箱入り娘

 お見合いの日、雪子は姉の幸子とともに、井谷の経営する美容院に髪の毛をセットしに行く。そこで幸子は井谷から、あんたはただでさえ派手なんやから妹(雪子)が霞まんように地味に、目立たんようにして行きや、と言われるのだ。幸子が横にいると雪子が映えなくなるという意味で、そう言われた幸子は、なにを言うてんのん妹の魅力もわからずに、と思う。『幸子はそれを云われるたびに、そんなことを云う人は雪子ちゃんの顔のよさが分からないのだ、なるほど私の顔のように陽性で賑やかなのが、近代的というものかも知れないけれども、こういう顔は近頃の世間にはザラにあるので、珍しくも何ともない、自分の妹のことを褒めるのはおかしいけれども、ほんとうの昔の箱入娘、荒い風にも当らないで育ったという感じの、弱々しいが楚々とした美しさを持った顔といえば、まずうちの雪子ちゃんなどの顔ではあるまいか、あの美しさが分ってくれて、ぜひともああいう人がほしいと云うのでなければ私の妹は上げられない、と、雪子のために大いに弁じたものであったが、でも本心は、さすがに優越感を抑えがたいところもあって、「あたしが一緒やったら雪子ちゃんの邪魔することになるねんて」と、夫の貞之助の前でだけはいくらか誇らしげに云ったりした。』(谷崎潤一郎「細雪」中公文庫 p59)。あんたはあれやからちっと地味にして来いみたいに言われて妹をかばうように反論するけれど、心のどこかで優越感のようなものを感じてしまう、このあたりの機微がたまらんなと思うし、この後で悦子(幸子の娘)が学校から帰ってきてうっかり、今日はお姉ちゃんの縁談なんやろ?みたいに軽く口にしてしまったところから、それ、誰に聞いたんや?と空気がびりびり変わっていくあたりの流れがおもしろい、と、書きながらも本題は作品の内容ではなくて、文中さりげなく出てくる「箱入娘」という単語にある。先日灘のS食堂にHさんとYEで行った時に、全員が肉吸いをたのむことになった。わたしとHさんは卵入り、YEは卵なし。しばらくして、湯気が出て熱々の肉吸いが3杯のったお盆を店員さんが運んできて、厨房から一番近い場所にいたYEの前の、空いたスペースにお盆ごと置いた。一旦お盆から肉吸いをテーブルに置いて、こっちは卵あり、こっちは卵なし、さてどちらの方が卵ありやったっけ、となった時に、その様子を見ていたYEが自分から手伝うように丼を皆に配ろうとした。そのときに「ええのええの、やけどしたら大変。大事な箱入り娘やのに」と店員さんがYEに言っているのを聞いて、わたしは妙な感動をおぼえた。店を出たあとでYEに聞く本人はそんな言葉をまったくおぼえておらず、Hさんに聞くと、Hさんは「箱入り娘」という単語をはっきり聞いたという。だから何というわけでもない。ただわたしは、実生活の場でこの単語をとても久しぶりに、もしかしたら初めてかもしれない、と言うくらいに聞いたのだった、新鮮な気持ちで。さっき箱入り娘って言うてはったなあ、おもしろいなあ、としばらく歩きながらその言葉を口の中で飴玉をころがすように何度も何度も反芻した。公園で家族あそび(今日は人形を盗みに来た泥棒役)。高浜岸壁からはロイヤル・プリンセス号が出港していて、客はおるんかいな……と勝手に心配して目を凝らすと、快晴の下、10人くらいがデッキに出ていてめでたいような気持ちになった。ずっと前から咲いていたのかもしれないが、今日初めて「あ、シロツメクサが咲いてるぞ」と思った。新開地の立ち食いMにざるそば発売の張り紙がでている。3月2日にざるそばを注文し「まだや」と言われてから2週間。どんどん春になってきている。摩耶山では雪が積もったらしい。Hに客としてやって来たF井さん、今日はネギとタコを切っていた。「わたしが切るのと全然ちゃうねん。次の日になっても新鮮で。エアーが入っとるんちゃうかな」二束目を切り終わった後にわたしがF井さんに「目、いたくならないですか?」と聞くと「ならん」との答え。「わたしが切ったらあんた、自分だけやないで、まわりのお客さんもみんな目ぇ痛い言いだして」「でもやっぱりちゃんとあれしたら目ぇ痛ならへんのかなあ。サクサク切ってはるもんね」「でもF井さん、ここの包丁あんまり切れへんいうねん」「そうなんですか?」「切れるか切れへんかを言うレベルとちゃう」というような会話をしながら黙々と働いておられて、わたしは冗談ぽく「背中見てワザ盗ませてもらお」を言ったけれど、内心ではけっこう本気で動きを見ていて、何かを盗もうとしていたのだ。それは調理技術とかじゃなくて(おそれ多い)、こう、なにげない所作の話なんやけども。F井さんはおそらく何かを食べに来たのだと思うけれど、店を手伝っているうちにそれを忘れて、コーヒーだけ飲んで帰って行った。