若麒麟が部屋に残したノートを全文見てみたい。このような思いにここ数日とらわれている。「パクられたらリスクはデカイか」これは彼の残した自由律俳句であるが、例えば私なら「パクられたらリスクはデカイか…」と書きそうに思うのだが若麒麟は「パクられたらリスクはデカイか」と書ききる。これは私が散文的人間であり若麒麟が俳人である事の証左である。リーダーで間をもたせ余韻を残す(または次に書く文章へ続ける)ことをせずに若麒麟は一切の余韻や説明を排除し「デカイか」としっかりと、力強く言い切っている。これにより、逆に「パクられたらリスクはデカイか」という自由律句はさらに奥行を増し我々に幾通りもの読みを与えてくれる。さて、ここから句の読解に入るのだが、皆が皆、この自由律俳句と今回の大麻事件を結びつけて考えているようであるが、私の読みはそうではない。耳あらば聞け。ここから真実を示す。「パクられる」というのは口淫、すなわちフェラチオ行為をさす。「パクられる」のは若麒麟25歳、では「パクる」すなわち若麒麟25歳の陰茎を口内で弄ぶのは誰か、といえば、尾車親方である。「尾車」なんと隠喩に満ちた名前だろう。尾という突起物、そして車というのはまさに性行為の象徴。尾車とは、尾(突起物=陰茎)を持った犀のようにデカイ車である(仏陀は弟子たちに「犀の角のように一人歩け」と教えたが、「犀の角」とはまさに魔羅の象徴である)。【尾車=陰茎を持った犀(の角=陰茎)のようにデカイ車(=性行為)】 ちなみに自ら「(陰茎を持った)車」と名乗るということはこれは尾車氏自身の性行為における立ち位置表明であると解釈するのが正しく尾車氏はタチネコ分類法でいうところのネコである。親方から「おい若麒麟、俺に乗ってくれよ」と誘惑された若麒麟は立場上の弱みもあり(この辺はジャニーズ事務所と似ている)強くは断れない。そこで逡巡する若麒麟に向けて尾車氏が言ったひとことが「じゃあせめて、おまえの麒麟を(ワシの口で)パク(っとひとくち齧)らせてくれよ」である。「親方、すいません、一晩考えさせてください…」「ウム。じっくり考えるんじゃよ。おまえさんの将来のためにな。ムフフ」そして部屋に帰った若麒麟は右手にペンを持ち、ノートを広げるのだ。(左手にはシナシナになった陰茎を握りしめ…)そして【やはり勃たない……親方相手に俺の性器が勃つわけないじゃないか…ここはやはり断るべきか……しかし親方は不器用な俺がこの世界で生きていけるように何から何までお世話してくれた大恩人なんだぜ……でも若麒麟よ、お前は自分自身に嘘はつけない男だろう……そうだな、お母ちゃん、うん…】とひとしきり思考を巡らしたのち「うむ。勃たないぞ…うむ……」と声にならないつぶやきをもらし、ノートにこう書きつけるのだ。いくら親愛なる親方とはいえ…「パクられたらリスクはデカイか」 今回若麒麟が残した自由律俳句にはこのような意味が込められている。大麻などどうでもいい。八百長、すなわちやおい行為に長けた漢達の物語をこそ我々は残されたノートから読みとるべきである。