ツイッターを見ていると、差別的な言動で名を売った人間が相変わらず、というかいつも以上にひどい差別つぶやきを展開している。なぜその事を知るかというと、多くの人がそのつぶやきを引用した上で怒っているからだ。今の時代の認めたくはないが圧倒的な現実として、彼ら彼女らに対し私たちがリンクを貼って言及して怒れば怒るほど、結果的には彼ら彼女らの名を売ってしまう。どれだけ彼ら彼女らが人を傷つけていようと、それに対して怒りを表明するために名前を出したぶんだけ、私たちは彼ら彼女らのプロモーションに加担してしまい、支持者を増やすお手伝いをしているようなものだ。
という問題は、彼ら彼女らに言及し、あきらめずに怒りを表明している人たちのひとりひとりが、一度や二度ならず突きつけられる問題で、怒りを表明している人たちひとりひとりは、彼らなりの覚悟でもって、言及するという選択をしたわけだ。その態度決定、それでも彼ら彼女らの名を挙げて怒るのだという姿勢をなかなか自分は示せない。過去には示した。けどこの問題はずっと揺れている。結果、あきらかに弱い立場にいる人間に向けて為されている差別・憎悪・侮蔑の暴力を見ていながらも、私の態度は第三者から見ればただの「無言」であって、そういう難しい事、こわい事わかりませんので興味ないです、と言っているのと同じだ。なんのかんのと弁じておきながら何をしているのかと言えば何もしていない。違うか。粛々とツイッター社に通報している。そんでも、肝心のツイッタージャパン自体が……という。
なんというか、どんな態度を選んでもロクな着地点しかない中で、言葉を発信しないといけないという、まあほんと、ソフトな地獄が毎日更新されていくという感じ。この感覚が新鮮といえば新鮮。悲惨といえば悲惨。