
新宿のニコンサロンへ。気になっていた安世鴻写真展を見に行った。入り口で荷物のチェックと金属探知機。まるで飛行機にでも乗るみたいだ。写真展自体はそこまで「過激」な政治的主張がされているわけではなく、あくまでもハルモニ達の写真がただハルモニ達の写真として展示されているだけだ。15年前だったら、良くも悪くもここまで話題になる事なく普通に開催できただろうと思う。それがいまや、この程度の政治色(←あえて「この程度の」という言い方をしたけど、これは悪い意味で使っている表現ではないです。誤解しないで下さい。念の為)でやれ展示会中止だ、やれ街宣車だ、やれ金属探知機だの大騒ぎ。あらゆる意味で不幸だと思う。どれだけ「歴史観」の違いがあったとしても作者に表現の自由、そして写真を展示する自由があるのは当たり前の話で、僕がもし右翼活動家であったとしても、そのレベル(展示会中止を求めたり、ニコンに圧力をかけたり、作者側へ嫌がらせをしたり)でのアクションなんて恥ずかしくて起こせない。作者に直接話を聞きに行く事はするかもしれない。でもそれは嫌がらせではなく単なる対話だ。一言でいえば、この十年から十五年くらいで随分息苦しくなった、自分のまわりの空気を実感できる展覧会場だった。みんないったい何を恐れているのだろう。会場には作者の今回写真展以外の作品集も置いてある。それを見ていると、今回のような極めて限定された形での話題になりかたではなく、もっと全体的なとらえかたをされて欲しい作家だと感じた。

書くか書かないか迷ったけど、書こう。一枚、東アジアの地図に手を置きそれを眺めるおばあさんの大きな写真があるんだけど、僕はこの写真が今回一番すばらしい物だと思った。でも僕がいる間ずっとスタッフの人がこの写真の前の鑑賞位置で立ち話をしていて(どのような妨害行為を受け、どのように対処したか、とかそういう話)、はっきり言ってしまえば、邪魔だった。ずっと考えていたのだけど、この「邪魔だな…」と思った気持ちは、あらゆる意味で今回の安世鴻写真展というものを象徴していると思う。抗議や嫌がらせ、写真展を見もせずに騒いでいるような人間は、写真そのものになど興味もないだろう。そして見にくる人間も写真そのものではなくこの騒動や「歴史」について話す(それは僕も含めてだ)。一枚一枚の大切な写真たちが、人々がかわす言葉の後ろにかくれ、どこか置いてけぼりにされているような、そんな印象を持った。写真はもっと、写真そのものとして語られて欲しいし、(自戒を込めて)語るべきだと思った。ここを見ているコリアンたちに言いたいです。みんながそうであるように、日本人もまた、全員が全員、一人の作家の表現活動を躍起になって妨害して回るような、ケツの穴の小さい人間ではない。ほとんどのあなた達も、ほとんどの僕らも、対話の出来る大人なのに、最近は声だけでかい少数の人たちが幅をきかす空気が出来ているから、なかなか落ちついた話も出来やしない。でもま、あきらめずに、コツコツやっていきましょう。いっしょに酒をのもう。

ついでのような形になって申しわけないけれど、会場すぐ隣でやっている奥山和朗写真展「Shibuya(私が生まれ育った街)」も面白いのでおすすめ。二つ同時に見て帰ってほしい(いや、帰る前に5分ほど歩いてペンタックスフォーラムまで行き小林幹幸「 スクールガールジャパン 」展をぜひ見て欲しい)。ビールのつまみという事で、最近よく漬け物を作っている。これは前回作った物でキュウリとナスだけ。昨日作ったやつはもっと豪華。ビールがうまい。

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http://www.pentax.jp/forum/2012/06/20120627.html