「あつまれ どうぶつの森」

 公園に行くとモンシロチョウが飛んでいた。それを見つけた子供が「チョウチョ!チョウチョ!」と大きな声を出して追いかけて行く。あまりに元気に声を出して蝶を追いかけていくものだから、犬の散歩をさせていた女性が「元気な子やねえ」と感心していた。しかしうちの子供は本来、知らない場所で大きな声を出したり走り回ったりするタイプではなく、公園であれ飲食店であれ、誰か知らん人がいる場所だと、もうちょっと元気でいてくれた方が助かるんやけど、みたいになるくらいになんというか、おとなしい。そんな子がここまで大声を出して、周囲に人がいるにも関わらず懸命に蝶を追いかけている。そうなっている原因はおそらくひとつしかないと私は考えている。大好きな「あつまれ どうぶつの森」と現実の世界との境界が曖昧になっていて、いまこの場所が「あつまれ どうぶつの森」の舞台だと思っているのである。その気持ち、わかるな、とも思った。ゲームにのめり込み過ぎてゲームの世界と現実の世界の境界が溶けていく。なんかわかるぞ、と思って、どうぶつの森やりたいんやろ?と声をかける。自分の足で全部登って、山の上やったらやってもええで、と声をかける。昨日もあれやったしなあと思いながらも子はどうぶつの森のためならどっから力が出てくるんやという感じで山道を登っていく。たとえば傾斜や段差ひとつとっても、私が感じているものの数倍は幼児にとっては大きいわけで、小さな子供の体にどこまでの負荷をかけていいものか、と迷ったりするけれど、体力的にはあり余っているからけっこう登っていく。ただどうなんやろう、大人だったら膝に負担がかかったりするでしょ、ああいうのが幼児の場合は大丈夫なんやろうか。そんな事を考えながら自分も歩いて、目的地に着くと「はい、約束」と手を出し、私のリュックに入っているニンテンドーSwitchしか見ていない。景色とかそういうものには一切興味を示さない。たださっきの公園で声を出してモンシロチョウを追いかけたように、モニターの中の世界で蝶を追いかけたり魚を釣ったりしている。楽しそうだ。とにかく楽しそうだ。そんなに好きやったらなんぼでもやってええで、みたいについ、思ってしまいそうになるけれど、私みたいにやりすぎて目が悪くなったらあれやからな……。行きはプリキュア、帰り道は氷川きよしをスピーカーで鳴らしながら山道を歩く。途中、ウグイスが鳴いていて、これウグイス、山でしか聞かれへんから珍しいんやで、せっかくやからウグイスの声聞こか、ちょっと氷川きよし消してええかな?と聞いて却下される。3月っていうのは春になる前のあったかくなってくる時で、あっこちゃんは今のほら、道が光ってきれいやろ、ツツジのうすーい紫の花が光ってて、今のこの道があっこちゃんは好きやな、という話を聞かせる。こういう話をする時、30秒に一回くらい、そうやろ?そう思うやろ?と声をかける。子供は沖縄民謡の慣れた囃子のように「そうだね」と答える。おまえ今どうぶつの森の事しか考えてへんやろと思った。