完全にひどい感じになっている。昨日でなんとかイケるかと思ったが、今朝起きたら声は出ないは関節と頭は痛いわでアカン。起き上がる気力なく枕元でスマホを操作し漱石「それから」を読む。巨大な俎下駄、ゴムマリを投げつけたように部屋中に響く八重椿の落下、心臓に手を当て流れる血の音を確かめずにはいられない主人公。冒頭から異様で、しびれる描写が続く。『彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆ど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。』ここを読んでいて、全然関係ないのだが、おととい同じように枕元で読んでいた中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」を思い出す。『あれから十八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするような「おっさん」になった。そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、みっともないことの連続で、それに比べて十八で死んでしまった彼のイメージは、いつまでも十八のすがすがしい少年のままである。自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。』こじつけで書いてるから意味もないし、つっこまないでほしいんだけど、この並べた二つ、漱石は生きていることを「奇蹟」と書いて中島らもは「軌跡」と書いた。あと30分ほどで、米が炊ける。
