今日は午前中雨が降っていて強風。一日こんな感じかと思いきや、昼過ぎに空を見上げるとその強風が雨雲を吹き飛ばしているのが見えて、一瞬太陽が街を照らした。こりゃ、虹出るやろか…?と思ってずっと立ち止まっていたのだけれど、そこまで晴れることはなく、でも雨雲がすごい勢いで立ち去っていく様子は、じっと見ていても飽きない。以下二枚、この時間帯モノクロで撮っていたんでチト見にくいんですけど、吹き飛ばされる雨雲と、今日初めて顔をのぞかせた太陽。
これは三時半頃かなー。スッキリ晴れるかと思いきや、どんより重たい雲が残っていた。空が雲に塗り固められている感じ。それでも…
少しづつ、少しづつ夕焼けのかけらのようなものが雲間から顔をのぞかせる。それにしても、ぶっとい筆で塗りたくったような、空一面をおおう雲。
何ヶ月か前なら煙草を吸いながら夕焼けを待っていたところなんだけど、今は吸えないのでみかんを食べながら待った。わずかに、そして少しづつ開いて行く雲の間から、夕日が最初は遠慮がちに、そのうちにエイヤッと、街に橙色の光を差し入れる。
早朝と夕方の、ほんの数分間だけ訪れる、街が一日で最も色濃くなる時間帯。子供の頃は、せっかく遊んでいても、一日がこの時間帯を境にして終わってしまうような気がしてもの悲しく、あまり好きではなかったけれど、おっさんになった今は一日に二度訪れるこの濃い空気が、この世界が、ぼくの一番好きな場所になった。それは昼と夜の間。此岸と彼岸の間。ここは二つの時間の間に架かった、わずか数分間で消滅してしまう橋の上なのだ。
夕焼けが始まった。手に残ったみかんを一気に口の中に放り込み、もぐもぐ言わせながらシャッターを切る。。
夕焼けを見るとつい長々と立ち止まってしまうのは、死んだ祖母の影響かもしれない。祖母は夕焼けを見るのが大好きで、子供の頃は、ぼくが何をしていても晴れた日の夕方になると手を引っ張って「ほら、見てみ」とベランダへと連れ出した。そこにはいつもの退屈な夕焼けがあった。毎回毎回「きれいやなあ…」と同じ事を言っている腰の曲がった祖母の横で、ぼくは「そうやなあ」と気のない返事をし、何か他の、たとえばファミコンの事やプロ野球の事なんかを考えていた気がする。
それから二十年以上の時間がたって、祖母は死に、ぼくは高橋名人や毛利名人、松井秀喜やイチローになるわけではなく、あの頃の彼女と同じように、夢中になって夕焼けを眺めている。橋の上に立って。アンパンや、みかんを食べながら。
「ほら、見てみ」











