多幸感

 18日。自転車で畑原市場まで行こうと思って線路沿いを走っていたんだけど、どうせなら海沿いのほうが気持ちいいだろうと阪神高速を渡り、中突堤のところからメリケンパークに入った。文句のつけようがない快晴の下で、これまで見た中で一番、人があふれていた。PORT OF KOBEのコンテナ周辺ではテニスやバドミントンをする若者たち、公園の芝生ではゴザをひいて弁当を食べる家族連れ、噴水のまわりではスケボーやBMXに乗るいつもの若者たち、BE KOBE周辺には記念写真に並ぶ若者たち。自転車でゆっくり一周すると、ほとんどが若者と子連れで、多くの人たちは行く場所がないからこの場所に来ているんだろう。よく再開発の工事現場のフェンスとか、役所のページとかに工事が終わった後に生まれる新しい町の世界みたいな、完成後の町の絵がのってるじゃないですか。あれがそのまま具現化したような、あまりにも輝いてる感じがした。感染させるから人混みに行くなと言われている種類の人間たちの足は自然に公園に向かって、その事によって生まれる、普段にはない町の景色。なんだこれはと思った。正直に言うと、私はここで、ものすごく幸せな、多幸感に包まれたような気持ちになったのだ。そして、新型コロナウイルスのあれやこれやに対して憂う気持ち、不安になる気持ち、腹が立つ気持ち、今日は週刊文春に財務省近畿財務局の赤木俊夫氏の手記がのっていて、もう何年も前から今の政権に対してどれだけ吐き捨てても湧いてくる怒りの気持ち、無力感、それらと、メリケンパークのこの多幸感が、心の中で釣り合わない、と思った。この事をもっと2時間くらい考えたかったけれど、子供といっしょだからそういうわけにもいかず、すべては同じ世界でつながっている事なのだと雑に認識して、市場に寄り、いつもとは違う公園で遊んだ。そこにはブランコで遊んでいた家族がいて、ひとつあいていたブランコにうちの子供が乗ろうとした時、かなりきつい声で「マスクがずれてる!」と自分の子供に注意しているお母さんがいた。見ていてもその子は咳をしている様子もない。もう時間も遅いので人も少ない。ただ子供は少しのマスクのずれをなおし、離れた場所に立つ母親の厳しい剣幕に見守られ、静かにブランコで遊んでいた。私はこのお母さんの側(がわ)に立つ人間ではない。けれど、彼女の声というか必死さというか、ピリピリした感じを、おぼえておこうと思った。帰り道、信号待ちでスマホを見ると、コロナウイルスばらまくぞと言った男性が死んだというニュースを見た。本屋に立ち寄って「本の雑誌」を買いたかったのだが売っていなかった。子供がこれを買ってほしいと言って指差すすみっこぐらしの本、手にとって値段を見たら2700円。あほかと却下し久しぶりにハッピーセットで晩ごはん。17日。新開地のUでたこ焼きを買って公園で家族あそびをしようと思ったら、先にいた女の子2人組につかまる。6歳で、幼稚園の卒園式を終えたばかりだと言う。ずっと私たちに話しかけてきて、周囲には誰もいないので「おかあさんかおとうさんはどっかにいるの?」と聞くとあっちでご飯食べてて、今しゃべってるからそれまでここで遊んでていいよって言われたから、とのこと。こちらはなんぼ遊んでもいいけれど、いくら子供を連れているとはいえ女の子2人にべたべたとくっつかれ遊んでいるのは、まあこれが相手の親の立場になったなら、心配になるやつやとわかるので、彼女たちとの距離のとりかたが難しい。難しいもなにも、この状況(相手の親がいない&いつ現れるかわからない)だから出来れば遊びたくないのだが、しかし立っても座っても逃げてもくっついて来て体を寄せてくるので緊張する。しまいには子供ともうひとりの子が離れた場所に遊びに行って、わたしともうひとりの子がいてその子がとにかくくっついてくるので困った。と言っても大変なあれではなく、幼児が気を許した大人にする感じの普通のあれなんだけど、そういう問題ではない。なんというか、遊ぶぶんにはなんぼでも遊ぶし面倒も見るけど、知らん人の子供にくっつかれた時のこの緊張感ととまどいよ。首からぶら下げていたカメラは早々にしまっている。くっついてきたらすぐに離れる。自分は何ひとつ悪くないわけだが、相手のお母さんが来た時に感じる(感じるのは仕方がない)不信感を少しでもマシなものにしないといけないと、そればかり考えていた。高浜岸壁に行くとオーシャンプリンス号の出港と重なって、デッキにはけっこう人がいた。ところどころで中学生か高校生くらいの子がいて、ベンチに二人で座っている女の子に、4人連れの、彼女らより少し上くらいの男たちが、「卒業おめでとう」と声をかける。女の子たちは小さく「ありがとうございます」と答えていて、それを見てわたしは、彼女らが手に持っている一輪の赤い花に気づいた。まわりを見ると、もう一組の2人組は、地面にスマホを置き制服を脱いで空に高く投げて動画かなんかを撮っている。そうか、今日はそういう日なのかと思った。14日(土曜日)。灘中央市場の鳥一に行き、焼き鳥をください、と言って、パックに入った2本の大ぶりのネギマ、値札がなかったので大きさから判断して350円くらいかなと思っていたら「はい、160円」と言われて、思わず「やすっ」とおばちゃんに言ったら、そうやろ、安いねん、これも買っといたら?と胸肉の照り焼きを指さされた。その時はこれから行く書店Sでの配信用のつまみが少し欲しかっただけだから、一枚肉の照り焼きはなあ……「食べにくいからええわ」と言うと「食べやすいよこれ、指でつまんで歩きながら食べたらええねん。おいしい」と返されて、なんかこう、野球に例えるとどんな球を投げてもスタンドに入れられる感じの昔ヤクルトに一年だけいたボブ・ホーナーを前にした阪神の池田みたいな感じになって照り焼きを買った。15日(日曜日)。夜、メキシコのマリアッチがたくさん入っているアルバムを自転車に付けたスピーカーで流しながら海沿いを走っていると気持ち良かった。ハーバーランドに行くと5メートル感覚くらいでカップルが相手の腰を抱き、ポートタワーを眺めている。風が冷たくて寒かったけれど平和な風景があった。夜の海にマリアッチはよく似合う。帰宅後はカレーを作った。13日(金曜日)。晴れた公園に紙と色鉛筆を持って行き、子供が絵を描いていると、色鉛筆のケースにてんとう虫がとまった。どちらが言うともなく「あっ」と声に出して、手にのせたり写真に撮ったりした。てんとう虫はすぐに羽を広げて飛んでいった。私はケースにとまってからじっと見ていたので、てんとう虫が羽を広げる時のメカっぽい、折りたたまれた羽がクワッと広がる超かっこいい感じを全部見る事が出来た。お昼ごろ、朝日新聞配信記事の見出し「子どもがカラオケ・ファミレスに 高齢者が苦情、親は…」を見る。リード文にはこうある。『新型コロナウイルスの感染拡大防止のため一斉臨時休校となっているのに、子どもたちがカラオケボックスやファミリーレストランに集まっているーー。こんな苦情が熊本市教育委員会に寄せられている。特に重症化の恐れが指摘される高齢者からの苦情が多い一方で、保護者からは「長期に外出させないことでの子どものストレスが心配だ」という声も上がっている。』それを見て10日前の3月3日(火曜日)深夜、グーグルニュースのヘッドラインにこのような見出しが並んだ事を思い出した。
若い世代に感染拡大リスク「風通し悪い場所避けて」専門家会議(読売新聞)』
「若者が感染拡大、密集地避けて」専門家会議が呼びかけ(朝日新聞デジタル)
「症状が軽い人が感染拡大に重要な役割も」専門家会議が10代から30代の全国の若者へお願い(AbemaTIMES) 
それから数時間後の朝、朝日新聞ニュースレターは件名に「若者が感染を拡大か」とあって、リード文にはこう書かれていた。「若者が知らぬ間に新型コロナウイルスの感染を広げているらしい。専門家らが見解を示した。感染拡大を防ぐためにライブハウスなど閉鎖された空間に行かないよう呼びかけている。」
16日(月曜日)。内閣支持率8ポイントアップ、49パーセントに、という記事を見る(共同通信)。2月29日の元町1003のイベントで、大阪のライブハウスのやつが報道されたことによって明日から大きく潮目が変わってくると思う、みたいな事を言った。そうそう、3月3日のヘッドラインを見て暗い気持ちになったのだ。なんとなく「若者が……」みたいな空気になって、なんとなく公共の場に幼少児を連れていく事に罪悪感の萌芽のようなものを覚えるようになり、わたしたちの行動は萎縮する。3月17日、ツイッターにこう書いた。

幼児を連れていると絶対にトラブルに遭いたくない(リスクを限りなく0にしたい)ので周囲に過剰に気を遣ったり過剰にピリピリしたりする。今って子供の咳ひとつで何か加害しているような目を向けられるリスクがあって(雰囲気が醸成されていて)これは新コロナ終息後も重たいものとして残る気がする。

— 平民金子 (@heimin) 2020年3月17日
電車や混雑エレベーター、様々な場所で元々あった子連れへの「ちょっと厳しいな〜」という無視・無関心と、新コロナ騒動で生まれる子供(の咳)への忌避感、これが悪魔合体したらと想像し悲観的に……と言っても特効薬はないので、少なくとも自分は今まで通り子連れを守る側の立場でいようと思うだけ。

— 平民金子 (@heimin) 2020年3月17日

 18日(水曜日)。初めて行くお好み焼き屋で、持ち帰りを注文している時に子供がアップルにむせて咳をした。その時に、店の人もお客さんもたぶんなんとも思っていなかったんだけれど、わたしひとりがびくっとして咄嗟に子供の口をおさえた。その自分の行動を後悔したりはしないが、とても敏感になっているな、と思う。普段、何もない時でもエスカレーターで子供が横に並んで立ちたがるから、わたしは片側の空いた方に立って、もし後ろから急いで来た人間になんか言われたら、と警戒して肩をいからせる(エスカレーターに子供と並んで立っていると、おそろしいようなプレッシャーをかけてくる人は実際にいるんだ)。子供を守らなしゃあないのでどんな時にもどんな場所でも肩をいからせる。そういうのがエスカレーターだけでなく、けっこういろんな場所に広がったような、そんな空気である。いろんな感情が積もっているんだろう。積もり積もったあれやこれやがあって、そんな時にメリケンパークでは、ポカっとそこだけがエアポケットのようで、どう受け止めていいのかわからない、心のバランスがくずれてしまいそうな多幸感を覚えた。この気持ちと見た景色を覚えておこうと思った。