はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

映画『ラーメンより大切なもの』

東池袋にあった大勝軒の創業者山岸一雄のドキュメンタリー。この映画が始まるのが2001年で、映画に流れる10年の時間というのは、私が東池袋(大勝軒のすぐそば)でアパート暮らししていた頃と完全にかぶっていて、写る風景すべてにぐっときてしまい、まともな感じで見られなかった。めちゃくちゃおもしろかった。

一年365日、毎日のように店の前を通りながら大勝軒のラーメンを食べたのはたぶん二回くらい。私は大勝軒の行列に並んだという記憶がない。記憶違いかもしれないけれど、たぶん行列に並んでいない。それで、見ていてハッと気づいたんだけど、途中山岸さんが持病で倒れて10ヶ月くらい店を休んだ時があって、その期間行列が途絶えたらしい。私が店に入ったのはその時なのかな、と思って。あれ、なんで簡単に入れるの?みたいな感じで入ったのかもしれない。

今の自分が同じ場所にいたら、こういうのは並んででも食べたいけれど、住んでいた当時は今とは違った感じでひねくれていて、あの行列がいやだった。そして店の雰囲気も。何度か日記等に書いたかもしれないが、二十代三十代の自分は夜中から朝方にかけて町を徘徊していた。まだ薄暗いうちから大勝軒のあかりがついていて。若い弟子たちが修行してるんだ。私は目的もなく酒を飲んでふらふらしている。こんな店、通ってたまるかよくらいに思っていて。もったいなかったなほんと。

最後に山岸さんを見かけたのは再開発で店が閉まって、しばらくしてからすぐ近くに新しく東池袋大勝軒が出来たんだけど、その時に店の前に椅子を出していて山岸さんが座っており、食べ終わった客に「どうもありがとう」みたいに声をかけていたのだ。

いい映像だった。冒頭は2001年で、まだ大勝軒の向かいのエリアも再開発されてない。その辺の町が一瞬写る。私が最初に通った銭湯がこの一帯にあったんだ。アメリカのテロ事件があって、湯上がりの番台に置かれたテレビで「なにがあったんやろうか?」と映像をぼんやり見ていた頃。よくこの頃の東池袋の映像を残してくださいました……ありがとうございます……となんだか勝手に感謝したくなったよ。

監督インタビューで触れられている「開かずの間」の事。

ラーメンより大切なもの:印南貴史監督に聞く「七色の味がするラーメンは山岸さん自身が七色だから」 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

内容に触れてしまうとあれなんであれしとくけど、大勝軒も再開発で取り壊される事になって、最後にこの部屋が。

でも、おもしろかったのは、私なんてこういう映像とか出来事とか見ると、なんでもかんでも壊しやがってこの野郎、的な頭に凝り固まってしまってもう、あれなんだけど、当の山岸一雄自体は店の跡地に出来る52階建てのビルに対して「52って聞いた瞬間に(奥様が亡くなった年と同じなので)もう、女房の生まれ変わりだなと思って!」と笑っていたところ。「いい眺めでしょ」とか言いながらそこに住んでるし。そのマンション資金は弟子たちが出したんだけど、そこで大きな役割を果たすのは、最初に出てきた時はなんとなく軽い印象だった、とある弟子で。