はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

肉磨きとP的なものについて

昔の平和時代のツイッターと違い今のXは、良くも悪くもXで、自分の興味にあまり関係ない感じの人やら知らん人やらの、なぜここに?みたいなポストばかりが流れてくる。昨日は昼、Xを見ると、最近は肉の飲食店をやっている堀江貴文さんが巨大な肉の塊を肉切り包丁で器用にカットしていく(いわゆる"肉磨き"というやつ)だけのライブ配信が流れてきた。それを……つい、ぼんやりと見てしまったのである。誰かが何かを淡々とやっている、みたいな動画はつい見てしまう。堀江さんって人はほんまに何でもやらはる人やな、前もトライアスロンの動画が流れてきたことがあった、肉屋て、と感心しながら画面上には巨大な肉が、表面のいらない脂部分とか、くず肉とか無駄な部分がカットされていって、次第に「めっちゃいい肉塊」くらいの大きさになっていく。なんでこんなんが流れてるんやろうか、と思ったが、精肉屋さんのYouTube番組ってのもあって一時期こういう肉磨き動画を見てた時期もあって、そういうのも関係、はたぶんないと思うけど、昼下がり、私は堀江氏の肉磨き配信をぼんやり眺めていた。それで「はっ」と気付いたのだが、これは学校PTA的なものに似ていると思ったのだ。と書くと、肉方面の人はこんな戯言に興味がないだろうからほっといてくれるとして、PTA方面の人からは怒られてしまうかもしれない、けれど私はPTA的なものに対してはなんら批判的な立場ではなく、逆になくてはならないものだと考えている立場なので、そのへんをわかってもらった上で聞いてほしいというか、今どきによくある、読まずに怒る、みたいなことをしないでほしいわけだ。ただで読んでいるのだから、読んで怒る、てのも迷惑なだけなのでしないでほしいけど。少し前に諸隈元さんが、私が文學界で書いていた「めしとまち」に言及してくれたことがあって(https://x.com/moroQma/status/1917523717984510383)、おかげで随分いろんな人の話題になっていた、それは大変ありがたい話であった。ただ今の時代、話題になる=言及される、ということは、好意だけではなく、少なからず諸隈さんが引用していた私の文章について怒っている人がいて、なんにせよ、1万人の話題になって実際この話題がきっかけで文學界を手に取った人って5人くらいだろう、それはそれでよいのだが、好意であれ悪意であれ、ほとんどの人は「読まずに盛り上がっている」というだけで、この「表層だけの情報で、反射のように感情を表出させてしまう」という問題は今やあらゆる場面で起こっており、どうにもならないわけだが、当事者になってみると「金も払わずに何をキレとんねん」みたいな気分に、なってはいけないというのも無理な話。よく政治家とか芸能人が「切り取り動画で判断された」的な抗議をする場面があるじゃないですか、あれの気持ちはわからなくもないというか、少なくとも私が数回経験したようなものの何千倍とか、何万倍とか、政治家や芸能人はそういう、金を払うわけでもなくただ怒りをぶつけてくる人々、みたいなのを浴びてるんだろうから、まあ大変だし、これも今の時代にありがちな現象として、そういう「金を払うわけでもなくただ怒りをぶつけてくる人々」を他に使いようがないからむしろ逆転の発想で「燃料」としてとらえ、あえてそのような群衆を焚き付けて炎上させて商売していく、みたいなやり方も、これはもうなんつうのか鶏が先か卵が先かみたいな問題で、私たちが必死に怒れば怒るほど相手の燃料になってしまうみたいなやつ、安倍晋三さんの「こういう人たちに私たちは負けるわけにはいかない」、私は安倍晋三さんにとって「こういう人たち」の側だったわけで、しかしあれよなあ、結局そういう、感情の表出ってやつが相手のエネルギー源にしかなっていないという問題、まあこれはマシになっていくどころかどんどんそういう時代になっていくし、怒りを元にした炎上案件だけじゃなく今やポジティブポジティブしたプロの広告とか何かの宣伝とか何にしても、誰かの喜怒哀楽、共感、感情の反射的表出をどれだけ「塊」としてすくいとれるか、みたいなのが勝負になっている、それでなんの話だったっけ……肉磨きとPTAな、ううむ……。結局ですな、でっかい肉塊が、職人によってスッ、スッ、スッ、と実にあざやかにカットされていって、それで最後には肉の大きさがだいぶ減って、それであざやかなザ・肉みたいな塊になるんだけど、この作業でカットされていくのが学校に行かない、行けない子供で、残ったかたまりが、学校に残った「普通の」子供たち。私は常日頃から考えているのだが、P……って組織は、結局、途中でカットされていった子供のためには何もできない。それはPが悪いんじゃなくって、組織って、そういう風でしか在ることができない、ていうか、繰り返すがこれはPが悪いとかそういう話ではない、断じて。ただ100人のうち90人は残るから、多数は残るからなかなかそういう風には思われないだけで、学校に入学してなんとか卒業していく、ていうのはなかなかラッキーなことなのだ、きみたちは歴戦の生き残りなのだ、と書くとその道から外れた子がアンラッキーとか戦死したみたいだけど断じてそういう意味ではなくて、書き方が難しいなあ……それで、結局結論はないんよなあ。学校をドロップアウトする子がいる。Pはその組織のありようとして、(必要ないのでカットします、という顔はせず、様々な方法でよりそっていきますという顔をして)肉塊から無駄部分をカットしていく、そのカットされた小さな肉切れに重なる……何かがある……しかしそれをして冷酷な組織であると非難するのはただの即時的反射、さっきから様々なあれで言うているところのReflexであり、何もかもカットするなというのも非現実的な話、いや、肉磨きとPを真に重ねるならば、カットというか肉塊から離れていくのは肉片自身であるとも言えるわけで、離れていって、ペタッと別の場所に行ったらそれはもう。いつもぼんやり考えている、Pっていう組織の在り方っていいますか。組織って、そこに残った人たちのために機能するもので、そこからはみ出した人のためには機能しないという根本的な問題について、肉磨きのライブ配信を見ながらぼんやり考えてたってわけ。詳しい話はまた今度しゃべるわ。