先日おっさん二人で酒飲んでいたときに「この前さるさる日記で書いてた頃の平民新聞見たんだけど、今とたいして変わってなくて驚いた…」と言われたので、なんかうれしいような、フクザツなような、でも全体的にはやはりうれしいような、そんな気分になった。彼は「せっかくのインターネットなんだから、ぼくはふつーの人の、生活の、息づかいが感じられるような日記が読みたいんだよ…」と繰り返し言っていて、その言葉がぼくには、あくまでもぼくなりの理解の仕方なんだけど、すごくわかる気がした。今日はチキンカツを一枚買って、夜ごはんに食べようと思って炊飯ジャーの横に置いておいたんだけど、コインランドリーで洗濯してる間にネズミにかじられて、部屋に帰ったときにはせっかく買ったチキンカツの何分の一かがなくなっていた。食べかすの散らかった部屋を見ているとなんだかやる気がなくなってしまって、残ったチキンカツを全部捨て、かわりにアスパラを買った。ぼくはいつまでもただの日記を書いていたいという思いがなんつーか、あって、こんなもの読んで誰が得するんだ、何の役にも立たない、でもなんか、おれは残しておきたいんだよなあ、というような。誰かに何かを伝えたい、というような思いは、すごくおこがましいことだ。でも自分はそのおこがましさというものを捨てきってはいない。でもなんか、その伝えたいという気持ちというか、自分が誰かに伝えたい具体的なものっていうのは、年々わりと変化している。さっきまで降っていた雨があがって東の空にでっかい虹が出たんだきれいだよ、とか、共同便所に入ってパンツをおろすときに窓から向かいのマンションのベランダを見たらカニシャボテンが真っ赤な花を咲かせていてね、とか、西陽がさしてるブランコに乗ってしばらくこいでたんだけどすぐに飽きてしまってそのまま買い物に行ったんだけどスーパーまで歩く間に手の平についた錆のにおいを嗅いでたらすごくなつかしい気分になって、あのブランコの錆のにおいのなつかしさってなんなんだろうなあ!って思いながらズボンで手の平をぬぐったんだよ、とか、そんなことを最近は伝えたい。それは伝えたいというよりは話しかけたいに近い。だらだらと。どっかしら、じりじりと。なんてことを、今日はアスパラが焼けるのを待っているあいだにぼーっと考えていたら、見事黒コゲになったっす。でもおいしかった。とか、そんな日記。
