中上健次の代表的な小説(岬、枯木灘、地の果て至上の時、千年の愉楽、奇蹟……その他、いわゆる路地モノ)って、とにかく読みにくい。主人公の腹違いの妹の母親の弟の親父の曽祖父がどうしたこうしたとか、もうとにかくイイカゲンにしてくれ!おもんないねん!て感じになる。ああゆうのは慣れたら普通に読めるんだケド、よっぽどのヒマ人かモノズキでもない限り「慣れるまでに読む事に飽きる」てゆうのが正しいとゆうかまっとうな反応だと思う。
かくゆうおれは、中上健次を読みふけっていた十代から二十代のはじめにかけては、もうホント誰にも負けないくらいに時間をもて余していた、ようするにヒマ人だったから、「枯木灘」なんて巻末の人物相関図をわざわざ紙に書き写して、それを見ながら、それでもワケワカラナイので、もう丸一日かけて10ページ20ページとか、まあなんてゆうか、ある意味でものすごく贅沢な読書をしていた。他にやる事なかったし。
で、おれが今日、何を言いたいかってゆうと、たぶんnoon75のエントリとか、或いはおれのやつとかを読んで、はて、名前は知らなかったケド、これから初めて中上健次ってやつを読んでみようかナ、なんて思ったシトもいると思う。それはさすがに何十人もいないとは思うけど、何人かはいると思う。そおゆうシトたちに、まずハジメの中上健次へのとっかかりとしておれがオススメしたいのは、彼のエッセイとか対談
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↑……、てゆう文章を、おれはきのう酒のみながら書いてたらしい。
らしい、と書くのは、単なるのみすぎが理由なんだケド、朝おきても、まったく昨晩の記憶がなかったからである。記憶がないのに、なんできのう酒をのみすぎていたかがわかるかとゆうと、今現在も二日酔いの激しい頭痛がしてフラフラするからである。うぅむ。もう酒のむのはやめよう。
あ、まったく記憶にない上の文章なんだけど、途中で終わってるから、シラフのおれが引き継いで、今日か明日かあさってにでも続き書きます。他人の日記をリレーで受け継いだようなそんな感覚しかないんだケド、まあいいや。