そう言われると、たしかに最高なのかもしれない

 以前、山琴さんだったかスズキナオさんだったかどっちか忘れたけれど、いま自分らで何かやるんだったらラジオがおもしろいよなみたいな話になって、配信にしても、映像がない方がよいんじゃないか、スマホで配信するにしてもカメラの部分を何かでかくせば音だけの配信になる(?)から、そういうのの方がいいんじゃないか、みたいな話をした。した、気がする。なぜかというと、映像が写っているだけでなんとなく絵を「見なあかんなー」みたいな圧が視聴側に出来て、プレッシャーが発生し、気楽じゃないからだ。発信する側の問題というよりは、視聴する側の問題(気楽さ)として。カメラの部分にはテープでも貼って、だから音声だけが流れている配信、とかだったら台所で作業をしながらとか子供と遊びながらとか布団の中で目を閉じながらとか、受け手がもっと気楽になれるんじゃないか、という話だった、気がする。山琴さんと私はどちらも昔、深夜にやっていたラジオ「ぬかるみの世界」の話題を出したんだった。昨日のシカクの配信はどうだったろう。2時間半くらいあって、しゃべってる方は別にいいんだけど(酒のんでしゃべってるだけやし)、家でしっかり視聴するとなると疲れるかもなあ。登壇者にそれほどの動きはないわけで、声だけでもいい気はするんだけど。でも、家に帰ると妻はスズキナオさんの動きがとてもおもしろかったみたいな事を言っていて、ううむ、こういうのって音だけでええんちゃうのと思っているのはあくまでも自分の個人的な見解であり、絵を見てる人もそれなりにいるのかもな、とも思った。新型コロナ時代の、どないもこないもいかん、ようわからん感じ……無理に「負けへんで」みたいにテンション上げても寒いだけやし、沈んでるのもあほみたいやし、みたいなどないもならなさ、をだらだらとしゃべれてよかったのではないか。そうそう、シカクに行く前は畑原市場に。STでビールを飲んだ後、商店街にMJさんぽい後ろ姿があって、ささっと忍び寄って後ろから肩を組んだ。……まではいいんだけど、別れてから、今の時期にああいう挨拶はせんほうがいいんやろか、もしかしたらわるい事をしてしまったのかもしれない、みたいな感じでちょっと考えた。シカクの配信でもしゃべったんだけど、子供の友達の●●ちゃん、みたいなの相手でも、これまで気楽にハイタッチで「バイバイ」みたいな事をしていたのが、いつのまにか「これはあかんのかな」みたいになって、そういう挨拶もしなくなった、みたいな感じで、なんかこう、しょうもないレベルから自分の生活、精神に侵食しているという感じ。灘でのSTの後は、畑原市場のシャッター飲み会みたいなやつをやる日だったので顔を出す。顔を出したけれど現場には人がけっこうたくさんいて、何もせずに立ち去った。KNと、近いうちに飲みに行きましょかと約束。シカクの配信でもしゃべったがこういう約束したからには実行せなあかん。忘れないこと。電車の中で、誰かが咳をするだけで、アカンアカンと思いながらも心の片隅でそれを気にしてしまう自分がいたり、ちらっと見てしまいそうな自分がいたり、そういうのがめっちゃイヤやわと思う。自分がいま気を抜けば動かしかねない目線や心の動きは、自分が子連れで電車に乗ったりする時に最も毛嫌いしているものだ。それを自分が持ってしまっている事に対してどうこう思ったり、結論が出ない。というようなあれやこれやを配信でしゃべれたのではないか。事前に何も決めなかったぶん、2020年3月14日の生の感情が出たのではないか。終了後いつメン(という言葉を覚えた)とTに入ってだらだらしゃべる。スズキナオさんが何の脈絡もなくぼそっと「最高だなあ…」とつぶやいている。この、さんざん酔っ払ってぼそっと「最高だなあ…」とつぶやくのは前回も聞いたので、彼の口ぐせなのだろう。そう言われると、たしかに最高なのかもしれないと、そんな気がしてくる。