
七月最後の日です。全然関係ないのですが、あと前にも書いたのですが、ミクシやツイッター、その他もろもろに関しては、ぼくは自分が書いたやつをわりかしサクサクと削除していくのですが、このハテナダイアリに関しては、多少もんどりうって恥ずかシーような事を書いてしまっても、一度更新ボタンを押してしまったが最後、いっさい削除しない、という約束事を今のところ自分に課しております。さるさる日記で書いていた頃は、恥ずかしーナと思ったらすぐに日記を消していたのですが、そうすると結果、なんつーか穴だらけになってしまって、読み返してもさびしーなァ、というかモッタイナイなぁ、と思うのです。
http://www3.diary.ne.jp/user/328624/(かなり日記が消えてる)
「その痛さがぼくの言葉です」(友部正人)というほどに立派なモンでもナイですが、イッタイなぁ!恥ずかシーなァ!みたいな日記というのも、何年もたてばわりかしドーデモよくなるような気がします。何年たっても恥ずかし!っテのもありますケド。そおいう意味でさるさる日記に書かれたぼくの日記というのは、当時感じていた痛さ、さみしさが抜け落ちていて、今読んでみるとなんだかモノ足りないような、そんな印象です。三年四年五年たてば、当時の自分なんてアカの他人みたいなモンなのです。昔かいた日記というのは、アカの他人の心象風景です。
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20040729/p1(中島らもが死んだ頃)
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20050717(テレビの感想文)
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20050807/p1(流れ星を見た)
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20060711/p1(夏を涼しくすごす発明)
ちなみに、書いたものをすぐに削除できるっていうのはウェブ日記の特性というか、ぼくが自分の書いたやつは消さないようにしよっと、という風にやっているのは、あくまでもぼく自身が勝手にきめてやってるだけなので、いうなれば、ダイエットしていて晩の八時以降はゴハン食べない、とかその程度のモンです。たまに、ウェブ日記の削除や、アカウント(ぼくでいうところのid:heimin)の削除に関する議論を見かけたりしますが、ぼくが思うに、消せるものを消すのはあたりまえのことながら自由なのであり、他人がとやかく言ったりするものではないような気がします。記事を消したり、名前を消したり。せっかくそれが可能なウェブの世界に生きているのだから、何度でも何度でも生まれ変わっていいんじゃないかと思います。そんで、ぼくが今のところそれをしてないのは単なる趣味の問題であって、それ以上でもそれ以下でもなく、おまえはピーマン食べないけどおれはピーマン食べる、とか、ま、そんな程度のあれなような気がするわけです。そんなわけで、ぼくはここにいてますので、いつでも会いにきてください。何を書いてんだか。たぶん暑くて頭が腐りはじめてきた証拠です。モフモフモフ。