詩人西條八十が妻晴子と出会ったのは、今から約九十年ほど前、今日みたいな雨の日だった。慣れないフランス語から翻訳したばかりのボードレールの詩「航海」を鞄に入れ新橋を歩いていた八十は、突然降ってきた大雨に困り果て、目についた小料理屋の軒先に避難する。
しばらくすると店の扉が開き、そこで働く女が出て来、雨宿りする八十に傘を差し出すわけである「よかったら、どうぞ」。その女こそ晴子であって、初対面の八十は一目惚れ、翌日傘を帰しに行った際、その場でいきなりプロポーズするわけである「失礼ですが、あなたぼくと結婚してくれませんか」。
さて、何故いきなりこんな事を書くのかといえば、先ほど西友でモヤシと豚のカシラ肉を買った帰り道、うちのすぐ近くの弁当屋の閉まったシャッターの前で、一人雨宿りしてる女を発見してしまったからである。不憫に思ったおれは女に声をかけ、どうせそこからうちまでは走って三十秒もかからない距離であるので、持っていた傘をやった。
そのとき女は何事かをおれに対して言っていたのだが、あいにくおれは目の前にいる女よりも、試合途中で部屋を出たために経過が気になって仕方のない日本シリーズ、すなわちファイターズ対ドラゴンズ戦の方が優先順位としては上であったので、話を早々に切り上げ、頭を下げる女に手を振った。
アパートまでの道を走りながら、おれは考えた。あぁ、残念ながら、あの女はおれに惚れてしまったであろう。なぜならば、男と女の歴史は九十年周期で繰り返されるからである。嘘だと思うのならば、今現在の自分の配偶者、或いは恋人と出会った年から逆算し、そのちょうど九十年前に世界で何が起こっていたのか、過去のデータを調べてみるといい。
なぜそうなのか?
そうだからそうなのである。
女はさっそく明日にもうちのアパートにプロポーズしに来るだろう。その時おれは八十の妻晴子と同じように頬を赤らめ、うつむきながら「はい」と答えるだろう。それが運命というものなのである。
西條八十は、晴子が亡くなった時に、結婚初夜の事を思い出しながら、さみしく、そしてうつくしい詩を書いている。
あなたは没落した東京の商家の娘、
ぼくも没落した東京の商家の伜。
ぼくたちの結婚は、寂しく貧しかった、
ぼくらは新婚旅行の費用も持たなかった、
(中略)
初夜の臥床にはいる時、ぼくはあなたに言った。「あまりにさみしい結婚式だから、ぼくはせめてこの晴れ衣裳のまま眠るよ」
あなたも、すなおにうなずいて、美しく結いあげた高島田と、
華麗なうち掛けの姿で、ともに眠った。
(亡妻頌)
晴子が亡くなったのは昭和の三十五年。それから十五年ののち、西條晴子の生まれ変わりである平民金子がこの世に誕生する。そして三十年の月日が流れ……。新橋の小料理屋は池袋の弁当屋へと舞台を移し、あたしは今日、さっき、八十さん(の生まれ変わり)と出会ったわ。あの人はきつと今頃こんな詩を書いているはず。
ひと目見たとき、好きになったの、よ
なにがなんだか、わからないの、よ
日ぐれになると、涙が出るの、よ
けふもひとりで、泣いてゐるの、よ*1
そしてあたしは答えるの。
燃える想ひをうち明けられて、
乙女心の恥かしさ、
胸には高波、顔には紅葉、アラ、その瞬間よ、
指のリングを抱くばかり。*2
我ながら、こんなにも急に結婚する事になるとは思わなかったのであるが、歴史の因果として、彼女がおれの事を運命の男であると認識したのは既に明らかになったのであるから、おれはそんな自らの運命に従わねばならない。なぜそうなのか?という問いに、もう一度答えておこう。そうだから、そうなのである。みなさん、どうもお世話になりました。明日結婚します。
あたしハルコ。