出会った頃ぼくが18歳だったから、かれこれ10年以上の付き合いになる友人がいて、仮名を浜田君とする。ぼくと会った時大学生だった彼は卒業後外国で働く事になり、ぼくはフラフラとしたまま住んでいた関西を離れ、北海道から沖縄まであちこち転々としていたので、会う事も少なくなったのだが、ぼくが東京に落ち着いたこの3〜4年は、浜田君は一年に一度、帰国するごとに連絡をくれるので、そのたびに二人で会っては酒を飲み、昔話ばかりしている。
ぼくはしょうもない物でもすぐ写真に撮る癖があるので、浜田君が東京に来た時は彼の写真をいっぱい撮る。彼もまたそれをうっとおしがる事もなく、あちらこちら散歩しながら、ぼくが呼び止めるたびに立ち止まりポーズをきめてくれる。揚げ物屋でメンチカツを食べているところを一枚、都電の線路に立ち一枚、部屋に来て一枚、飲み屋で一枚、いつの間にかぼくのパソコンには彼の写真が随分ためこまれる事になった。
去年から、ぼくは彼だけではなく、二人で並んでうつっている写真を撮るようにした。なぜかというと、二人が会ったという事を記憶だけではなく形としても残しておきたいと、強く思うようになったからだ。そういう事は昔では考えられなかったというか、二十歳くらいの頃、ぼくらは会っているのが当たり前というか、ぼくにとって彼や他の友人たちというのはまさに空気のような存在で、友人との関係や恋人との関係なんてものは、何の変化もなくいつまでも続いていくものだと思っていた。
「そんなはずはないよな」と今さらのように気付いたのは、二十代の半ば、北海道で働いていた時だ。早朝、まだ空が明けきらない時間に起床し、ぼくはバナナを食べながらいつものようにトラックに乗り、海沿いの道路をセリ市に間に合うように高速で飛ばしていた。その日は雨が降っていたんだけど、ぼくは目を覚まし頭をスッキリさせるために、窓をあけて顔面に雨を浴びていた。そして目に入った雨粒を左手でぬぐったその時、ふと、「自分の周りには誰もいなくなったな」と、心の底から思った。海を挟んで国後島が間近に見える、そんな小さな町にぼくは住んでいた。
「いなくなったのは彼らではなく、ぼくの方だよな」と思ったのはその後すぐの事だった。慣れないフォークリフトを操作して、魚の詰め込まれた1tタンクをトラックの専用荷台に移し変えながら、なぜぼくは、あれほど大好きだった人たちとの関係を、簡単に壊してしまったのか、そして記憶から消し去ってしまおうとしたのか、そんな事をぼんやり考えていた。そういえば北海道に来る前もそんな事ばかり考えていたのを思い出した。何もやる気が起こらず、死ぬ気にもならなけらば生きる気にもなれない。そんな思考の堂々巡りの中で、ぼくは一日中膝を抱えていたような気がする。
あの頃のぼくはそんな堂々巡りの思考の最終地点には何か気のきいた答えでも見つかるのだろうかと、さらに考えたり悩んだりし、ややこしくどろどろとうずまき状になった脳味噌の中を拷問のようにたゆたっていた。でも、ある日、かなしいことにどうやらぼくが乗った電車には、もうこれ以上先の駅がないのだな、という風に思い至った。終点に辿り着き電車を降りたぼくが見上げたもの、それは青空のようであり、曇り空のようであり、夏の日差しのようであり秋の長雨のようであり、要するにそれは、とてもありきたりで、空虚な風景だった。
空虚という言葉に関しては、ぼくは別にマイナスのイメージを持っていない。かといってプラスのイメージでもないのだけれど、なんというか、結局のところ、「ああ、おれには何もないんだなあ」なんていう、考えてみれば当たり前の事を、今さらのように骨の髄まで思い知ったその時、なぜだかぼくの気持ちは随分と楽になり、どうせ何もないんだし、そろそろ立ち上がらないとなあ、なんて前向きな気持ちになれたのを思いだす。それからぼくは本物の電車に乗り、北海道に移り住んだ。
で、まあなんやかんやと色々あって、行き着く果ての東京暮らし。そして浜田君である。一緒にスーパーに行き、野菜とブリのあらを買い部屋で鍋を作って、酒を飲んでいると彼がつぶやいた。「金子君、10年っていう時間はどういうもんなんやろう?」「どういうもんって?」「なんかね、10年ていう時間がたっても結局俺はたいした事できひんかったなあ、て最近思う」「昔は何か出来ると思ってたの?」「きみと出会った頃は確かにそう思ってたね」「確かにぼくも色んなことがもう少しうまくいくと思ってたよ」「ていうか金子君は途中で失踪したしね」「なにもかもいやになったんだよ」「若気の至り?」「うん。今よりもずっと繊細だった」「笑い話やな」「でもね、おかげで…」
ぼくはこの10年は色々なことを勉強したよ。本ばっかり読んでてもかしこくならないっていう事もわかったし、一人でさびしい時のやりすごし方も少しはわかったし、何を言っても書いても所詮はイヤな仕事をして稼がないと食っていけないていうのもわかったし、まわりの人間がだんだん年をとっていくっていうのもわかったし、身近な人間がまるで鳥の羽が抜け落ちるみたいにあっけなく死んでいく事があるのもわかったし、そして自分が自分で思ってるほどたいした人間じゃないっていうのも否応なく理解してしまったし、あとは女に対する振る舞いも多少は器用になった気がするし、何よりも友達とか恋人との関係ていうのは簡単に壊れてしまうくらいにもろいものだっていうのがわかったよ。
そんな風な、どうしようもない会話をしながら、ぼくらは鍋を食べ、酒を飲んだ。そしてそのまま同じ布団で寝て、朝方、駅までの道の途中で、まだ二枚しかないけれど、これからどちらかがくたばるまでいっしょに撮り続けられるといいね、と言いながら、並んで写真を撮った。
十年くらいしたらぼくも変われるかなって思ったんですけど
色々あるな、って歌を聴いて下さい。
(フィッシュマンズ「98.12.28」佐藤伸治のMC)
フィッシュマンズのライブアルバム「98.12.28」を聴きながらこの文章を書いた。その中に収録されている「IN THE FLIGHT」に捧げます。

