わりと毎日同じような写真しか撮ってません。食い物と猫です。で、全然関係ないんだけど、このまえ携帯電話のメール下書きフォルダを整理していたら、このようなメモがあって、なんだろ?て思ったんだけど、記憶がない。
重機で頭なぐられて
餃子二枚焼いて
死んだ犬の頭を
まだ死んでいないあたしが
二度もなでるってのは
そりゃ、まやかしだ
まやかしだ

何かを考えていて思いついた言葉は、今見るとどれも意味不明なんだけど、ま、その時々、携帯電話を開きメールを新規作成にして文字を入れていたその行為自体は覚えていて、それは今もこれからも、誰に送信される事もなく、眠っていたり、削除されたりする。

言葉が、たしかに届いているのか、などと問うことは、とてもようちなことなのだと思う。お好み焼きに、マヨネーズで絵をかいた。

二匹の猫。一匹は痩せていて、一匹はでっぷりとしていた。言葉は、どのように届いているのだろうか。

あてもなく東京に来て、パソコンもなかったころ、ノートに毎日日記を書いていた。自分以外は誰も見ないその日記の中でも、ぼくは誰かに呼びかけていた。あの日記、どこにいったの?猫の横顔。

お好み焼きに海苔で顔を描き、名前をつけてから食う。自分の変化よりも、町の変化に驚くことが多い。アパートから一歩外に出た、町の風景がどんどん変わっていく。

下駄箱にデリヘルのチラシが入っていたのだが、金がない。金があったら、デリヘル呼んだつもり貯金をして、旅行にでも行きたい。昔、富山のビジネスホテルで深夜、することもなく、金子光晴の詩集を眺めていた。

俺らは野良犬の位置に帰らなければならない、みたいなことを吉岡実が言っていたような気がする。痩せた猫の目。

右手にフライパン、左手にカメラを持ち、室内で撮影。お好み焼きを写真に撮る意味とは?

吸う息でフライパンをかえし、吐く息でシャッターボタンを押します。

猫が来る前に地面に穴を掘り、枯葉に同化する。他人の痛みをえぐったりかなしませたりするのはおそらくものすごく簡単なことだから、ぼくは出来るだけむずかしいことをやりたい。

むずかしいこととは、日々の隙間にここを読んでくれている人が、ぼんやりと微笑んでくれるような、そんな事だ。
そりゃ、まやかしだ
まやかしだ
ぼくにそれが可能だろうか。


