
何事にも冷めた性質なので、デモという行為に対しても、そうとう遠くから、紗のかかった風景を眺めるような視線を持っていて、熱中する事が出来ない。去年の3月以来自分たちを取り巻く状況というのはあまりにもややこしく、何かの側に立てば別の何かを傷つけてしまったり、本来その何かと何かというのは傷つけ合ったりする性質のものではないはずなのに、それでも歯車は複雑にがんじがらめにからまってしまって、右を向こうが左を向こうが気持ちの良い正解は見当たらず、もういっそ、ただ笑ったまま、何もしゃべらずに黙っていたいな、とも考える。
東北地方で暮らす知り合いに会った時に「僕は東京で、脱原発のデモに参加してる」って、胸を張って言えないんだよ。どころか、隠してしまう。「隠してしまう」のは結局のところ、僕の臆病な、腹の据わらない性根の問題なんだけど。そんな中途半端な姿勢というのは知り合いにも、真剣に東京でたたかっている人達にもどっちにも失礼だよなって思う。
怒りが自分を動かさない。
ただかなしく、そしてむなしく日々は過ぎ去る。
僕はデモに行かない人間が嫌いだし、デモに行ってる人間も嫌いなんだ。
そんな着地点の見いだせない問答をいつまでも延々繰り返していて、しかしそんな自分が今も(毎週は行けないけど)首相官邸前の抗議行動に出向くのは、どんなに自分の中でごちゃごちゃ思っていても(デモでは世の中変わらないだろうとかさ)、最終的に「だから行かない」のか「それでも行く」のかという選択で、迷わず後者を取る事だけは決めているからで、文句言ってても、僕は行動したいんだ。
自分の体や心を畳から引っぺがす。
ここから動かないっていう選択肢は、僕の中にはない。
(それはあくまでも僕個人の選択であって、僕以外の人間の選択がどういうものであろうと、彼や彼女は僕の隣人であり友人であり恋人のままなのだ)
デモの雰囲気こわいんだけど。
それでもコソコソ参加してます。
誰を誘うでもなく何を言うでもなく(現場で声も出さずに、下向いてるだけだから)。
それが東京で暮らす僕の、僕固有の身近な現実なのだから、迷いながらでもしっかりと、つかんで行くしかない。
毎日毎日の、迷いの積み重ね。
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20120310/p1
去年以来の自分をとりまく状況、それに対する思考や行動に対して、自信を持った事がないんだよな。
そう思いながらも、この前の金曜日、(先週用事があって行けなかったから)二週間ぶりに大飯原発再稼働反対集会に参加するために首相官邸前に行ってきたんだけど、その日は国会議事堂前の駅を降りた瞬間からいつもと雰囲気が違っていて、改札を出て3番出口の地上までの階段を上がって、まだ明るさの少し残った空と、地上の風景を見て、ものすごく驚いた。人の数が、うねりが、すごいじゃないか。
一週間行かなかっただけで、風景はこんなにも変わったのか。
空気も張りつめていて、今までとは人間の「圧」が違うと感じた。
正直言って、僕はまず、その場にいて「おもしろい」と思ったんだ。
「おもしろい」
これはおもしろいぞ…これはおもしろいぞ…と気持ちが高揚して、列の最初から最後尾までずーっと歩いてみて、いや不謹慎で申し訳ないんだけど「すごい、すごい、すごい、これはおもしろい!」と興奮したよ。日本の、東京が、僕の立つ足場から視界360度の世界が、ついにこんな風景になったのか!と思った。
こういう光景の中に身を置けるとは思っていなかったから。
それくらい、熱い空気があったな。
僕は今、東京にいる。だからもやもやした気持ちとかをとりあえず置いておいて、あの渦の中に身を置くよ。
きみがもし迷っている人だったら、くだくだと書くより、こう言ってみたい。
「金曜日。地下鉄の国会議事堂前で降りて、3番出口の階段のぼってみ。絶対におもしろいから」
https://twitter.com/heimin/status/114171273986314240
晩ご飯はカレー。