はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

春雨物語

前回の約束通り、今回はかなこさんの話を書こうと思う。かなこさんはとても手先が器用な人で、ぼくが彼女の部屋に行くたびに、毎回変わった料理を作ってくれた。当時のぼくは今とは違ってまったく自分で料理を作らなかったので、毎日カップラーメンばかり食べていた。だからカップラーメン以外の食べ物はぼくの中でぜんぶ「変わった料理」としてしか認識されず、固有名を持たなかった。今となってはそれはもったいない事だったと考えている。かなこさんは、編み物も上手だった。初めて会ったときにはおたがいメールアドレスを交換しただけだったけれど、つぎ会ったときには、手編みのマフラーをくれた。たしか4月のことだったと思う。その次会ったときには手編みの手袋をくれた。ぼくは、ありがとう、と言ってかなこさんの前で手袋をはめた。「少し小さい?」「ん?そんなことないと思う」「うれしい?」「うれしい」「じゃあ今日はずっとそれはめててね」「うん。わかった」そしてぼくは手袋をしたままかなこさんと手をつなぎ、家々の軒先に咲いている薔薇の花を眺めていた。ぼくはかなこさんがとてもすてきな人だと思った。かなこさんは本をまったく読まない人だった。ぼくはその頃、本ばかり読んでいた。かなこさんは朝早くから夜遅くまで働いていたけれど、ぼくは無職だった。その頃、ぼくは昭和天皇をライバル視していた。だからかなこさんを朝見送ると、図書館から借りてきた植物図鑑をわきに抱え、近くの川を散歩した。かなこさんはとある温泉街の、とある川の近くに住んでいたのだ。ぼくは一日五個づつ、新しい植物の名前をおぼえていこうと計画していた。そして昭和天皇を超える植物博士になりたい。そんな話やあんな話、当時の自分が考えていた色々な話を、夜10時頃に帰ってきて、晩御飯の仕度をするかなこさんの背中に向かってぼくは話しかけていた。ねえねえ、きいてよ。今日はこんなことを考えたんだ。トンボの羽って四枚あるよね。でもね、トンボには人間には見えない羽があと二枚はえてるのは知ってる?それで羽はぜんぶで六枚になるはずなんだけど、ぼくらに見えてる四枚の羽のうち、その二枚は、そのトンボの、亡くなったご両親の形見だから、要するに死んだ羽だよね。だから結局トンボは六枚の羽を持ってるんだけど、空を飛ぶために実際機能しているのはそのうちの四枚だから、結局、見えない羽のことをぼくらが知ろうが知るまいが、トンボは四枚の羽で飛んでるってことになるわけです。だからなんていうか、トンボが持ってる見えない羽のことは、結果として知る必要がなかったな、と今日ぼくは考えていたんだけど、かなこさんはどう思う?と、話しかけているうちに「できたー」と言って、かなこさんが食卓に料理を並べてくれる。今日は春雨のサラダを作ったよ。●●くん、きのうから春雨の本よんでたから、春雨食べたいのかなって思って。えー、ぼくが読んでた春雨の本はこの春雨とは違うよ。石川淳ていう人が上田秋成ていう人の古典を翻訳した……「料理の話じゃないの?」うーん、料理の話じゃないんだけど……「でも、この春雨おいしいね」「おいしい?」「うん、おいしい」「どれくらい?」「んー、すごくおいしい」「●●くん、料理の本よんでたんだよね?」「うん、読んでた」「だから今日、サラダ作ったんよ」「うん、ぼく料理の本よんでた」「●●くん、私のことちゃんと見てる?」「うん」「もっと見てね」


かなこさんが、ダンボールに入れられた、一匹の猫の死体を持って部屋に帰ってきたのは、その翌日のことだ。


(つづく)