小学生の頃、学校の帰り道には大きなレンゲ畑があって、そこに入っては蜜を吸ったり首かざりを作ったりしていた。レンゲの蜜は甘くておいしいと言われていたけどそれほど甘いとは感じなかった。でも蜜を吸う作業が好きだった。首かざりを作った時には横に祖母がいたような気がするけれど、これはぼくの記憶違いだろうか。「おばあさん、ここにしゃがんで」記憶の中でぼくは、祖母にレンゲの首かざりと王冠をプレゼントしている。でもその頃祖母は遠くの町に住んでいたから、レンゲ畑には一度も来ていないはずだ。やがて学校を出て、あの頃は毎日当たり前のように存在していたレンゲ畑を目にする機会もほとんどなくなり、普段はその(レンゲ畑というものの)存在すら忘れていたりしたのだけど、それから二十年以上たった三年ほど前の春に、何の用事だったか、むかし僕が通っていた小学校の近くを車で通りがかる事があり、そこにはあの頃と全く同じ状態で、校舎の前、一面に広がる満開のレンゲ畑があって、その景色のあまりの変わらなさに驚いた。

以来、五月近くになると毎年「レンゲ畑」というものを意識しだして、たとえば列車の窓から見えたとき、たとえば旅行雑誌や新聞なんかにのっていた時、自分の目であろうが他人の写真であろうが紙に印刷されたものであろうがレンゲの花をどこかで見つけると、それだけで軽い高揚感を覚えるようになった。ドカ盛りに咲いたレンゲの花たちを見ていると、なんだか心地よい気分になるのだ。「それは、なつかしいから?」「いや、ちがうよ」ぼくは、かつて存在した祖母を含めた風物への郷愁としてよりも、現在進行形の景色として日々の営みの中で、今日もドカドカとそこに大量のレンゲの花たちが咲きみだれているのが何よりもうれしい。そう思った。車から降りて道ばたにしゃがみ、レンゲ畑をじっとながめる。一面に照らされた太陽の光が、畑のふちにしゃがみ込んだぼくのぶんだけ、影を作った。「おばあさん、ここにしゃがんで」記憶の中でぼくは、レンゲの首かざりと王冠を手に持っている。見上げると太陽の光がまぶしく、なつかしい風景に手は届かない。
祖母が暮らした町 - http://d.hatena.ne.jp/heimin/20070724/p1
橋の上/夕景1114 - http://d.hatena.ne.jp/heimin/20091114/p1
レンゲ畑にさようなら - http://d.hatena.ne.jp/heimin/20100506/p1
スライドショー版「レンゲ畑の一か月」
(↓クリックでいきなりスライドショーが始まります。右下のほうにある矢印ボタンを押すとフルスクリーン表示になります)
http://www.flickr.com/photos/heimin/sets/72157623886068205/show/






