一年のうち十一ヶ月くらいは金がないので酒を飲むのはたいてい部屋の中と決まっているのだけれど、ごくたまに遊ぶ金を持っている時があって、そういう時はフラフラと町を歩き知ってる飲み屋、知らない飲み屋のノレンをくぐる。開店して間もない客足のまばらな時間帯が好きだ。まだ外が明るい時間、ぼくは初めて降り立った駅の、闇市区画がそのまま現代まで残ったのであろう、細い路地裏に迷い込み、一軒のお好み焼き屋の前で歩を止める。いらっしゃい。おばちゃんビールちょうだい。中瓶でいいかしら?何か焼こうか?
戦争中、うちは田舎だったから空襲の被害はなかったけれど、遠くの空にB29(あなた、知らないでしょう?)がそりゃもう、たくさん飛んでいてね。私らは毎日竹ヤリ持って訓練ですよ。戦争が終わってからこの町に出てきて、ほら、今の、野球場のあるあたり、あの辺昔は工場だったのね。おばちゃんそこで働いて、結婚して、子供産んでね。さあこれからって時に主人が死んで、そりゃあおばちゃんどうしたらいいかわからなくって。子供抱えて働きにも出れないし、でも生活していかなくちゃいけないし。
それで思い切ってね、ここでお店やることにしたの。お店だったら子供見ながらでも出来ると思って。経験?そんなのは全くなし。一から勉強ですよ。あなたに言ってもわからないだろうけど、そりゃ最初は散々だったし、苦労しましたよ。四十年以上やって、ようやく今の味になったんです。たまにね、子供の頃おばちゃんによく怒られたって言って、昔この辺に住んでたっていう人が来てくれたりするのよ。おばちゃん、昔はこわかったんだから。子供も独立したし、今はおばちゃん一人だけ。のんびりやってますよ。こんなおばあちゃんの写真撮ってどうするの?恥ずかしいわ。え?いくつに見える?大正生まれの八十二歳。何か焼こうか?

