マカロン

 公園で家族あそびをしている時に、石の上にスイセンの黄色い花が2つ置かれていた。どこかの子供がなんかで遊んだのだろう。ふと階段を見ると、段差の間のわずかな土からたくましく伸びていたスミレの、むらさきの小さな花が全部なくなっていた。こんな書きかたをするとなんだか、怒っている?ようなあれに聞こえるかもしれないがそういうわけではない。花をとって子供たちが遊んだんだろうなと思っただけだ。普段この場所に子供はあまりいないけど、今はけっこういるから、あのスイセンも、このスミレの花も気づかれてしまったのだろう。数日前に子供がこの階段を降りるとき、わたしは手をそえて「こけんようにしっかり足あげてな、段差は気をつけて」なんて言いながら段差に咲くスミレたちに気づき「ほら、ちょっと見てみ」と足を止めて、ムラサキの花、かわいいな、と言っていっしょにしゃがみこんで見たから、この場所の花をおぼえていたのだった。子供らは野の花を簡単にもいで、遊んでいる。遊び終わった花は道端に投げられ、しおれていく。わたしもそうだった。でもいつからか、道に咲いている花をもげなくなって、子供が2歳くらいまでだったか、わたしは子供に対し、花をもいだらあかんよかわいそうやから、と教えていた。最初のうちは理解していたけれど、しかし子供はやがて、何かを「贈る」という気持ちをおぼえたときに、いちばん身近なかわいい存在というのが野の花で、そういう気分になった時に花をちぎって、わたしに持ってきてくれた。そんな時、もいだらあかんで、という現在の自分の感覚と、子供に芽生えている「何かを贈りたい」という気持ちを天秤にかけたら、子供の気持ちのほうが遥かに偉いと思って、それからはよほど、人さまの植木とかじゃない限り、あまり花をもいだらあかんで、とは言わなくなった。言えなくなった。誰かがもいだ黄色いスイセンを拾って、マカロンだよと言って遊んでいる。マカロンが出来たよ、と呼ばれてその花を受け取りに行く。おいしいね、おいしいね、と言う。