はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

とりとめのない日記

きのうからドストエフスキーの「白痴」を読み始めたんだけど、前回ドストエフスキーを読んだのはたぶん十年以上前。その頃はインターネットもなかったし(自分の周りには、という意味)、当然ブログやツイッターなんて物もなかったし、携帯電話すらなかった。よくよく考えれば携帯電話がなかったというのはすごい事のような気がするけれど、それが今からたった十数年前の話である、というのはさらにすごいというか、まったくこの長いのか短いのかよくわからない十数年という間に色々なものが変わったのだなあ、と思う。


夏に青春18切符をもらったので、どこか遠くに行こうと考えたもののとりたてて行きたい所も思いつかず、じゃあ…、というわけで、十代の頃にたずねて以来の中上健次の墓を目指すことにした。海岸線を走る電車を途中下車し見渡す限り岩だらけの枯木灘海岸をぶらぶらと歩きながら、ぼくは携帯電話を使って動画を撮っていた。前回ここに来た時は、携帯電話ではなくカセットウォークマンを持っていたので、それが些細な事とはいえこの十数年の変化というものなのだ、なんて漠然と思ったりした。1995と2009。


その時は枯木灘海岸ではなく串本の港だった。岸壁を歩きながら、漁から帰った船や日に照らされた波の光をぼんやり眺め、小沢健二の「天使たちのシーン」をカセットウォークマンで聴いていた。耳には三つピアスの穴があいていた。他にも何本かカセットを持っていったはずなんだけど、何を持っていったのかは忘れてしまった。でも何故か串本漁港で聴いた小沢健二(妙な組み合わせだケド…)の事はハッキリと覚えている。神さまを信じる強さをぼくに。当時小沢健二にそこまで思い入れがあったわけでもないのに、強く覚えている。他、カバンの中には中上健次の「千年の愉楽」が入っていた。


今回和歌山へ行った時には色々と動画を撮影したんだけど、ぼくが悪いのかパソコンが悪いのか、youtubeにうまくアップ出来ない。その中からかろうじて一つだけ、flickrを使ってアップすることが出来た。中上健次「岬」のワンシーンをただ朗読しただけの、自分で言うのもなんなんだけどいささか退屈な映像だ。ピアスの穴は、もうとっくにふさがっている。