一国の総理大臣と大阪の市長がそろって正月はゆっくりこの本を読むとSNSにアップしたのが、普段から積極的にSNSを使い憎悪煽動発言を繰り返す「作家」の書いた、いや、「書いた」という言葉すら使っていいものかどうか怪しい「歴史本」であるという現実の耐え難さ。彼らの幼児性それ自体は仕方がないにしても(幼稚な人間はどこの世界にだっているものだ)、その幼児性を多くの人たちがなんとなく支持している事が耐え難い。こういう状況においても「俺は違うで。俺はあいつらアホやって知ってるもん」とか言いたいところだし、実際そのように思っているのだけれど、それは何十年も未来を生きる若い人たちには通じない。「お前も同じ時代をなんとなく生きた一人やん。いっしょやん」と十把一絡げに言われたら、反論する言葉がない。「自分の立場でやれる事はやった」「デモに行くとか」「SNSで文句垂れるとか」と書いていてむなしくなる。幼児に国や自治体の舵取りをまかせたツケを深刻な形で払うのは今は言葉もわからないような、まだ生まれてもいないような後の世代なのだから。かつて私は十代の時に、その当時は戦争を体験した世代(兵士として、民間人として)が今よりもたくさん生々しくいて、彼ら彼女らに対し、今となっては恥ずかしく申しわけないとしか思わないのだが、「結局あなたたちは抵抗すらせずに時代の波に飲まれてただけやろ?」みたいな事を直接、口にしたりしていたのだ。十代の自分が年配者に対して投げつけたような言葉を、将来若い世代からくらってしまったら、どのような態度を取れるだろうか。俺知らんし、とは言えない。俺もその時代を支えてしまった一人、なんてものわかりの良い事も言えない。「この土人が」と発言した機動隊員に対して「ごうろうさん」と言える人たちが跋扈する子供の国を支えた覚えは一切ない。けれど。