はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

ふいに涙出てきそうな濃密さ

日記に「風邪をひいている」みたいな事を書いておくと、だいたい何日くらい病気な感じでいつくらいに治ったのか、みたいな事がわかって便利だ。他人には何の面白みもないだろうが自分のことなので自分がおもしろい。ということだ。

おきて、少しだけの咳、あと鼻水少々、みたいな感じだったけど、あ、治りかけているな……みたいな感じがあった。良い事である。

キクザキさんに教えてもらった新長田のベトナム料理屋へ。

 駒ケ林の駅改札を抜けて、階段を登ろうとしていたら、おじいさんがエレベーター前でボタンを押して我々を手招きしている。階段じゃなくてこっちを使え、という事らしい。「若い人らはみんな階段使うけどなあ。ははは」とのこと。

先日、西代のあたりを歩いていた時、駐車場でしゃがんでリュックの中身を整理していた。そしたらうしろから「兄ちゃん大丈夫か、そんなとこにしゃがんで」とおばあさんから声をかけられた。「大丈夫やで。カバンの中片付けてるだけやから」「そうかいな。しんどいんかと思た」みたいなやりとりがあって、なんというか、長田のあたりのある年齢層の人たちって、独特の距離感があるんだわ。

あまり使いたくない言葉を使うと、それは「下町」の距離感で。

私は「下町」に幻想を見ていない。見ていない、とはっきり書いておきたい。そこには良い所と悪いところがあるんだ。まず悪いところを書くけど、どぎつく「差別」するところ。次に良いところを書くと、やっぱ距離が近いがゆえの、ふいに涙出てきそうな濃密さ、てのがある。この両義性みたいなのって、「下町っていいですねえ=人情」みたいな紋切り型とは全然違って、なんというか、そういう風にしか在る事が出来ないもの、というか、言葉にするのは難しい。

だから私は「下町」の魅力を語ってくれ、書いてくれ、みたいなやつは全部断るし、それでも語ってくれ、ともし万が一言われたら「この人ら、めちゃめちゃえぐい差別しまっせ」「しょせん人情なんてのは差別心と表裏一体で」みたいな事を言うだろう。そして差別される側だって差別する。差別される側に差別される側だって差別する。私は、人間なんてそんなもん、みたいな事を言いたいわけじゃないんだ。じゃあ何が言いたいのかっていうと、何かを言うのはものすごく難しいって事を言いたいのかもしれない。良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうのって普遍的なものじゃなくて毎日毎日「ま、えっか」とどっかでポイントを設定している。それは「ゆらぎ」なんだ。気分とも言う。

書くってのは形を作ることだから、本質的に、ゆらぎを描けないというか。