4月5日(日曜日)。快晴。きのうに引き続いてあれやこれや。昨夜はひさしぶりに酒を飲まずにショパンを聴いて寝た。お茶しか飲まんとな、おれショパン聴いて寝てん、みたいな事を誰かに言いたい気がした。音楽を聴きながら眠るのは何年ぶりかわからないくらい何年ぶりやほんま。いつだったか、子供が夜中の0時とか1時頃に起きて風呂場で作業をしているわたしのところに来て、ぜんぜん眠れない、と言った。そうなんや、別に眠たくなかったら寝んでええで、こっちにおり、とわたしは作業スペースの横をあけて、子供はその横で何かをしていた。自分も小さい時よふかし好きやったなあと思うとうきうきしてきて、なあゲームでもやろか、とスマホを出してマリオカートのアプリを起動する。夜ふかしするのって楽しいやろ?うん、ていうような事があって、子供にとってはそれがとても楽しい思い出だったようで、それ以降毎日、寝る前にわたしの所に来て「(今日の)夜ふかしどうするの?」と耳もとで聞いてくるようになった。わたしは「じゃあ、一時に(約束)しようか」と子供の耳に手をあて内緒話で答える。それから毎日、ルーチンになってこのような会話が互いの耳に手をあてて続く。
「夜ふかしどうする?」
「一時にしようか」
「いいよ」
「どうやって起こしたらいい?」
「10回やさしく叩いて(起こして)」
「それで起きなかったら?」
「9回つよく叩いて」
「それでも起きなかったら?」
「8回蹴って」
「それでも起きなかったら?」
「7回つよく蹴って」
「それでも起きなかったら?」
「ほっといて」
このやりとりが寝る前の儀式になって、やりとりが終わると子供は布団に入り、朝まで寝ている。しばらく続いていたその心地よいようなやりとりは、数日前から急に終わった。終わったというか、簡略化された。子供が寝る前にわたしの所に来るまでは同じなのだが、会話のやりとりではなくて、「夜ふかし、いつものようにしてね」と簡単に伝えるだけのバージョンになった。始まった時からわかっていたけれど、やっぱり、いっときだけ発生した幻みたいな言葉のかけあいだった。簡単に伝えるだけのバージョンもそのうちなくなって、やがて記憶からも消えて、何もなくなる。簡略バージョンになる前の、最後のやりとりはこんな感じだった。翌日から今の通達形式になった。
「いつもの夜更かし、いつものようにして」
「それでも起きなかったら?」
「いつものようにほっといて」