた時は階段だけが目的であったけれど、縦走の場合だと400階段など長い道のりの中の小さな通過点にすぎない。
私は目の前に長々と伸びる、上り切ったところで何が達成されるわけでもない石造りの長物を前に圧倒的な徒労感と絶望感を感じている。
もう嫌だ。もう嫌だ。
なにせ直前に高倉台の長い下り階段に苦しんだばかりである。
せっかく標高246メートルの旗振山を始めとした巍峨険阻たる垂水アルプスを縦走し命からがらおらが茶屋にたどりついた、そう思った矢先に上ってきたばかりの山をすべておりろという指令を高倉台の階段から受けた、その無情階段を数百段、たったいま下りてきたばかりである、なのにまた、数百段上らなあかんのか、というシーシュポス的徒労、イヤだ、イヤだと大腿四頭筋はこれ以上の出動を拒否している。
立ち止まって、ゆっくりと眼下の世界をふりかえった。
これ、どこかで見たことがあるなと思った。
そうだ、北斗の拳のサウザーが聖帝十字陵を作るのに、南斗の仁星のシュウっていたじゃないですか、ケンシロウをたすけるために自分の息子まで捧げた乃木希典みたいな人。そのシュウがぼろぼろになりながら、村人か何かを人質にとられているために聖帝十字陵の石をひたすら積み上げていく場面、あれといっしょだと思った。そう考えると栂尾山の長い階段はなんだかピラミッドっぽいし、たぶん武論尊はこのあたりの景色を見てあの伝説の場面を思いついたのかもしれませんな。
北斗の拳ってさ10年くらい前に究極版が出て、その時に全巻買ったら複製原画のプレゼントってのがあったのね。それで同じく伝説の場面でマミヤの乳首シーンってのがあるじゃないですか、私はあれの複製原画が欲しくてそのために全巻買った。でもそのあと神戸に引っ越すってなったから東京時代の荷物(おもに本)をほとんど処分することになって北斗の拳の究極版全巻も当時三鷹に出来たばかりのしゃれた感じの古本屋に持って行ったんだけど、でも今から考えたらあの古本屋、せっかくしゃれた店をかまえたのにゼノンコミックスの北斗の拳全巻を持ち込まれても迷惑だっただろうな。でもああいう洒落た本屋やってるような人ってこっちがそういうことを言うと「いえいえ、ぼく北斗の拳こどものころ大好きだったんですよーうれしいですー」とか言うねんな、うれしいんやったら10万円で買えや、ムカつくねんけど。
階段の合間に設置されたベンチごとに休憩しながら考えごとをしていると、老人だけでなく若者たち、後から来た登山者たちに続々と抜き去られて行く。
彼らはどこから来てどこに向かうのか。
私と同じ、縦走仲間なのだろうか。
いや、私には仲間などいない。
どいつもこいつも滝に落ちて死んでしまえよ滝ないけど。
滝に落ちて死んだ人おったよな自撮りで……。ああいうの他人事ちゃうてな全然。
体が押しつぶされるようにだるく重い。私は意を決していったん荷物を全部下ろし、半端な形ではなく本格的な休憩体制をとった。ここがやめどきなのかもしれないとも思った。