某月某日。図書館でぼやっとしていたらば、大の大人が二人、自分のすぐ目の前でとっくみ合いの喧嘩を始めて、あまりこういうのには関わり合いになりたかないなぁ、とは思いつつも、仕方なしに二人の間に無理矢理からだをわりこませ、まあまあ、と止めに入る。すっかり興奮した年配の男がぼくに拳をふりあげたので、わ、やべ、ワシ殴られんのかな、とかなんとか、少々びびったのだけど、おっちゃん、落ち着いてくれよ、と言って、相手の肩に手をまわした。おっちゃん、落ち着け。怒る気持ちはわかるけど、こんな所で暴れたって、おっちゃん損するだけだから。
某月某日。真魚八重子さんの過去ログ(id:anutpanna:20050621#p2)を見ていたら、深沢七郎「絢爛の椅子」のことが書かれてあったので、おー!と思い、久しぶりに深沢七郎集成を読んでいた。「絢爛の椅子」というのはウン十年前に東京小松川で起こった、有名な連続殺人事件の犯人をモデルとした短編小説で、そいえば小学生の頃、クラスの男子生徒数名の間で(ぼくも含む)、トンボをつかまえてその首をすっ飛ばすという、首チョンパなる遊びが流行った事があって、深沢七郎の「風流夢譚」を読んだ時、ぼくは真っ先にこの首チョンパを思い出したのだった。ただ「風流夢譚」においてスッテンコロリンと飛ばされるのはトンボの首ではなく皇族の首であって、結果「風流夢譚」はある種の呪われた作品となり、実際の殺人事件にまで発展した。スッテンコロコロ、スッテンコロコロ。えらいひとのくびがころがっていくよ。
某月某日。この「絢爛の椅子」においても、やはり深沢七郎の殺人描写というのはとても冴えていて、で、ここで「冴えている」というのは、行為が綿密に描写されている、という事ではなく、否応なく、そこに何らかの意味を与えてしまうところの「描写」なる機能を徹底的に排除した事によって不気味に輝く冴え、という意味で、主人公は人を二人殺すのだが、その二人とも「首を絞めたらキューと音がなり、口から泡をふいた」という、シンプルこの上ない文章で片付けられていて、まるで小学生がトンボの首をはねて喜ぶように、月が出て、綺麗だな、と呟く程度の気楽さでもって、人間が殺されていく。「みちのくの人形たち」をもう一度読んでみたいと思った。にんげんも、うじむしも、しんだりころされたりして、うっふっふ、と、よぞらにほしがかがやいています。
某月某日。中途半端な気持ちで近づかない方がいいよ、と言われたのは、北海道にある某鉄道廃墟で、ここには何十人もの朝鮮人の人柱が埋まっているんだから、と友人に脅され、でもま、あんただったら別にいいか、と彼は車を止め、そこでぼく一人車を降り、山奥の廃線を、煙草吸いながら歩いていたらば、道の途中で寒気に襲われ、来た道を引き返したのだった。友人の車はすでにいなくなっていた。こりゃまたタチの悪いイタズラだな、と思い、ぼくはその場に座り込んで、爪を立て、地面に穴を掘っていた。それは現状、自分の感ずるところの寒気の正体から目を背けたかったが故の単調な行動であるのだが、煙草吸おう、と穴を掘る手を止め、草むらにへたりこんだ自分を、山から降りてきた二匹の蝦夷鹿が、じっとみおろしていた。
続く。


