はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

蹴ってもいいから

 36度8分。頭が痛くて目が覚める。バファリン飲む。いかなごに興味がなくてもつい、解禁日の市場がちょっとしたお祭りのようになっているのを見に行きたくなる、というのと同じ気持ちで、つい、開店前の薬局やスーパーの様子を見に行きたい衝動にかられる。その衝動を実行に移すかというとめんどくさいのでしないと思うが、トイレットペーパーや生理用品、おむつ、カップラーメンや米までなくなっているというSNS投稿を見ると、ざわざわし、行列を見に行きたい、というような気持ちになる。いくら買い控えはやめましょうとか在庫は充分とか言ったところで「買い占め」は大きな波のようなもので、始まってしまえば止まらない。冷静に説明したって、怒ったって、馬鹿にしたって、言葉は現象には1mmも影響を与えない。商品棚にいつでも置かれているトイレットペーパーという現物がないと。生活用品が「いつでもある」というのは不動の日常という感じがするけれど、それが何かのはずみでストン、と消えてしまう。この感じは2011年の3月以来だ。当時住んでいた西荻窪の部屋の隣室に乳幼児が住んでいて、地震の直後母親に会ったとき「もし何か困った事とか買い物とか、何かあったら、こういう時だからどうかいつでも言ってください。できる事は全部やるんで」というような事を伝えた。すると母親は「紙おむつが全然買えなくて……」という事をわたしに伝えた。当時の自分は母親の切迫感を我が事としてとらえる事は出来なかったけれど、言われたからには役に立とうと思って自転車で近隣スーパーや薬局、コンビニなどをぐるぐると回って、しかしカラの商品棚を確認するだけ、というむなしい作業をした。今おなじ事を言われたら、メーカーはともかく性別とサイズくらいは聞くだろう。昨夜、風呂場で作業をしていると、寝たはずの子供が訪ねて来た。「寝られへんの?」と聞くとそうだと答え、今日は映像研の最新話(0時45分)だから、放送時間になったら叩いて起こしてほしい、もし叩いても起きなかったら蹴ってもいいから起こしてほしい、とたのまれた。朝の早い時間、いつもは窓が閉まっていても通学する小学生たちの声が聞こえてくるのだが、今日は何も聞こえない。外に出て、わかっていた事とはいえ、町から子供が消えた……と思って、月曜日の誰もいない通りに黄金色の朝日がさしている。