はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

昆明1995

誰もがみんな、それぞれの人生を歩いて来てるように、ワシもまたあーだこーだと若輩ながら32年間生きてきたわけですが、部屋の大掃除をしていると、今が2008年ですからもうかれこれ13年前、関西の大地震とオウム真理教の事件が同時に起こった1995年に、中国雲南省は昆明あたりでブラブラしてた時の写真が数枚出てきたので、この際だからアップします。すっかり全部捨て去ったと思っていた昔の写真が出てきて驚いたのですが、1995年、平民金子19歳。

昆明1995
上海からずっと電車に乗っていました。どこらへんで撮ってるのかはすっかり忘れましたけど、車窓からの景色です。


昆明1995
昆明(あるいは西双版納…?記憶ナシ)の宿で働いていたお姉さんです。自分の表情を改めて見てみると、なんとなく、若いなーというか、そんな気がします。


昆明1995
よく見ると昆明北、と書いてあるので昆明北駅です。写真を撮った時の記憶はありませんが、中国ではその頃たしか駅の写真を撮ることは禁止されていたような気もします。今はどうなってるんでしょうか。


昆明1995
昆明から電車に乗って石林に行った時の写真だと思うのですが、これまた記憶が曖昧です。19歳の頃は、なんつーのか、わりかし色んな物事に対して自信があったような気がします。で、まあ色んな物事、とかぼかして書いたんですけど、要するに、というかなるべくその辺ぼかさずに恥を忍んで書くならば、その頃のぼくは、自分が歩むであろう人生に対して明確な指標もないままに、確固たる自信だけを持って生きていた、というくらいの意味です。


若かった、とかあほだった、とか今となっては色々なんぼでも言えるし、いくらでも十代の自分を茶化したりすることは出来るのですが、でも久しぶりにこの写真を見ていて感じたのは、あの頃の自分の視線の先にあるもの、そしてわけのわからないその笑顔に対しての「なーおまえさん、なかなかいい表情してるじゃないか」というような思いです。それから二十代以降の自分はもう、すっかり路頭に迷う事になるのですが、そんなあれやこれやを微塵も感じさせない表情をしている。


まーそんなこんなで平民金子、現在32歳、金は無いながらも日々、わりかし元気にやっておるわけですが、ここを読んで下さっている皆さんの1995年、そして十代の頃はどんな感じでしたでしょうか?最後に、昔から大好きだった友部正人の言葉を。

それはなつかしむには足らないもの。気がかりなのは、ありもしないもの。ぼくらは若く、炎だけを見ていられた。でも、それは、もうひとりのぼくらが作り出した打算的な炎。なつかしむには、ぼくらはいつだって若すぎた。

文句のつけようがなく、毎日がドアであり、それはありもしないもの。*1

*1:友部正人「ちんちくりん」