はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

孤独、カタカタ

孤独っていうのは別に、特別な人間に与えられた特別な重たい感情、というわけではなく、その言葉や感覚は本来、とてもさりげないもの、たとえば、街を歩いている時に配られたティッシュペーパーをズボンの後ろポケットに無造作に差し込みそのまま一日行動したあと、部屋に帰り、椅子や畳に座ってみた時にふっと尻に違和感を感じ、手をズボンのポケットにあててみた時の「あ、あん時のティッシュか…」というような、なんでもない感覚、吹けば飛ぶよなある日ある場所での記憶にも似た、自分たちの身近にありすぎて気付かないもの、すぐに忘れてしまうもの、いつの間にか体の奥やらポケットの奥に忍びこんでいて(それは偶然忍びこんだのかもしれないし、自分から忍びこませたのかもしれないけれど)、ふとした時のふとした行動からふと、遠慮がちに顔をのぞかせる、もやもやとした曇り空、時々は日だまりのような、とても身近でやさしい感覚……なのではないかしら……と、いうようなことを、二階堂和美の歌う『レールのその向こう』をききながら、このところ、ずっと考えていた。「このひとりきりのままで/孤独は好き嫌いなく常に」ていうフレーズがとてもいいなあと思って。

二階堂和美のアルバム

二階堂和美のアルバム

雨が降っている休みの日の朝、けだるいな、なんて思いながら枕から顔を上げ、窓の外からきこえてくる雨粒の、ぽつり、ぽつり、ぽつり、という音を、ああ、まったくけだるいね、なんて思いながら、ひとつひとつ耳をすまし、きいている時のために用意された言葉は、ぽつりぽつりとした孤独、なのかもしれないし、とても寒い冬の夜に、駅から部屋までの道を歩きながら、あまりにも耳が冷たくて痛いくらいだったので、両の手をそっと耳にあててみた時の、手の平に感じる冷たさと、両耳に感じるあたたかさ、ていうのは、しんしんとした孤独、とでも名づけてやりたくなる。ぼくが独自に開発したソフトで、インターネットの成分解析をしてみると、インターネットの中身は、80%の寂しさと、10%のやさしさと、3%の悪意と、7%の、もごもごとした黒いかたまりで出来ている。どっからしみ出して来るんだろう、この寂しさってやつは?と、金子光晴が問うたのはもう何十年も前のこと。金子光晴さん、寂しさはインターネットからしみ出しているのです。と、答えてみれば、気管支カタルの金子さん、なんでぇ、そのインターネットてやつは、と眉をひそめる。インターネットっていうのは、晴れでもなければ雨でもない、どっちつかずの曇り空の集合体ですよ、とぼくは答えてみる。その曇り空は、80%の寂しさと、10%のやさしさと、3%の悪意と、7%の、もごもごとした黒いかたまりで、出来ています。なんだいおまえさん、さっきからカタカタとうるせぇな。金子さん、これはキーボードというものです。ぼくはこのキーボードをカタカタ鳴らしながらあなたに話しかけているんですよ。あなたの好きな雨音に似てませんか?似てねぇよ、カタカタカタ。ほら、あなたのそんな笑い声もまた。