犬の散歩をしていると、市民運動場みたいなところがあって、いつもすいてるんだけど今日は老人から若者まであふれている。老人はゲートボールを、若者は何グループかがキャッチボールや野球の練習をしている。桜の木の根元を念入りににおい、うんこする準備をする犬を見ながらなんとなく、ナディスト氏の事を考えていた。何度か彼と水道筋近辺をぶらぶらしていくつかの店に連れて行ってもらった(昨日もそう)時に共通して感じた事があって、それは、店主や客に若い人が多く混じっているということだ。ここからは勝手な想像だが、ナディスト氏は90年代から発信していた昔の時代はみずからを「発信者」として強く意識していたのではないかと思う。それがいつのまにか色々な事がらや人々にもまれていく中で、やがて「発信者」として立つ自分はどんどん薄れて、それよりもみずからを「媒介者」として意識するようになったのではないか。これはあくまでも本人に聞いたのではなく、私が勝手に解釈しているだけである。若者に向かって、●●がいま閉まるから今度●●やらへん?とけしかけるようにして、人とのつながりや情報を持った自分が媒介となり、新しい人と古くからある町のいろいろとを、つなげようとしている。多くの人がなんらかの形でナディストにまきこまれ、その渦の中にいる。自分が単独の発信者として町を歩き、物を書いていた頃の「目」は今はないのかもしれない。畑原市場の片隅に、置いてきたのだろうか。
ここからはナディスト氏と関係なくて、個人的なあれやこれやの気持ちなのだが、私はよく、今は高齢となった店主たちが若い頃から時間をかけて積み重ねてきた場に世話になっている。それをひとことでものすごく雑に「昭和の遺産」と名付けると、そういう昭和の遺産を、そこにぎりぎり間に合った自分たちだけでただ消費して終わりにしようとしていないか、そんな事をたまに考える。私が普段お世話になっている場は、五年先十年先になくなっていそうな所ばかりだ。そのような場、店、人に「間に合った」私はまず、よかった俺は間に合って、と思う。そして自分はそこで楽しんで、適当に記録を残し、なくなるのを見送って、なくなったらなくなったで今度はエレジーを書いて、あわよくば金にする。ナディスト氏はなくなる畑原市場に盛大なイベントを仕掛け見送る一方で、じゃあ今度はここで●●君、あれ出来ない?閉まったあの店の●●、使える人おらへんかな?別の場所でも●●できるんちゃう?というふうに、常に風を入れかえようとしている。それは自分だけでは出来ない事だから、次から次へと可能性のある人、若い人たちに話しかけて、巻き込み、町の灯をともし続けようとしている。そんなことを氏からは別にアピールされたり見せつけられたりした事はないけれど、彼と町を歩いていると自然とそんなことを考えてしまう。宝箱を自分だけのものとして閉じ込めずに、可能性を持った人、若い人につないでいく。いまのナディストの目は、私たちがさようならと手をふっている、その先を見ているんだろう。おもろいことを企んでやろうと、惜別の何手も先を見て、にやけているのだ。