はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

料理に対する「こだわり」について

自分の予想では今日の夕方くらいに風邪が治っている予定だったが、朝起きても体調がパッとしない。変わらずだるいな…と思っていたがだんだん良くなった。おそらく明日には治っているだろう。朝はやきめし、夜は丸富の焼き豚を入れた醤油ラーメン。丸富の焼き豚には菊水の札幌醤油ラーメンが合う(https://mart.rakuten.co.jp/item/4901468260714)。赤ちゃんのいる家でおいしくラーメンを食べるコツは「いっしょに食べるのをやめる」これだけだ。僕は先に布美枝に作ってゆっくり食べさせ、その後自分がゆっくり食べる。泣き声を聞きながら食べるラーメンや、体をよじ登られながら(それを防ぎつつ)食べるラーメンというのはなかなか大変で…。寝てる間に食べようと思って作り、さあいただきます、と箸を器に入れた途端に泣き出される、という経験も数千回。「1人1人、別々に食べる」これしかないと行き当たった。そもそもラーメンはスピードが大事だから、2人分作るより1人分の方がより正確においしさのピークで食える。おいしく作るには、ケトルがあると便利。あと麺の茹で時間をキッチンタイマーで計る事。ケトル一杯に湯をわかし、最初の湯を丼に注ぎこみ丼(と添付スープ)を熱々にする。ケトルをもう一度満タンにしスイッチ入れる。その間にコンロの鍋で麺を茹で、フライパン弱火でチャーシューを裏表きちんと加熱する。茹で完了時間1分前に丼の湯を捨て、添付スープの口をハサミで(重要)切る。そしてケトルの湯を分量通りに注ぐ。湯はあらかじめ、丼のどの位置まで注げば分量通りなのかを把握しておき、目分量で正確に注げるようにしておこう。つまり、要は、麺もスープも具も丼も、すべて熱々の状態で調理すると良いという話。もちろん、ラーメンというのはどんな作り方をしてもおいしい。ピークポイントにこだわるなら、という話。一番大事なのは、仮にここまでこだわるなら「他人に作らせては駄目」という点で、相手のぶんも含めて(食べた後の洗い物まで含めて)すべて自分がやる。こだわりというのは相手に求めるものではなく、自分自身に対する課題なのであり、そこで得た知見を相手に捧げる行為なのだ。だから僕が一番嫌いなのは、料理や味に「こだわり」があるので相手の作ってくれた食べ物に生意気な寸評や文句を垂れる輩である。それはニセの「こだわり」であって、正確に言うと「こだわり」ではなくただの我儘なのだ。矛盾するような表現になるが、「料理」のテクニカルな部分のみ抽出して考えるならば、おいしさのピークポイントというのは確かに存在し、その1点を目指すための様々な手順、コツ、食材、経験、苦労…というものがある。だがしかし、ここ一番大事なんだけど、それらの手順やコツ云々すべてすっとばして、なんか(こだわりのある当人から見れば)適当に作ったような麺の伸びきった汁のぬるいラーメンであっても、自分以外の「誰か」が他ならぬ「自分」に対して作ってくれた料理というのは、いつだって最高においしいものなのだ。この矛盾がわかるかどうかが、大人と子供の境目である。