日記といえども定期的に書いておかないと書き方を忘れてしまうので、きのうはそれを思い出すのに時間がかかった。というのはうそで、実際のところは何日も何日も同じ日記を書いては消し、書いては消しばかりしていたのだ。というわけで、ぼくはよっぽどのひま人なんだと思う。大阪、というのはぼくがずっと暮らした町だからやっぱり思い入れという言葉いじょうの思い入れがあって、大阪は、ものすごく好きでものすごくキライなまちだ。とはいえそんなぼくの一方通行の気持ちとは一切関係なくそれぞれの土地では、ぼくなんてものが存在しないそれぞれの時間が流れていて、結局のところ、どこへ行ってもどこへ住んでも感じることは同じなのだろうけど、毎日は、それなりにしあわせであり、それなりにさびしいものだ。ただそのなんというか、まちに対して感じるさびしさや重くるしさの質というものが、ぼくの場合やっぱり大阪には特別なものがあって、そのへん、にくいようないとおしいような、よくわからない感情だ。きのうの日記はなんとなく草野心平の詩を頭のかたすみに置きながら書いた。んぁ?どのへんが?と言われると恥ずかしい限りというか答えようがないんだけど、ぼくはわりかしあのおっさんのことが好きで、いちばん好きなのは『ドストエフスキー』という詩だ。これは主人公がみぞれが降る東京の、安酒場で豆をつまみながら酒を飲んでいると、とつぜんドストエフスキーがひょろひょろと入って来、皆には背中をむけて黙ってウイスキーを飲んでいる、という場面を描いた詩で、主人公はドストエフスキーの外套にくっついた雪を見て、自分が酒をのんでいるあいだに、外がみぞれから雪に変わったことを知る。その、ドストエフスキーの外套についた雪のつぶが、だんだんとけて水になっていくところを主人公がじっと見ている場面がとても印象に残っている。タイトル「いい げるせえた」は有名な『ごびらつふの獨白』から。全編カエルの言葉で書かれたこの詩は、最後に草野心平自身によって日本語訳がつけられている。自分でカエルの言葉を考えて誰にも読めない詩を書き、自分でそれをわざわざ日本語訳してるわけで、へんなおっさんである。で、「いい げるせえた」には「ああ、虹が」という訳があてられている。虹、という言葉で思い出すのは、何年か前の雨あがりの日、ぼくは無職だったので近所をブラブラ散歩していると、とてもでっかい虹が見えて、ぼくはそのころ香港に住んでいた友人に「窓あけろ。虹が出てるゾ」と携帯からメールを書いた。するとしばらくして、彼から「ほんとうだ…おまえ今どこにおるん?」と返事がきた。
いい げるせえた
でるけ ぷりむ かににん りんり。
おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
びる さりを とうかんてりを。
いい びりやん げるせえた。
ばらあら ばらあ。*1
*1:草野心平/ごびらつふの獨白