ツイッターのプロフィールに「写真を撮ったり文章を書いたりしています」と書いているのだが、文章というのは1日にせめて1行でも書いておかないと、(書くにあたっての)基本的な体力が衰えて行ってしまう。しかし、「1日にせめて1行でも」というような教訓めいた事を頭の中で考えてしまった時点でもう、致命的なレベルで体力は衰えてしまっているのだ。1日にせめて1行でも書いておかなければならないのは事実だろうが、それを良い言葉として消費してしまった時点ですでに手遅れ、というのもまた事実。
一日の捜査を、少なくともひとつはメモを取らずに終えてはならない、と彼は強調した。たとえその内容がまったく重要性のないものだと思えようとも。ほとんどの場合、確かに重要性のないものだったことが捜査の続きで判明する。だが重要なのはその点ではない。重要なのは常に活動的であること、最低限の知的活動を保つことである。(ミシェル・ウェルベック「地図と領土」ちくま文庫p297)
森山大道は写真に対して「量は質を凌駕する」と言っているし、高木ブーは毎日5分でいいからウクレレにさわれと言っている。結局偉大な先人はジャンルに関係なく同じ境地に達するのだろう。どう歩くかという戦略は大事だが、まずは足を動かし続けない事にはどこにも辿り着けない。くっそ、これって退屈な人生訓だよなあ。良い事言うようになったら終わりだよ。継続は年寄りのオナニーじゃねえか???『重要なのは常に活動的であること、最低限の知的活動を保つこと』このフレーズが今日は響いた。あともしかしたら僕は、牡蠣が体質的に合わないのかもしれない。これショックなんだ。380円(税抜き)もしたのに。