今日、十五年前の自分がうつっている映像を見た。
僕ら三人は古いビルの二階にある練習スタジオに入って痛々しい音楽を奏でている。
テレビの前でビールを飲みながらその映像を見ているのは十五年後に揃ったその時と同じ三人で、
一人は三人の子供のパパに、もう一人は今も変わらず歌い続け、僕はどこにも落ちつかずふらふらと写真を撮っている。

年をとる事は、つまり生きる事は残酷だけれど、それなりに楽しい事だとも思った。
得た物は腹回りの脂肪で失った物は髪の毛、変わらないのは金のなさ。こう、笑い合って言えるのだから。
今までに失った物と、今までに得た物を全て拾い集めて、計りにかけてみる。
と、そんな事をトイレで考えていると二箇所蚊に刺された。

帰り道、ハンドルを握りながらカーラジオから流れるFM放送を聴いていると、
山を降りる曲りくねった道路がいつの間にか長い一本道になって、眼前にひろがる家々の灯が黄金色に輝いている。
ラジオでは大塚まさじがトム・ウェイツの素晴らしさについて語り、では一曲、と言ってスピーカーからピアノの音が聞こえた時、
対向車のまぶしいヘッドライトに一瞬目をそらすと、フロントガラスには助手席で眠る友人の姿がうつっていた。

三人の十五年をカーラジオから流れるトム・ウェイツの歌声が祝福してくれてるみたいや。
でも僕ら、トム・ウェイツなんてまともに聴いた事なかったからなあ。何言うてんのかわからへんわ。
一人は三人の子供のパパに、一人は今も変わらず歌い続け、一人はふらふらと写真を撮っている。
あのころ好きやった子は元気やろうか。いま好きな子は元気です。アクセル。何もかも、流れる景色みたい。