はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

カレーのルー、上からかけるか横にそえるか問題

 4月10日金曜日。朝、おなかすいた、カレーが食べたいと言ってプリキュアカレーを持ってきたので、ほなそれしょーかと湯煎して、犬用にリンゴを切っていると自分もリンゴが食べたいと言う。ほな添えよかとついでに切って、子供のぶんはスライサーで皮をむいていると、わたしは皮も食べられるのだが、というような事を子供語で言われたので、少しだけ皮を付けた状態でむく。きゅうりでもリンゴでも人参でもそうなんだけど、皮つきのまま食べてくれるならそのほうがいラクなので皮つきで食べてほしいが、皮には特有の皮味というのが有るので(特にきゅうりの皮にはわずかだけど、えぐ味がまじる)調子にのって皮ごとバリバリ食べていて皮味に引っかかってしまい、素材そのものに苦手意識を持ってしまいやしないか、みたいなあれがあるので、小さいころからなるべく色んなものの皮は律儀にむいている。そのへんはまあどうでもいいことである。大事なのは、皿に白ごはんを入れてからの「カレーはご飯の上からかける?それとも横にかけておく?」という質問で、こういう小さな部分をないがしろにしてしまうと子供の気分が変化する。横、という時もあれば上、という時もあり、今日は横、ということだった。昼はラーメンが食べたいというのでサッポロ一番味噌。この前六間道の八百屋で買って湯がいて冷凍しておいたブロッコリーを最初に入れ(めっちゃ柔らかくするため最初に入れる)、ほぐれてきた段階でキッチンばさみで小さく小さく切る。普通のままだとブロッコリー感が出すぎて好まないからだ。小さく切って、卵を溶かし、麺を入れ、そろそろ食べとかなあかんなという感じのタッパーに残っていた古いハムを3枚入れる。何も言わずに出すと麺だけ食べて野菜を残すので「緑も食べなあかんで」と最初に言う。でもそうすると「緑も食べなあかんで」という言葉が気になって、子供はずっと小さく切ったブロッコリーを箸で集めてそれだけを食べる事に集中し、結果麺がのびきってしまいおいしくなくなって、麺を残す。何も言わなければ野菜が残るし、何か言えば麺が残る。このへんの調整というか、バランス良く食べてもらうための駆け引きが難しい。松江で初めての感染者、とか言って年若い人間の通っている学校名も発表されていたけれど、こういう発表はウイルスがウイルスなだけに仕方がないとも思う反面、現在の日本の感じだと、タバコのばかでかい注意書きのように「いま、感染した人間や周囲の人間が一番しんどい時なんやから差別するな」みたいな事を、子供のうちに教えとかなあかんような事を、子供に諭すようにきちんとアナウンスしとかなあかんわなと思う。現状、しんどいと言えばしんどい。けれど自分は四十代で、それなりの経験もあり、自分のしんどさに対してある程度読みがあったりコントロールしたり出来るんだ。しんどさに対する処し方、か。そういうのってけっこうテクニカルなもので、やっぱな……十代二十代の人間にとっては死にたくなるほどしんどいようなことでも、私の年になったら「それがどうしたの?」みたいに思える事があって、やっぱり今の感じでも平常と変わらず日々を送る、みたいなのはこの年齢の自分のテクニックであるわけだ。これがもし自分と同じ感じで、年齢が十代とか二十代とかだったら。どうなるだろう、と考える。自宅待機、行動自粛によってDVや児童虐待の増加、みたいなニュースを見て、良い悪いとは違ったところで言うんだけど、そりゃそうだろ、という気がする。二十代で仕事を失った親、保育園に預けられない親、周囲を頼れない親。そういうのを救うのは何かって言えば、私の言葉なんかじゃなくて、やっぱ金だよな、と思ったりする。救う、て。10万20万の金では何の解決にもならないが、金がふってくりゃちょっとでも気分がアガるだろう。たとえ気休めであっても、一時的であっても気分がアガる感じは大事だ。金と大麻が支給されないかな。私は金と大麻が欲しいな。